私はいつもリラックスしている。あせることもなく落ち着いて淡々と日々を過ごす。何かに追われる訳もなく、ゆったりと時の流れを。
安心して、ほっとする。 責めることもせずに全て許し受け入れる。求めているのは安堵感とやすらぎ。十分な財産があり、日々おだやかで平穏に暮らす。
相棒はコーヒー。
たまに本を読んで、知識を養ったりもする。
常に平和を好み、自由を重んじている。 時間を「大切」にする。
人との間には常にやわらかいクッションをはさむことで、「ふわふわ」と心地よい関係を保っている。
私の仕事は主に執筆。思ったことをそのまま文字にする。何の制限もかけてなく、自然体をただ記している。
利益の為でもなく、自分の満足感の為。
儲けが出たらラッキーだ。私は運がいいし、そうなるだろう。何さつも出版したが、お気に入りは、この「あるがままに」というタイトルだ。何事にもさからわない。柳のようにゆれうごく私の心をあるがままにとらえるだけ。
心地よいジャズと共に今私はくつろいでる。
作家になろうと思ったのは、27のとき。
当時、稀に見る病気にかかり、病院のベッドで、何もすることが無かった。その感情を表現するに、ノートとペンは何度も私を救い、はげました。書くと頭がスッキリし、心は和らぐ。 良い気分だ。それから、退院しても私は仕事にはもう戻らなくなっていた。もっと、ゆっくりと過ごして、自分のやりたかった日常を味わい感じていたい。
気ままな暮らしで、何か「大切」なモノを見つける。
仕事は好きだが、今はこれで良い。ただ私が、やるんだという気になるまでは、一生このままか、社会からの脱線による欠乏感による、ラットレースへ戻るかだ。 私はそれを選ばない。
せっかく心地良さを再発見したのだ。もうしばらくじっとしてよう。今は、どんなことでも収入は入ってくる。何が金を持たらすかは予測すらない。 良い気分で居ることより大切なことはない。
自分を深いとこまで許し、見る。認めては愛す。 そんなこと、無駄と思うのは、人の自由。
私はそれをやる。すみずみまでやるのだ。
私が社会に出てから見失ったのは私自身の存在。 だれかにつくし、求め生きることで、自分を成り立たせてきた。数年間。当の私はおきざりにされ、さみしかったろう。その分を私は今ここで、たっぷりと感じている。
私のする呼吸、私の手、私の身体、全てを感じたい。
だから今は、今こそは、1人になるのだ。1人で人生を満きつしている。時に、友人が訪ねてくる。そのときは、外出したりもする。一時のコミュニケーション。それも「大切」だ。しかし、私が今やりたいのは 自分。内なる私へのアクセス。アプローチ。
本来の自然な姿を取り戻したいのだ。時間が
かかろうとも、私は今ここでそれを選んでいる。
だんだん心がいえてきている。身体もリズムが
合ってくる。健康な私。元の気に戻していく。
1番。真ん中の私へとチャンネルを、合わせる。
そこがどんな場所より、安らかで心地よいと
私は知っている。