全国の嶽本野ばらファンからカミソリ送られそうなタイトルでございますが(笑)、先日、代々木公園で「エノアール」の花見のあったついでに、野ばらちゃんのサイン会に行って来たので、今回はそのお話をば。


わたしが彼のファンだということは、特にHPの初期の頃、たびたび公言してきました。
何しろ、旅に出る前は「野ばら様」などと呼んで、半分教祖様みたいに崇めていたくらいです(笑)。

新刊サイン会には必ず足を運び、お誕生会のためにプレゼント持参で上京(ビンボーなのに…しかも2年連続)。その頃編集していたしょぼい地方誌で、無理やりインタビューを申し込んで掲載したことや、旅に出てからも何故かイラクからエアメールを送ったこともありました(笑。何を血迷ったんでしょうか…)。


しかし、地を這うような貧乏旅行の中では、乙女&ロリータ道を追求する余裕もなく、また、イラク戦争時に彼がビミョーな発言をしたことがきっかけで、わたしはファン戦線(?)から離脱していきました。だから、わたしが持っているのも『下妻物語』まで。その後に出版された著書もすべて名前は知っているけれど、ほとんど未読です。


それが、何故急にサイン会に行こうと思い立ったのかというと、冒頭にも書いたように、ほんと“ついで”だったのです。

青山ブックセンターで買い物したときに入っていたチラシでサイン会の告知を見、「あ、『エノアール』の花見の日じゃん。代々木公園から近いし、花見の帰りにでも本を買って、久々に顔を拝んでみるか」なんて、これまたファンから袋叩きにあいそうな軽い気持ちで足を運んだのでした。


ただ、もう少しキレイごとを云うならば…かなりおこがましいのですが、昔の恋人に会うような気持ちでもあったのです。
わたしが野ばらちゃんを知ったのは、高校1年のとき。「テレビのツボ」という当時関西で流行っていた深夜番組で、男か女かよく分からない黒づくめの人が、“ヒーロー戦隊における三原色の法則”を、訥々と語るのを見たのが最初でした。挙動不審な雰囲気とイラストの下手さと話の面白さがやけに印象に残り、その後関西版「an」のコラムなどちょっとしたところでたまにその名を見かけるたびに、心に引っかかっていました。


そして、二十一歳のある日、忘れもしない梅田の紀伊国屋書店で、導かれるように『それいぬ』を見つけたのです。
シルバーピンクの表紙に、水のように細いシルバーの文字。“嶽本野ばら”の名前を見たときのあの衝撃を、いったいどう説明したらいいでしょうか。“掘り出し物”なんて言葉ではとても足りない、砂漠の中で光る宝石箱を拾ったくらいの、奇跡の出会いだったのです(わたしにとってはね)。
小説家になってからの本も好きだったけれど、ご本人も書かれているとおり、やっぱり野ばらちゃんは「『それいぬ』に始まり『それいぬ』に終わるのです」。これほど一字一句を大切に読み、読み返した本はほとんどありません。だから今でも、わたしが死んだら、直筆サイン入りの国書刊行会版『それいぬ』を、棺桶に入れてほしいと思っているくらいです。


サイン会は13時から、花見も13時からということで、とりあえずまだ手に入れていない新刊『変身』を買いに、12時50分頃に青山ブックセンターに行くと、整理券番号がなんと16時40分。
そうだった、すっかり忘れていたけれど、サイン会は毎回長蛇の列なのだった…。まあしかし、花見の後、夜は別の飲み会があったので、その合間にちょうどいっか。しかし、花見も早々と切り上げられるわけもなく、そのうち宴もたけなわになり、「サイン会に行くのやめようかな…」と思い始めるわたし。


長くなりそうなので次回につづく。