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ほうしの部屋

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 アントニオ・タブッキの短編連作集『夢のなかの夢』を読了しました。

 著者のタブッキは、イタロ・カルヴィーノ、ウンベルト・エーコと並んで、20世紀イタリアを代表する作家です。1943年にイタリアで生まれて、2012年にポルトガルで亡くなりました。ポルトガルは、妻の故郷であり、晩年のタブッキは、ほとんどパリとリスボンで暮らしていました。イタリアに蔓延した大衆迎合型政治を嫌っていました(ベルルスコーニ元首相の政治のようなものに対する忌避感です)。現代におけるもっともヨーロッパ的な作家といわれています。

 本作品『夢のなかの夢』では、著者タブッキが、自分の愛する芸術家などが、どんな夢を見たかを想像し、その夢をでっち上げ、その夢を見たであろう芸術家に捧げる、夢のオマージュを形成しています。その芸術家に対する批評にもなっています。幻想小説の極致ともいえます。

 

 それでは、本作品の内容を紹介します。

 

[覚え書](全文)

 自分の愛する芸術家たちの夢を知りたいという思いに幾度となく駆られてきた。残念なことにこの書物のなかでわたしが語る芸術家たちは、かれらの精神の夜半の旅の軌跡をわたしたちに残してはくれなかった。文学の力をかりて、その失われたものたちを補うことで、なんとかそれを埋め合わせてみたいという誘惑はおおきい。もちろん未知の夢にあこがれる者が想像力でつくりあげた身代わりの物語が、貧弱な代用品にすぎないことも、あわい幻想が生んだ招かれざる夾雑物でしかないことも承知している。願わくば、これらの物語があるがままに読んでもらえますように、そして、いまは彼岸で夢見ているわたしの人物たちの魂が、かれらの末裔に寛大でありますように。

 

[建築家にして飛行家、ダイダロスの夢]何千年も前のある夜

 ダイダロスは迷宮に迷い込みました。この宮殿からの脱出法を知っているのですが、今は思い出せないのです。宮殿の奥に部屋があり、牛の頭を持つ男が幽閉されていました。門番が二人いて、一人は真実のみを、もう一人は嘘のみを告げるそうです。ダイダロスは策を巡らせて番兵から真実を聞き出し、外へ出られる扉から、牛頭男と一緒に脱出しました。ここでダイダロスは、この宮殿が自分にとって何であるかを思い出します。隠しておいた翼を、牛頭男の背中に貼り付けてやり、飛び立つように言います。牛頭男は月を目指してひたすら飛んでいきました。

 

[詩人にして宮廷人、ププリウス・オウィディウス・ナーソの夢]紀元後1月16日の晩

 オウィディウスは、皇帝の寵愛を受ける詩人になった夢をみて、一羽の巨大な蝶になっていました。宮廷へ向かうために黄金の馬車に乗せられました。沿道で、民衆からすばらしい詩を歌ってくれるように頼まれましたが、口笛のような音しか出ませんでした。皇帝カエサルに面会して、詩を歌うように求められましたが、口笛みたいな粗雑な音しか吐けないオウィディウスは、うまく歌うことができませんでした。怒ったカエサルは、蝶になったオウィディウスの羽を切断させました。宮殿の外では、オウィディウスの死体を求める群衆が詰めかけていました。オウィディウスはぴょこぴょこ跳ねながら宮殿の階段を降りていきました。

 

[作家にして魔術師、ルキウス・アプレイウスの夢]紀元165年のある夜

 アプレイウスは、門をくぐりカルタゴの町に入りました。そこでは綱渡りなどの大道芸が行われていました。鞭を持った女が現われ、4頭の馬に曲乗りをしました。女の鞭を無視していた1匹のロバが、そのペニスを女の下腹部にこすりつけて、女は快楽の声を上げました。ロバはアプレイウスに向かって自分は友達のルキウスだと名乗りました。ルキウスは女の魔法にかけられたといいます。アプレイウスは、松明を取り上げて、呪文を唱えました。すると鞭の女は醜い老婆の正体を現わしました。突然、昼間になって、そこはローマでした。アプレイウスは親友のルキウスと歩いていました。ルキウスはアプレイウスを見つめて、昨日の晩、おれは夢を見たんだ、といいました。

 

[詩人にして不敬の人、チェッコ・アンジョリエーリの夢]1309年1月のある夜

 暑い日、アンジョリエーリは、大聖堂に入っていきました。その礼拝堂で、画家が聖母像を描いていました。その聖母の地上のものをすべて見下しているような視線に嫌悪感を覚えたアンジョリエーリは、聖母の前で卑猥なポーズをとって見せました。すると聖母の視線がアンジョリエーリを打ち据え、アンジョリエーリは猫に変身させられました。教会から飛び出したアンジョリエーリは、食べ物を求めて居酒屋の近くをうろつきましたが、客につかまり、松ヤニを塗られて火をつけられました。アンジョリエーリは父親のもとに走り、助けをもとめました。目が覚めると、医者たちが彼の包帯を解いているところで、アンジョリエーリは体が焼けるように痛かったのでした。

 

[詩人にしてお尋ね者。フランソワ・ヴィヨンの夢]1451年のクリスマスの明け方

 ヴィヨンは荒涼とした砂漠を歩き、旅籠にたどりつきました。粗末な食事をしていると、ライ病患者の男が現われ、ヴィヨンが探している兄のもとに連れていってやるといいます。ヴィヨンは憲兵を警戒して、短剣を握りしめたまま、男のあとについていきました。男は森の中に入っていきました。木々には絞首刑になった人々の死体がぶら下がっていました。その中から、ヴィヨンは兄の死体を見つけます。ヴィヨンが兄の額に口づけすると、兄は口を開き、こっちの世界では、お前を待つ白い蝶であふれているといいます。案内人の男が歌う壮大な葬送曲のようなバラードが聞こえてきました。

 

[作家にして破戒僧、フランソワ・ラブレーの夢]1532年2月のある晩

 ラブレーは修道会を離脱した後も戒律を守って7日間の断食をしたあと眠りについて夢を見ました。料理屋の長机に座り、上座の人物の到着を待っていました。豪勢な馬車に乗って、パンタグリュエル閣下が巨体を揺らしてやってきて、上座につきました。料理が次々と運ばれてきます。大麦と小麦とインゲン豆のスープ、それをパンタグリュエル閣下は、皿に直接口をつけて飲み干しました。次はガチョウの詰め物。パンタグリュエル閣下は作り方を店主に聞きました。次は、雌鶏とスモモのグラッパ煮とホロホロ鳥のロックフォール・ソース。パンタグリュエル閣下は、ラブレーの十倍以上の量を平らげます。雌鶏の脳みそのソースをパンにつけて、1メートルもあるパンをパンタグリュエル閣下は平らげます。次は、イノシシ肉の猟師風、ウサギのフィレ肉の腸詰め揚げ。これも平らげたパンタグリュエル閣下は、雷の轟音のような大きなゲップをしました。それで目覚めたラブレーは、固くなったパンを一切れ口にして、断食を破りました。

 

[画家にして激情家、カラヴァッジョことミケランジェロ・メリージの夢]1599年1月1日の夜

 娼婦のベッドの中で、カラバッジョは夢を見ました。居酒屋でバクチをしながら酒を飲んでいるカラバッジョのもとに、キリストが現われてカラバッジョを指さすのです。カラバッジョは、盗みも殺しもやってきた自分のようなものがなぜ選ばれるのかわかりませでした。居酒屋にいる間中、キリストはカラバッジョは指さし続けます。居酒屋を出て、道ばたで吐くカラバッジョに対して、キリストは絵を描いてほしいと頼みます。今夜、キリストがカラバッジョを訪れた様子を、カラバッジョをマタイにして描いてほしいといいます。カラバッジョは応じて、寝返りをうつと、娼婦が彼を抱き締めました。

 

[画家にして幻視者、フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテスの夢]1820年5月1日の夜

 夢の中で、ゴヤは青春時代の恋人といました。恋人は揺り椅子に座って編み物をしていましたが、椅子から落ちて斜面を転がっていきました。ゴヤもついていくと、そこには黄色い壁があり、銃殺刑が行われていました。ゴヤが絵筆を握りしめて踏み込んでいくと、兵士たちの姿は消え、人を食う巨人が現われました。巨人は、俺は人類を支配する怪物だといいます。ゴヤが絵筆を握りしめると、巨人は消え、老婆が現われ、自分は迷いをさますもので世界を支配しているといいます。ゴヤが絵筆を握りしめると、老婆は消え、犬が現われ、自分は絶望をつかさどる獣で、おまえの苦しみを弄ぶ、といいます。ゴヤが絵筆を握りしめると、犬は消え、太った老人が現われ、自分はゴヤであり、俺の前でおまえは手も足も出ない、といいます。そこでゴヤは目が覚め、独りぼっちでベッドの中にいました。

 

[詩人にして阿片中毒患者、サミュエル・テイラー・コウルリッジの夢]1801年11月のある晩

 コウルリッジは、ロンドンの自宅で禁断症状に襲われながら、夢を見ました。彼は船の船長で、水夫たちは凍えていました。一匹のアホウドリをコウルリッジが石弓で撃つと、アホウドリの血の滴から、大蛇が現われます。大蛇の首をコウルリッジが剣で刎ねると、そこから喪服の女が現われ、サイコロの賭けを誘います。コウルリッジは11を出しましたが、女は12を出し、水夫たちも、喪服の女も、船も、一陣の凍り付く風に吹かれて消え去りました。コウルリッジが目を開けたとき、霧に霞んだ窓の外が広がっていました。

 

[詩人にして月に魅せられた男、ジャコモ・レオパルディの夢]1827年12月初旬のある晩

 レオパルディは、寒さをしのごうと煎餅布団にくるまって夢を見ました。砂漠にいて、二輪馬車に乗り、4匹の羊の世話をしていました。羊たちはレオパルディをどこかへ連れていくようでした。甘いものが食べたくなると、砂漠の真ん中にケーキ屋が現われ、レオパルディは買ったケーキを味わいました。羊たちが歩みを止めて一件の家にレオパルディが入っていくと、いとしい女性のシルヴィアがいました。シルヴィアは死んで月の住人になったといいます。レオパルディは自分も死んだのかと尋ねると、彼の想いだけがいるだけで、彼はまだ地球にいるといわれます。望遠鏡を覗くと、レオパルディの家が見えました。レオパルディは煎餅布団にくるまっていました。自分は死んだのかと尋ねると、シルヴィアは、あなたは眠って月を夢見ている、といいました。

 

[作家にして劇評家、カルロ・コッローディの夢]1882年12月25日の晩

 コッローディはひどい時化の中を、紙でできた船で漂っていました。コッローディに戻ってくるように言う妻の叫びが聞こえました。怪物のようなサメが襲ってきて、コッローディを船ごと飲み込みました。サメの腹の中には、難破船や頭蓋骨がありました。難破船の貯蔵庫から見つけたラム酒を飲んで元気をつけ、コッローディはサメの腹の中を探検しました。いくつもの船の残骸や頭蓋骨、魚介類の死骸を通り抜けると、テーブルについた女性と男の子がいました。コッローディは二人を抱き締めました。場面は急に変わり、ある邸宅のベランダでメロンを食べて白ワインを飲んでいました。そこに通りかかったネコに対して、コッローディは礼儀正しく「あなたもいかがですか?」と言いました。

 

[作家にして旅行家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの夢]1865年6月のある晩

 15歳の少年、スティーヴンソンは空中を旅する帆船を操縦していました。帆船は海に着水してすいすい滑走しました。水平線に島が見えると、島民たちがカヌーでやってきました。スティーヴンソンは島民たちに歓迎されました。村長がスティーヴンソンに山に登れといいます。肺病病みのスティーヴンソンの乗る輿が用意されました。輿に乗ったスティーヴンソンは山に近づく途中で、洞穴を見つけました。洞穴の中に入ると、銀の箱があり、その中に本が入っていました。どこかの島の、旅や冒険や少年や海賊たちの物語で、著者はスティーヴンソンでした。本を持って山頂に登ったスティーヴンソンは、寝転がって本を読みました。そうやって終わりが来るのを待つのは素敵でした。

 

[詩人にして放浪の人、アルチュール・ランボーの夢]1891年6月13日の夜

 ランボーは夢の中で、切断された片足を抱えて、アルデンヌの山越えをしていました。片足をくるんだ新聞紙には彼の詩が載っていました。農家の近くで休んでいると、家から女が出てきて、銃をあげるといいます。ランボーはパリ・コミューンに行くから銃が要るといいました。銃があるという納屋は二階建てで、一階の羊の群れの中でランボーは下半身を露出して待ちました。ランボーと女は交わりました。事が済むと夜が明けてきました。ランボーは持っていた片足を女に与え、街道めざして出発しました。ランボーはまるで二本の足で歩いているようで、嬉しくなって唄をうたいました。

 

[作家にして医師、アントン・チェーホフの夢]1890年のある晩

 チェーホフは、拘束衣を着せられて精神病院に入院していました。医師に紙とペンを頼むと、あなたは思索が強すぎるから物を書いてはいけないと言われました。医師は、思索が強すぎる物書きを憎んでいるといいます。そして、医師は、口紅を塗り、鬘をつけて、看護婦になりました。その看護婦も、チェーホフに物を書くのを禁じます。医者は、あなたは気が狂っているから物を書いてはいけないと言います。チェーホフは、息子を失ったことを馬に聞かせるしかない不幸な御者のことを思いました。すると、翼のはえた馬が現われ、馬車につながれ、知り合いの女優を乗せ、チェーホフも乗せると、空に飛び上がりました。女優が桜の花びらを下に落とすと、御者はチェーホフに聞いてもらいたい話があると言います。チェーホフは聞くことにします。自分はとても辛抱強いし、なによりも人間の物語が好きだから。

 

[音楽家にして審美主義者、アシル=クロード・ドビュッシーの夢]1893年6月29日の晩

 ドビュッシーは浜辺にいました。脱衣小屋で水着に着替えていると、別荘屋敷を構えるピンキー夫人の姿が見え、ドビュッシーはペニスを撫でました。ドビュッシーが海に入ると、たちまち水の慈愛が体に伝わってきました。海を愛するドビュッシーは、海に曲を捧げたいと考えていました。浜辺でシャンパンを飲みながら、時間が止まっているような感覚になり、これを曲にすれば良いと考えました。脱衣小屋で着替えをしていると、牧神ファウヌスと二人のニンフが現われました。ドビュッシーは疲れを感じて自分の体を愛撫しはじめました。ファウヌスが笛を吹き始め、それこそがドビュッシーが作りたいと思っていた曲でした。ファウヌスは一人のニンフと交わり始め、もう一人のニンフがドビュッシーの下半身を愛撫し始めました。午後になっており、時は動きませんでした。

 

[画家にして不幸な男、アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレックの夢]1890年3月のある晩

 ロートレックは故郷アルビの田園地帯にいて、サクランボをとろうとして背伸びをすると、足が伸びました。サクランボをとると足はもとの短足に戻りました。ロートレックは川の水面に自分の姿を映して、自分が思い通りに足の長さを変えられるようになったことを喜びました。夕闇が迫り、眼前に見える光の環に向かって歩くと、パリのムーラン・ルージュにたどり着きました。ロートレックは自分が描いたポスターに満足し、通用口から舞台袖に出ました。踊り子のアヴリルがカンカン踊りをしていました。足を伸ばしたロートレックは、一緒に踊りました。幕が下り舞台がかき消え、アルビの田園地帯に二人はいました。二人は交わりました。アヴリルは、ロートレックに、足が短くたってあなたのことが好きよ、でも、足が長くなったあなたはもっと好き、と言いました。ロートレックは微笑んで、アヴリルをもう一度強く抱き締めました。

 

[詩人にして変装の人、フェルナンド・ペソアの夢]1914年3月7日の夜

 ペソアは目覚めの夢を見ました。着替えて家を出て、列車に乗りました。同じコンパートメントには、彼の母親であり母親でない女が本を読んでいました。ペソアは、南アフリカからの手紙、少年時代についての手紙を読みました。草のようだった私を誰も引き抜いてくれなかった、と女は言いました。サンタレンに着くと、ペソアは馬車に乗り、白壁の一軒家に行くように御者に頼みました。御者は、ここが南アフリカで、ペソアをカエイロさんの家に連れていくといいます。いつの間にか、ペソアは子供になっていました。白壁の家の戸口にいた老婆から、アルベルト・カエイロをあまり疲れさせないでくれと頼まれます。部屋の中にいたのは、カエイロであり、恩師のニコラス校長でした。カエイロは、わたしはきみだということを理解してほしいといいます。わたしはきみの心の一番深い闇の部分なのだ、といいます。きみが偉大な詩人になりたいなら、きみはわたしの声に従えばいいのだと、カエイロはいいます。そうすることを約束してペソアが立ち上がると、彼は再び大人に戻っていました。ペソアは御者に夢の終点まで連れていってくれと頼みました。

 

[詩人にして革命家、ウラジミール・マヤコフスキーの夢]1930年4月3日

 マヤコフスキーはモスクワの地下鉄に乗っていましたが、降りたくて、老婆の隣の座席に座りました。老婆は驚いて立ち上がりました。列車がどこかの駅に停まり、マヤコフスキーは降りて、洗面所へ行って、石鹸で手を洗いますが、汚れが落ちないように感じました。すると、3人の政治警察が現われ、身体検査をされて、石鹸のかけらを見つけられ、法廷に連れていかれました。判事は、不審な石鹸のかけらを保持していたことを咎めて、マヤコフスキーを蒸気機関車の刑に処すると判決を下しました。マヤコフスキーはスモッグを着せられて列車に乗せられました。窓外には、足枷をつけられて転がる多くの男女が見えました。あの者たちがおまえの詩を待っていると、死刑執行人はマヤコフスキーにいいました。マヤコフスキーは自分の詩の中で最低の作品を朗唱しはじめました。人々は彼を呪い、こぶしをふりあげ、彼の母親を罵りつづけました。マヤコフスキーは目を覚まし、手を洗いに洗面所に立ちました。

 

[詩人にして反ファシスト、フェデリコ・ガルシア・ロルカの夢]1936年8月のある晩

 ロルカは夢の中で、自分がやっている巡回人形劇団の舞台に立って、ピアノの伴奏に合わせて民謡を歌っていました。観客は老婆ばかりでした。劇場は平原の中にあり、月が出ていました。黒い子犬が彼を待っていて、子犬の歩きにロルカはついていきました。振り向くと、劇場の外壁がなくなっていました。平原は壁で仕切られており、壁の裏側にはまた平原が続いていました。犬が立ち止まると、壁を抜けて兵士たちが現われ、隊長とおぼしき侏儒の男は、おまえは裏切り者だから処刑するとロルカにいいました。おまえは女のくせにズボンをはいているといわれて、ロルカはズボンを脱がされてショールを被せられました。ロルカは、侏儒の顔に唾を吐きかけましたが、侏儒は、拳銃をロルカの口にねじ込みました。平原にはピアノのメロディが流れていました。子犬が吠えました。そこでロルカが目覚めると、自宅の扉をたたく銃床の音がなりつづけていました。

 

[他人の夢の解釈者、ジークムント・フロイト博士の夢]1939年9月22日の晩、死の前日

 フロイトは夢の中でドーラになっていて、ウイーンの町を歩いていました。マルタ夫人とすれ違い、フロイト博士がウイーンに戻ってきたから、ドーラ、あなたは問題をたくさん抱えているのだから、女性のことなら何でもわかるフロイト博士に診てもらったほうがいいわよ、といわれました。肉屋の店員とすれ違うと、ドーラ、おまえには本物の男が必要だな、妄想の恋をするんじゃなくて、といわれました。ドーラは、フロイト博士によると、性的妄想が強すぎると、ウイーンじゅうの人が知っていると、肉屋はいいました。ドーラに扮したフロイトは、怒りました。このわたし、フロイト博士に性的妄想があるなんて、あんな妄想を抱くのは他人であって、わたしのところに打ち明けに来るのだ、わたしは完璧な人間だ、性的妄想などは子どもや頭のおかしい連中のものだ、と思いました。フロイトの家は爆撃で破壊されており、残った寝椅子に柄の悪そうな男が寝ていました。フロイトは、男に、今日はある女性の患者の姿を借りてみることにしたの、わたしはドーラよ、といいました。男は、ドーラ、お前が好きだといって、フロイトを抱き締めました。ひどくうろたえながらも、フロイトは寝椅子にくずおれました。そこで目が覚めました。

 

 本作品の内容はざっとこのようなものです。

 

 本来フィクションである夢を見る人の夢をフィクションで創造するという、メタ・フィクション(メタ・テクスト)の体裁をとっています。他人の夢を創造するということは、その他人の業績や人格などについて、豊富な知識の下敷きが必要です。夢というものは、現実に体験したことが異様な形状で追体験されたり、記憶していたことが、異様な形で再現されたり、ランダムに組み合わさっています。夢は決して現実と完全に決別しているわけではありません。だからこそ、夢を見る人についての情報や知識がないと、その人の夢を創造することはできないのです。他人の(いかにもありそうな)夢を創造するということは、極めてクリエイティブであると同時に、想定外の困難を伴うものなのです。

 有名な人物たちの夢を覗き見ることは、その人物の深層心理を探るようで、読む側にも楽しみがあります。しかし、この各人物の人生に合わせた創作の夢を味わうには、その人物に関する知識も必要です。そこで、著者タブッキは、この書物の中で夢見る人びとについて、略歴や業績を記した紹介も巻末に付しています。これは親切と言えます。自分が知っている人物についてならまだしも、知らない人物については、その人となりを知らないと、その人が見るという夢の意味も伝わってこないからです。

 本作品は1992年に書かれたものですが、フロイトの精神分析や夢判断の影響も多分に受けています。夢を見る人物の人生経験や押さえつけていた葛藤などが、夢の中で支離滅裂に思える物語となって現われるのです。性的妄想もその一部です。著者タブッキは、夢を見る人物の略歴や業績をもとに、その人が生きていた時に、どのような思いを深層心理に抑圧していたかを類推し、架空の夢を描いてみせました。夢判断の逆を行って見せたわけです。

 夏目漱石の『夢十夜』などなど、夢を描いた文学作品はたくさんあります。しかし、著者タブッキのように、実在した有名人が見たであろう夢をドキュメンタリータッチで描いたフィクションは、他に類を見ません。この架空の夢を読むことで、読者は、その夢を見たという有名人についての理解を深めることが可能になります。「ああ、この人なら、こんな夢を見そうだな」と思える話ばかりですが、そのことが、有名人の抱えていた葛藤、苦悩、妄想などを想像させ、有名人であっても、普通の人と同じように、闇を抱えていることがわかります。

 この夢を巡るメタ・フィクションは、有名人を身近な存在として認知させる効果もあると言えるでしょう。夢の中で、有名人たちは無力です。自分の才能さえも否定されるような夢を見るということは、自分の才能に対する不安の現れともとれます。著名な芸術家といえども、常に、自分のできることの可能性と限界の間で、もがき苦しんでいたのだと思えてきて、共感を読者は抱くことになります。夢の中では、人はみな平等なのかもしれません。