先の選挙では、選挙プランナー?…名前を忘れましたが、政治家を選挙に当選させる人の存在を、YouTubeの文化人放送局を観ていて知りました。
受からないであろう人を当選させる凄腕の人がいるんですよね。
その人の過去がああだこうだという話はここでは置いておいて、
本日は、
「関わらない、気にしない、こだわらない」
という警察署の標語のようなことについて述べたいと思います。

「見られ方」を気にする
と聞くと、人からどう見れているかを気にして行動に制限が掛かるイメージがあるが、
「見せ方」を気にする
と聞くと、センスある人が容姿や言動を自在に選んでいるイメージが浮かびます。
テレビ番組や悩み相談といった私たちが答えやヒントとして捉えがちな媒体での文脈における使われ方がそうですよね。

結果論の無双感は凄いですね。
笑ってヘラヘラして勝てないともっと集中しろと批判する癖に、全英女子オープンで優勝したらシンデレラ扱いですからね。
コメンテーターや評論家の適当さはだんだん上がってきていると感じるのは私だけでしょうか?
かつてほど横並び意識が強くなくなり、レッテル貼りの限られた型に合わせる指導方法から、それぞれの選手の特徴を個性として捉えられるコーチや指導者が増えてきたのが大きいですね。

はっきり言って、結婚観や家族観、社会や文化の変化は私にとって没落と感じる面もあるのですが、横並び意識が薄れたことは、スポーツ界において少し希望として見て取れます。
大坂なおみ選手の躍進時に報じられた、コーチと選手の関係が上下関係から対等な関係へシフトしていることも影響しているのかもしれません。

つまり、何かに支配された状態には伸び代がないということですよね。
現状から変わりたくない保守的な思考回路に陥りがちで、それから脱したとしても、ステージが変わると新たな悩みに支配されます。

社会的な成功という意味では、利権のようなものにすがる生き方を選択するのが正解とされる時代が未だに続いています。
テストで正解ばかり追い求めて、受験勉強という没頭した時間を無駄な時間としてではなく、過去の努力を正当化するために、
報道局の上層部の意向や番組のプロデューサーにウケるコメントを器用にその場で答えられる芸人やコメンテーター。
視聴者の好き嫌いに関係なく、これが今の日本の一つの理想的な社会人像のように感じます。
コメントが長すぎず短すぎず、どんな問題にもペラペラと器用にしゃべられる便利な存在。

メディアでは現政権の問題ばかり取り沙汰されますが、私たちの生活に近いレベルでの閉塞感は社会人のこの意識の方が影響力が大きい気がします。
人口減というマイナスイメージに引っ張られ、多少の我慢はしょうがない、増税や値上げも受け入れるというマインドは何に支配されているのか今一度考えてみてはいかがでしょうか?

怪しい組織による悪事が原因だと考える人が導き出すとしか考えられない報道や社会的風潮を感じることもありますが、その前提を陥りがちな罠の一つとして常に頭に入れるにはどうすればいいのでしょうか。

私がどの分野にも使う一つのやり方があります。
常に相手の目的意識を持つことです。
相手の求めるものは何なのか、は日常のコミュニケーションで役に立ちますし、
相手の最終的な望みは何なのか、という視点から新聞の記事に視点の広がりを持たすことができます。
徹底できないこともあります。
例えば「味方の顔をした」販売員や報道の狙いには気が緩み気付ける余地がありません。
「わからない」ことを教えてもらうという立場においても、他に選択肢を持たず、それを正解だと鵜呑みにしてしまいがちです。
冷静に考えてみれば、これはちょっと怖いことだなと感じます。

歴史は繰り返されるという言葉があるように、これはあのときのものと一緒だと気付くことは大切なことです。
自分の頭にないことから答えを導き出す癖をつける必要があります。
私はそのために、常に他のものに例えるという習慣を無意識にしています。
人の顔を見れば、有名人の誰かを想像したり、事故を見れば似た事例を思い出したりと、日常的な習慣としてやっています。
あるいは、引き出しを増やすことも有効に感じます。
誰かにウケる話のネタというゴールを引き出しに意識して、情報を整理してみたりするんです。
誰かというのがミソなんです。
実際に起きた「他人の究極の経験」を転用し、孫正義にエレベーターの中でバッタリ出くわした場合、何をどう話せばウケるだろうとか。
目的意識を変えることで、普段の消費行動に変化をもたらすこともできます。
安さだけを基準に購入する物を選んでいても、生活が潤う気がしません。
でも、こういった人々の行動の判断基準って単純化されるように導かれがちですよね。
当たり前の行動やゴールが一個のものに創造性を求めづらいわけです。
意識しようとする頭がかたくなってしまいそうですが、他人の話を話半分に聞くのも、非常識な中の上手いやり方です。
不真面目と思われそうですが、他人の話のペースに合わせず、「割り切り、決めつけ」という非常識な習慣を逆利用し、「判断や物事の整理を何度も回転させる」と、不思議と相手への理解も早まり、自分の記憶にも残りやすくなります。

あることを皆が信じて成り立つことを体制と言ってみれば、マスコミの言う現政権という一つの体制に限らず、同時代で似たパターンの体制や、もちろん過去に似た体制に支配されているものとして見てみるのも思考トレーニングになるでしょう。
目に見える現象では、トカゲの尻尾切りとしてその体制の一時しのぎの出来事がボヤ程度に常に起きては消えています。

自分の支柱は、自分で見直すのが難しい。
判断基準に大きく影響し、過去に作られたイメージやプライドが左右している。

世の変化は著しく、今日もスマホにアプリのアップデートの通知が山のように来ている。