tapestry ~音と言葉と心象と~

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シンガーソングライターtomyMの音楽と言葉のつづら折り


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サングラハ教育・心理研究所
主幹 岡野守也先生による高松日曜講座
2018年5月20日
【生きる意味の心理学】第2回

レビュー&感想です。


確か惑星や太陽系について

初めて学んだのは小学校の

高学年の頃だったと思います。

その想像の及ばないほど壮大な

スケールの話しに、
何とも言えない「不思議さ」と
畏怖という意味での「怖さ」を
感じたことを覚えています。

その想像の及ばないほど壮大な
宇宙システムの中にある
地球という惑星に、

わざわざ想像する必要など
ないリアルな私という存在が

今住んでいる。

その非現実感と現実感を
どう統合していいのか
解らない、という感覚でした。


今回の講座では、

「生きる意味」に気づくためのワーク

として、


まず、今の自分のいる場所を
市(町)→県→国→地球→宇宙と、

少しずつ俯瞰していき、
 

自分が今いる場所は
紛れもなく「宇宙」の中にあるという
事実を認識するところから

始まりました。

そして、
私(たち)はどうして
ここ(宇宙)にいるのか?
を問うていく。

 


私(たち)が存在している「宇宙」は
138億年前に誕生しました。

それはつまり、138億年の経過の結果、
私(たち)が今存在している、と
いうことです。

138億年かけて存在を存在せしめてきた。

物質も空間も時間も、
人の肉体も精神も。

「宇宙」と「私(たち)」は
全く別次元のようでありながら、
本質的には同次元である。

これは妄想でも空想でもフィクションでもなく、
ただの事実です。

アインシュタインの相対性理論により
導かれた数式、E=mc2、

これもまさに
「この世のありとあらゆる物質は
形のないエネルギーEが
質量mという姿・形になったもの」
を表したものといえます。


宇宙と私(たち)は同次元にあり、
私が子供の頃に感じた
非現実感と現実感は
統合されてしかるべきものである、
ということですね。

私(たち)という存在は、
つまり「宇宙エネルギーの塊である」
ということです。


今回の講座では、
この「宇宙エネルギーの塊である」ことを、
アインシュタインの相対性理論を用いて説明し、
エネルギーの落ちている相手を
勇気づけ(エンカレッジメント)を行う
というワークを行いました。


1グラムの物質に相当する質量エネルギーを
電力量に直すと、2000万kWhにもなり、
平均的な世帯の電力を5000年ぶんほども
まかなえるほどの量になる。

私(たち)という物体の体重分の電力量を
計算してみると、
体重が50Kgだとすると、


2000万kWh/g x 50000g = 1兆kWh

それほどの電力量を生み出すことのできる
エネルギーを私(たち)はすでに持っている。

 

エネルギーが落ちている、というのは

気分としてはあっても、

事実としては、そこに存在している、それだけで、

すでにエネルギーに満ちている

ということになるのです。



ただ、これを実際に話して相手を

勇気づけられるかどうかは、
自分の解釈度、自分の伝え方、

相手との信頼関係、相手の心理状態など、

他の要素も考慮する必要がある、

とも感じたワークでした。

 

 

 

サングラハ教育・心理研究所
http://www.smgrh.gr.jp/


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電子書籍版アルバム制作に向けてのお試し音源
第10弾は「What a World!」

 

お試し音源(Short. Ver.)はfacebook(2018/05/13)

イメージ画像のフルバージョンは Youtubeで。

 

 

今、朝鮮半島では歴史的な

南北の歩み寄りが見られ、

世界の注目を集めていますね。

 

私も学生時代に(韓国側から)板門店に

行ったことがあります。

韓国人の教授の講義を取っていて、

その講義の研修旅行で訪れました。

 

“パンムンジョム”ではなく“はんもんてん”と

呼んでいた時代の、かなり昔の話しなので、

記憶があいまいになっているところもあるし、

当時と今とでは様相が違ってきているところも

あるかもしれませんが、

  

当時の私がそこで感じた率直な印象は

はっきりと覚えています。

 

 

それは、ある種の「滑稽さ」でした。

 

 

そこは下手の事をしたら命の保証はない

緊張の軍事境界線上にあり、

およそ「滑稽」とは無縁のような場所

のはずなのですが...。

 

 

38度線をまたぐように建てられている

「軍事停戦委員会本会議場」の中は、

部屋の四隅に南北それぞれの兵士が

無言、無表情で直立不動で立っていて、

 

部屋の中央には会議用のテーブルが置かれ、

卓上のマイクのケーブルが

軍事境界の38度線上に渡されていて、

 

会議場の中だけは、そのマイクケーブルを

越えて北朝鮮側に行っても構わないことに

なっています。

 

 

もちろんとりあえず越えてきました。

 

直立不動の兵士に視線を向けないようにしつつ、

妙な緊張感とゾロゾロと移動する観光客との

なんとも不調和な空気の中、

 

「だから何?」などと思いながら。

 

 

また、先日撤去されたようですが、

韓国側に設置されていた巨大なスピーカー、

当時はそれで北朝鮮を非難する宣伝を

大音量で流したり(リアルタイムでは

聞いていませんが)、

 

双眼鏡で見えるエリアは、

自国の発展度をアピールするために

開発が進んでいるようなフェイク建物を

建てていたり、

 

そうそう、観光客は正装しなくちゃ

いけないって言われました。

 

スーツを着て行った記憶があります。

 

理由は「西側の豊かさを見せつけるため」

とかだったような…。 

 

 

 

軍事境界線が観光地?

マイクのケーブルで境界を分ける?

巨大スピーカーで非難宣伝?

フェイク建物?

豊かさを見せつけるための正装…?

 

 

 

「滑稽」という言葉だけでは、

表しきれない色々入り混じった

感覚ではあるのですが、

 

私の語彙力ではこの言葉が一番近い

かな…。

 

 

あえてそれをもっと極端に言い換えると、

 

「ガキの喧嘩を国際社会という規模でやっている」

 

という感じです。

 

 

そんな事に、そんな事をこれっぽっちも

望んでいない大多数の人を、

国という一まとまりによって

否応なく巻き込んでいく現実。

 

 

これは単に南北朝鮮に限った批判ではなく、

日本も含め、どこの国にも起こりうる事だと

も思っています。

 

人は誰しも、条件さえ揃えば、

思ってもいない感情や行動を

起こす可能性をはらんでいる。

 

平時には平静でも、有事の際にはわからない。

 

「義人なし、一人だになし」

(聖書「ローマ人への手紙」3章10節)

です。

 

 

…話しを元に戻します。

 

 

このような板門店で感じた事も含め、

学生時代の学びや経験は、

私の中に、

 

「国際関係は人の煩悩のせめぎ合いの最たるもの」

「紛争、戦争はガキの喧嘩の最たるもの」

 

という見方を植えつけていきました。

 

これは憤怒でもあり、憂いでもあり、

諦観でもあり、虚無でもあり、

 

冷たくて熱くて、なんとも形容のしようのない
感覚、感情を伴うものです。

 

でも、そのようなヤヤコシイ感覚が

肚の底で渦巻きながらも、

でもそれでも、やっぱり世界は美しく、

人は愛しく…

 

 

何か…こう…イライラします(笑)

 

 

この曲は、人、自分、社会、世界に

対するそういった想いをひねくり出し

たものです。

 

もう20年以上前に作った曲ですが、

その頃に比べれば、見方はかなり冷静に

なったとは思います。

 

でも、想いの基本は今もあまり変わらず

私の中にあり続けています。

 

 

「板門店宣言」、裏事情や今後の展開に

ついての推測、憶測…あ、いや、分析は

専門家にお任せするとして、

 

油断は禁物であれど、

また、そんな歴史的な展開と、

それを担おうとしているリーダー達の

振る舞いにかなりの矛盾を感じながらも、

 

「軍事(核の抑止力)による平和均衡」

というバカげた構図に変化を

もたらすきっかけとなる事を、

冷めつつも熱く期待しています。

 

 

あ、それと最後に、

『このろくでもない素晴らしき世界』

っていう某缶コーヒーのコピー、好きです。

 

 

--【What a World !】----

自らを万能と勘違いする人の群れ

破滅への鎮魂歌は聞こえちゃいないさ

 

天地の距離も

世界の果ても

存在の起源すら

知りはしないというのに

 

自らを含めた生けるモノすべてが

そんなエゴの犠牲になっていく

 

何かが違ってきていると

きっと気づいてるはずなのに

まるで定められたかの様に

自虐を続けていくHuman being

 

もう引き返せないの

もう取り戻せないの

癒せそうもない傷痕ばかり増えてゆく

“What a world!”

 

 

知識と思想で武装して

ほんとに欲しいモノが見えなくなってる

 

真の敵は自分自身

それを誰かに置き換えて

論破する事で空しい自信を高めてく

 

経験のない世界を非難して

自分の弱さを合理化してる

 

こんな狂った世界

こんな愚かな存在

小さすぎるmyself

Oh,God! 足りない愛補って oh, please!

 

How can I stop loving?

How can I stop loving?

それでも愛さずにいられない

What a world!

“God bless you!”

 

How can I stop hugging?

How can I stop hugging?

抱きしめ合わずにはいられない

What a world!

“How sweet!”

---

お試し音源(Short. Ver.)はfacebook(2018/05/13)

イメージ画像のフルバージョンは Youtubeで。


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サングラハ・教育心理研究所

主幹 岡野守也先生

高松講座

【生きる意味の心理学1】

レビュー&感想です。

 

 

「生きることに意味はあるか」
「生きている価値はあるか」


私は
「生きることそれそのものに意味はない」
と思っています。

と言うと
「意味なんてないんだからくだらない事
言ってないで潔く諦めなさいっ(バッサリ!)」

のように思われるかもしれませんが、
決してそうではありません。

その本意は、
「生きることに意味づけをしていくのが人生」
という事です。


「生きる」ということに、問う前から存在する
大前提の意味などなく、

つまり、「生きる」とは真っ白なキャンパスの

ようなもので、そこにどんな色でどんな絵を

描いていくか、

それが意味づけ、であるということです。


いい絵になるか否か、
いい意味付けをするか否か、

それは自分の「生きる」を担っている自分次第。



講座でも、

「人生に意味があるかどうか」

ではなく

「人生で『意味体験』をすることができるか」

としています。
 
 
『意味体験』とは、
 
≫心が肯定的なことを感じる体験を「意味」と言い、
 どこかに「意味」そのものというかたちで
 存在しているのではなく、心がある時出来事として
 体験するもの
 
です。
 
 
でも、そのような意味体験が、いつもあらかじめ
用意されているわけではなく、
 

≫生きることに「意味がある」と感じられる時は、
 必ず何かとの肯定的なつながりを体験している時


であると言えるので、


≫自ら肯定的なつながりを能動的に作っていけば、
 必然的に多くの意味体験をすることができる、
 
としています。
 

「意味体験」は、意味を感じようとする
自らの意識に源泉があると言えます。



今回、講座で一つワークを行いました。

『私(たち)は今どこにいるか』
 
 
今私(たち)のいる場所をグーグルアースのように
徐々にスケールを広げてイメージしていきます。
 

講座の会議室→高松市→香川県→四国
→西日本→日本→アジア→地球→太陽系
→天の川銀河→局所銀河群→おとめ座超銀河団
→ラニアケア超銀河団→うお座・くじら座超銀河団Complex
→宇宙
 
 
そしてそこからまた逆向きに近づけていく。
 
 
広大なスケールの宇宙から、視点を今この私(たち)
という一点に集約させていくことで、
 
私(たち)という存在は、果てしない宇宙の中で
宇宙エネルギーの凝縮した存在の一点として
今現在ここにあるということに、
気づくことができます。
 
 
これはファンタジーでもフィクションでも
なんでもなく、紛れもない事実。


この事実、かなりすごくない?(笑)


意味云々問う必要もないスケール感が
それぞれの存在にある、という事ですね。


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