「我は復活なり、生命なり、我を信ずる人は死すとも活くべし」 | 防府カトリック教会

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                                    朴 神父

防府教会に初めて訪れた時、考えたことがあります。

「これはどう読むんだ。日本語学校で学んだことない」と。祭壇の上を見上げると「我は復活なり、生命なり、我を信ずる人は死すとも活くべし」と書かれてあるのを皆さんはご存知かと思います。

 イエスの友、ベタニア出身のラザロが死んだ時、妹のマルタはイエスに言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」イエスは答えて、「あなたの兄弟は復活する」と言われます。イエスはさらに、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われ、それに答えてマルタは「はい、主よ、わたしは信じております」と言います。

 イエス様がともにいてくだされば死んでも生き、復活して命にあずかると信じたマルタの信仰は素晴らしいもので、人を魅了します。でも、この出来事の主人公はあくまでもイエス様で、確信をもってご自身のことを明瞭に述べる様子に圧倒されます。防府教会の大御堂に入る度に「あなたは命の言葉、あなたをおいて誰のところへ行きましょうか」とおのずと唱えてしまわれるという体験はわたしだけの体験ではないでしょう。「復活」のことを知らせるイエス様の言葉によって私たちは力づけられて、清められ、新たにされるのです。

 50日間の復活節は「聖霊降臨の祝日」「五旬祭」をもって幕を閉じました。復活のロウソクもしばらくは外に出されることがないでしょう。しかし、教会は「聖霊降臨の祝日」を教会の誕生日、復活祭の完成、第二の復活祭と言います。なぜなら、聖霊を受けた人々が出かけていき、宣教をとおして復活されたイエスを告げ知らせ、古い人間を脱ぎ捨て復活の信仰に生きることができたからです。復活された主に結ばれて、祈りと愛のわざに励み、命をささげるまで主の復活を喜んで延べ伝える人の集いは復活にいきる教会としての姿を示しています。復活された主に結ばれて生きる人の毎日はいつも復活祭で、生きた教会となります。

 復活された主に結ばれることが大事です。そのいつくしみと愛に出会い、その中に生きるために努めましょう。お勧めするのは、日々の祈り、聖書を読むこと、み言葉を黙想すること、意識して愛のおきてを守ること、そして、「ミサ」にあずかることです。

ミサ」は、十字架の上で流されたイエス様の血と水、復活されて弟子たちに現れ、パンを裂いてくださったイエス様の手、すべての町や村を巡り、弟子たちに福音を悟らせながらとともに歩いてくださったイエス様の足、命の言葉を告げ、平和を約束しつつ聖霊を吹き込んでくださったイエス様の口が働くところ。まさに復活のしるしだらけ、復活の記念そのもの、ミサの内に現存するイエス自らが働かれる「ミサ」は「イエス様との出会い」のために、「復活に神秘に結ばれる」に一番適した場所です。「ミサ」に行かないわけがない!毎日行われるミサに皆様を招待いたします。お待ちしております。

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