現代にすがりつくために、皆さまなんでも捨てたがる。
土地も家郷もご先祖様も。
おれも捨ててきた。
だれも捨ててきた。
あらゆる思い出を。
生産力の足を引っ張るものとして。

おかげで、懐かしいものが積もってきた。
言い換えれば、恨みの如きものが。
いやこれは個人に属するものだろうが、
いやいや正史に対する嫌味とはなろう。
国の編纂される正史なるものは、それはそれは信用置く能わざるものであることは知っている。
9・1防災の日に、松野官房長官は「関東大震災を風化させないように」と言いながら、朝鮮人虐殺を「記録がない」と言い逃れていた。国辱ものだよ。
こんな連中を国のお上と頼んでいいのか?
憂国のおいらはほんとに困ってしまう。
「おれは精神病理学でいうナルキッソスである」と言ってくれた方が、世界病理学になんぼか貢献できるとおもう。
度の過ぎた自己肯定は病いである。
 日本もそうだったけどね。
 先輩としてね。

病いは治癒するのではなく、捨てるのが早道である。
と考えたがるんだよねえ。
おれはそう考えて、捨ててきた。
捨離の心を生じて、擁護の志なし と日蓮は怒っていた。