戦国!風雲!北条戦記 -4ページ目

第五節 【江ノ島合戦】

序章 -室町時代の関東-
第五節 【江ノ島合戦】



文安四年(1447)頃、長らく不在であった鎌倉公方に前公方足利持氏の遺児・永寿王丸(十四歳?)が就任し、翌年には関東管領に足利憲実の子・憲忠(十六歳)が就任した。


永寿王丸は宝徳元年(1449)に元服し、第八代室町将軍足利義成(のち義政)の「成」を与えられて、足利成氏と名乗る。


成氏の公方就任を喜んだのは、前公方・持氏の遺臣や与党で、小山持政・小田持家・宇都宮等綱・千葉胤将らであった。


又、上杉方の中にも、旧持氏方の統制を期待する者達がいた。


逆に、成氏の公方就任を快く思わなかったのは、公方不在・管領憲実の伊豆隠棲で、関東を実質仕切ってきた、山内上杉家の家宰・長尾景仲、扇谷上杉家の家宰・太田資清らであった。


両者の対立は早くも宝徳二年(1450)四月、長尾・太田勢が公方成氏を襲撃したことで具現化した。


公方成氏は江ノ島へ避難し、成氏方の小山・小田・宇都宮・千葉等が、長尾・太田勢と腰越・由比ヶ浦(浜)で激突した。


激闘の末、長尾・太田勢は敗退し、相模国糟屋に退いた。


その後、京の幕府が仲介に入り、八月に公方成氏が、十月に管領上杉憲忠が鎌倉に戻ったが、長尾・太田両氏の処分は曖昧なまま終わってしまい、両者の確執は残ったままになった。



※足利成氏の生年・鎌倉帰還・公方就任の時期については、いくつかの説がある。