わたしはいい言葉みたいな雰囲気だけ纏って意味がない言葉が嫌い。
胡散臭いから。

わたしがふと寝落ちした間に好きな人が寝てしまっていつもなら電話で起こしてくれるのに、喧嘩の次の日なのに、1日の終わりに声が聞けずに心がしんどくなって、
何かにすがりつきたくて急にブログをはじめることを思いついた。
一般人で特徴もあまりないわたしの文章は誰の目にもとまる事なく流されていくだろうけれど。
わたしは誰の目にもふれない事を6割望みながらも、
誰かこの文をおもしろいと思わないだろうか、とも期待しているから本当に小さな人間である事を痛感する。

明るく誰かがふと見たときに楽しくなれる文章を書けるわけでもなく、かと言って自虐を笑いに変えるユーモアも持ち合わせていない。
見てもらえるような努力はせずに、ただ文章だけ、見てくれないだろうか、あわよくばおもしろいと思ってくれないだろうかと淡い期待を持ちながら布団の中から度のキツい眼鏡をかけてクリップライトに照らされながら、携帯を握りしめぽちぽちと文字をうっている自分が惨め過ぎて滑稽でもある。

なんで心がしんどくて書きはじめたのにさらに辛い現実を突きつけられなきゃいけないんだ。

この惨めな私を照らしてくれているクリップライトは学生の頃一人暮らしをしていた時に母親にニトリで買ってもらったものだ。
ベッドにつけて夜使いたいから暖色の電球がいいって言った私に、おっしゃれ〜!と笑って希望通りにしてくれた優しい母親だ。
そんな優しいエピソードを持つこのクリップライトは、夜そんなに使われずかれこれ5年は電球がきれていない。
寝付きの悪い私は、ベッドからでて寝る事を早々に諦める事の方が多かったからだ。
寝る前の数分を共に過ごそう、なんて思っていたけれど実際には数時間寝れず結局天井の電気をしっかりつけて、もう通販番組しかやってないテレビをつけて漫画を読んだり絵を描いたりしていた。
テレビを見ないのにつけるのは、無音が苦手だから。
今思えば、今思わなくても、まあもったいないが、そのおかげでアンミカの物真似ができるようになった。
わたしは彼女が好きなので、なりきれるのが楽しく最近母によく披露しては母に褒められている。

とんでもなく脱線した。
そのおかげで全く役目を果たせなかったクリップライトは、今は惨めなわたしをこれでもかと照らし、それでも優しい暖色だから、気持ちが丸くなって少し泣きそうにもなる。

好きな人、というか彼氏が寝たのは大体23時で、わたしが起きたのが大体24時、たった1時間の差なのに。
ネガティブなわたしはすぐに妄想する。飽きられたのだろうな、昨日の喧嘩はわたしが嫉妬しやすい性格だから起こったものだったから呆れられたのだろうか、もう寝る前に声が聞きたいとは思ってくれないのだろうか、
もう、好きじゃないのだろうか。

わたしはズルいから、好きじゃないのかな、ならばわたしも好きじゃない、と強がる事でしか自分を保てない。
わたしは好きなのに、大好き愛してるのにって泣く事が出来ない、可愛くない。

こんなわたしを好きでい続ける方が、無理があるのだろうなと自嘲して悲しんで自分を傷つけていつかくる振られる日に備える。明日だろうか、今日だろうか。
なんせ不在着信を鬼のようにいれた。
あれは反省すべきだ。
でも、と思う自分もいる。昨日喧嘩したのに、今日はいちゃいちゃしないの?昨日の喧嘩で生じた穴を上からまたいつも通りの2人で埋めて固めて地面を作っていかないの?埋めなきゃ、固めなきゃ、またそこで躓いてしまうのに。
あの人はもう、そうならそれでいいと思っているのだろうか。

好きな人に素直になれない、ただ誰か知らない相手にも素直になりはしない。
誰が見るか、もしかしたら誰も見ないかもしれないブログで素直に書き綴ろう。

わたしはあなたが大好き、別れたくないし長く側に寄らせて欲しい。夏の夜の縁側で寄り添うみたいな、冬の朝の暖かい布団みたいな、優しい空気はきっとあなたには出せない。わたしにも、出せない。
気の強いわたしたちはぶつかり合って、
そして惚れた弱みでわたしはいつも折れて。
そうして紡いできた月日はわたしたちを離れさせるのだろうか、繋ぎ止めるのだろうか。
トゲとトゲのようなわたしたちを、誰かどうか繋ぎ止めて、どうかまだ彼の隣はわたしのものであるように。

祈りながら彼と同じタバコを吸うべくクリップライトを消して天井の電気をつけにいく。
寝付きの悪さも無音が苦手なのも子供の頃からずっと変わらない、わたしなのだ。
変われない変わらないわたしがいるのだ。

書ききれた今でこそ思う、彼に幸せな眠りを。
こういうと今生の別れのようだが、心から願う。

明日話す時鬼電謝ろう。