中山道洗馬宿追分から善光寺街道に入ります。ここから「郷原宿」までは約6㎞の道程です。

 

 

 

 

信州ならではの「ソバ畑」も広がっています。

 

 

 

 

 

 

 

この建物も「本棟造り」といっていいのでしょうか。現代風の家にも見えます。

 

 

 

 

 

このあたりは「桔梗が原」と呼ばれる地で、ぶどうの栽培が盛んなところです。もちろんフルーツとしての栽培もされますが、多くはワイン加工用です。松本平の南に位置し、標高が高いため、日照時間も長く、寒暖差も大きく、さらに年間を通じて降水量も少なく、ぶどう作りに適した地として明治23年(1890)に始められました。

 

世界のワインコンクールで優秀な成績をおさめたことから、世界的に認知されるところとなり、現在では塩尻市内に9ヶ所のワイナリーがあるそうです。

 

 

 

 

 

金鯱の載った家もあります。

 

 

 

 

 

 

リンゴも栽培されています。やはり信州ですね。

 

 

 

 

 

アスパラガスって、こんな姿なんですね。

 

 

 

 

 

東京電力と中部電力の大きな変電所が並んで建っていました。このあたり、電力の東西の接点、つまり50㎐と60㎐の接点です。

 

 

 

 

 

「左 志ほ尻道」とあります。「郷原宿」も近いです。

 

 

 

 

 

「善光寺街道」は、慶長19年(1614)、時の松本城主小笠原秀政政によって整備された街道です。そしてこの地に住民を移住させ集落を形成させたのが「郷原宿」の始まりです。

 

「洗馬宿」と「村井宿」との中宿であったため、本陣・脇本陣は置かれませんでした。伝馬・助郷が整備されたのは、元禄3年(1687)頃のことのようです。街道はほぼ直線的で、区画割が整然と整備されています。この宿場の特徴は、家屋敷前に前庭があることです。

 

 

 

 

 

 

この宿場は、文政4年、安政5年と大火に見舞われ、宿場のすべてが焼失します。その後に再建された町並みは、幸いにも災害に見舞われず、160年後の現在も当時の面影を残す建物も残っています。

 

緩い勾配の切妻屋根で、妻側を正面とする「本棟造り」。正面の切妻に二重に配した破風が重厚で格式ある外観を醸し出しています。「本棟造り」とは、信州中南信地方の農家にみられる独特の建物です。「雀返し」「雀おどし」あるいは「雀おどり」と呼ばれる棟飾りが威風堂々とした外観を与えています。機能よりも装飾を重視したものといわれています。

 

 

 

「川上屋」の屋号が掛っています。屋号は当時の商いに由来したり、各地の国名に由来したりしています。

 

 

 

 

 

 

「山城屋」の屋号が掛っています。庄屋だったようです。

 

 

 

 

 

 

「郷原簡易郵便局」は、かって問屋だったところです。

 

 

 

 

 

このあたり、桔梗ヶ原の乏水性大地のため、各家庭で井戸を掘るのが困難だったそうです。そこで20m近いつるべ深井戸を3基掘って、共同で使用されていたのだそうです。

 

 

 

 

 

「下問屋」です。

 

 

 

 

 

二重に配した破風が素晴らしい。

 

 

 

 

 

「下問屋」の看板も掛かっています。

 

 

 

 

 

 

「平入り横屋造り」の建物です。この郷原宿の特徴は、旧中山道沿いにみられる出桁造りの家と、本棟造りの家が混在する、いわば文化のぶつかりあうところです。

 

「あやめや」、右「上総屋」です。

 

 

 

 

 

 

「郷福寺(きょうふくじ)」です。地名は郷原(ごうはら)ですが、寺名は郷福(きょうふく)です。明治天皇行幸のとき小休所となったところです。

 

 

 

 

 

高野山真言宗のお寺です。大火後の嘉永7年(1854)再建されたものです。

 

 

 

 

 

 

庫裏も本棟造りです。