ケン太「そろそろ続けようか?」
諏訪「そうだな。 今回は遊ばないぞ!」
神崎「本当ですね? 信じていいんですね?」
…
諏訪「今回は、織田常松について説明しよう」
神崎「織田家で最初に尾張守護代なった人ですね」
ケン太「そもそも… 織田家が尾張に根を張り始めたきっかけは?」
諏訪「主君の斯波義重が、応永の乱で活躍した事が認められ、応永七年(1400)に尾張守護に任じられた事だ」
ケン太「へ~、そこで常松が、尾張守護代に任じられた訳か」
諏訪「いや、最初は越前守護代の甲斐将教が、尾張の守護代も兼務していた」
神崎「最初からではないんですか?」
諏訪「うん。 …で、2年後に『教広』という人物が、守護代の権限を行使しているのが、織田家の尾張守護代としての初出だな」
神崎「それが常松ですか?」
諏訪「…と、言われている」
ケン太「煮え切らない答えだね。 どういう事なの?」
諏訪「この、『教広=常松』は間違いないと思うんだが…」
神崎「だが…?」
諏訪「この教広と、ほんの9年前に織田劒神社に願文を奉納した『兵庫助藤原将広』との関係が、学者の間でも意見が分かれているんだ」
ケン太「考えられるのは…
1.親子
信昌
┃
将広
┃
教広
2.兄弟
信昌
┣将広
┗教広
3.同一人物
信昌
┃
将広(教広)
…こんな感じ?」
諏訪「そう、郷土史家の横山住雄氏や新井喜久夫氏は、『将広=教広』という同一人物説を唱えているが…」
ケン太「…が?」
諏訪「先代の主君から拝領した偏諱を捨てて、現当主から新たに一字拝領するとは考えられないね」
神崎「しかも、まだ義将は存命してますよね」
ケン太「という事は、別人?」
諏訪「そう考えるのが、自然だな」
ケン太「じゃあ…、将広が斯波義将から、教広が斯波義教から一字拝領してるなら、将広と教広は親子じゃないかな?」
諏訪「お、鋭いな。 …普通ならば、それで正解だ」
ケン太「…って事は、違うの?」
諏訪「うん、ここからが俺の推理だが…」
ケン太「お、ようやく探偵めいた推理が来たね!」
1尾張守護代として教広の名が見える9年前、将広は兵庫助を名乗っていた
2後の織田伊勢守家当主は、『兵庫助』→『伊勢守』と名乗る傾向にある
3劒神社への願文や受領名を名乗っていない事から、将広は壮年には至っていない
諏訪「この三つの情報から導けるもの…それは…」
神崎「(…ゴクリ)」
諏訪「将広と教広は兄弟だった…という可能性だ」
ケン太「…なんで、そういう結論?」
諏訪「教広は、応永九年に出家しているからだよ」
神崎「あら、守護代になってすぐにですか?」
諏訪「応永九年12月以降、教広は『伊勢入道』、一緒に出家した織田左京亮は『沙弥常竹』として出てくるからね」
ケン太「なんで一緒に出家したの?」
諏訪「たぶん、斯波義教が応永九年に出家したのに合わせて、頭を丸めたのだと思う」
ケン太「…で、それが将広となんの関係が?」
諏訪「考えてごらん? 9年前にまだ受領名を名乗っていなかった将広が、仮に教広の父だとしたら…」
ケン太「したら…?」
諏訪「教広は主君が頭を丸めた時点で、何歳だろう?」
神崎「あ…」
諏訪「なんぼ主君に忠を尽くすにしても、10~20代前半で頭を剃るかな?」
ケン太「……考えにくいね」
諏訪「そう、その後『伊勢入道』、或いは『常松』として、尾張守護代に君臨する事を考えると、9年前にまだ受領名を名乗っていなかった将広と同年代…と考えるのが自然ではないかな?」
神崎「では、その将広はどこに行ってしまったのでしょう?」
諏訪「一番考えられるのは、既に故人の可能性かな?」
ケン太「故人の可能性!?」
諏訪「うん。 例えば、斯波義教が尾張守護を得るきっかけとなった応永の乱は、義教自身が負傷するほどの大合戦だった…」
神崎「その乱の最中、討死したと?」
諏訪「あくまで可能性だ。 じゃなきゃ願文で嫡男と呼ばれている将広が、尾張守護代になっているはずだから」
ケン太「じゃ、…じゃあなんで『教広』なの? 斯波義教は応永七年(1400)まで『義重』だったんでしょ?」
神崎「将広と同年代なら、『将○』か『△広』になるべきでは?」
諏訪「そう、だから尾張守護になって名を改めた義教は、兄将広を失った弟に、『教』の偏諱を与えて尾張守護代として報いた……こうは考えられないかな?」
神崎「…証拠はありませんよね?」
諏訪「確かに史料はない。 …だが、兄弟説の論拠は納得できないかな?」
ケン太「まぁ、出家する年齢的には、将広の子供ではなさそうなのは納得」
…
ケン太「先生、守護又代の常竹(左京亮)と常松は、どういう関係だろう?」
諏訪「これまた、兄弟だと思う」
神崎「さらっと、言い切りましたね」
ケン太「根拠は?」
諏訪「戒名の『常松』・『常竹』という序列性のある字がまず一つ。 それと…」
ケン太「それと…?」
諏訪「彼らが名乗った受領名が、もう一つの根拠だね」
神崎「二人の受領名…ですか?」
ケン太「え~と、常松が『伊勢守』で…」
諏訪「常竹が『出雲守』だ」
神崎「え~と、………どういう関係が?」
諏訪「伊勢国で一番有名な神社は?」
神崎「もちろん伊勢神宮です」
諏訪「では、出雲国で一番有名な神社は?」
ケン太「出雲大社」
諏訪「その通り。 そこまで来たらもう判るんじゃないかな?」
2人「??」
諏訪「やれやれ…、伊勢神宮の主祭神は?」
ケン太「天照大神(アマテラスオオミカミ)!」
諏訪「出雲大社の主祭神は?」
神崎「大国主命(オオクニヌシノミコト)です」
諏訪「ところが、中世の出雲大社の主祭神は大国主命ではなく素戔嗚尊(スサノオノミコト)だった。 素戔嗚尊は天照大神の何?」
ケン太「あ……」
神崎「…弟です」
諏訪「そういう事だ。 初期の織田家は信仰心が強い家だった。 いかにも、らしい兄弟の表し方だとは思わないかな?」
ケン太「なるほどね~~」
諏訪「さて、今回はこの程度にして、そろそろ政治史に入っていかねば…」
神崎「では、次回お願いします」
~続~