無駄と思うことに価値があるという考え方 | ホタコンブログ

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ホタコンという屋号で個人経営を始めたのは、義理の父親から引き継いだ土建業が始まり。
山田コンクリート工業株式会社は名古屋市東区で2代続いた土木施工業者だった。

ぼくの生き方なんて無駄だらけだ

 

最近ではLINEツムツムに膨大な時間を使ってしまうし

土日関係なく仕事の時間はあるけど、その代わり平日の昼間から爆睡してユメの中

夕方から酒を飲み始めると大事な打合せだって記憶からなくなっている

 

こんなぐうたらな自分の性格に嫌気がさすのは毎度のこと

そんな自分から逃げたくてお酒の量が増えていく

 

それはそれで生きていくためには収入が必要で

脳みその奥では何やら計算がなりたっているのか

ぼくが生きていくために必要なまじめな時間が存在している

 

不思議なくらいぼくはぼくを生きている

 

 

無駄といえば、反対の言葉で、合理主義なんて言葉がある

トヨタ式カイゼンとかめっちゃ憧れる

資本主義の世界では、合理的で無駄のない生産性の高い作業が要求される

 

 

ぼくなんかハナッカラあきらめて、無駄だと思うことに時間を費やす

でも常に罪悪感みたいのがつきまとう

 

 

ぼくは自分を正当化する言葉に出会うたびに胸を撫でおろす

『一見無駄と思われることに大事な意味があるのだよ』

 

甘えちゃいけないけど、そんな言葉が心に残る

 

 

実は今、ぼくがいろいろやってきた無駄なことが結びついていると感じる瞬間が何度かある

ボランティアみたいなこともいっぱいしたし、今の仕事に普段必要のないような勉強もしたし、

誰かのためにお金を使ったり、時間を使ったり

 

う~ん、ぼくはぼくなりに無駄と思ってなかったかもしれない

 

なんだろう、

無駄だとか無駄じゃないとか、正しいとか正しくないとか、そんなこととは違う価値基準で行動した方がいい気がしていて

楽しい嬉しい優しいとかの感情だとか、好きだとか愛だとか非科学的な症状がぼくたちの未来を決める可能性があってもおかしくないと思うんだ

 

遊びは大事だと思う

無駄だと思うことには価値があるのだろうか