わが子とお別れしてからこれまで、寝ても冷めてもずっと泣きながら書いていたブログ。もう、書き残したことはないなあと手が止まりました。
それから一ヶ月半が過ぎ去りました。またこうして久しぶりにブログを開いて、今の思いを綴らせていただきたいなあという気持ちが湧いてまいりました。
あの子は、私が妊娠三ヶ月の時に亡くなりました。生きて会えることはできませんでした。でも、この天と地は神様のお体なのです。天からお授け頂いた御霊は永遠に生き通しであり、肉体はいずれ地へと返ってゆきます。
御霊は生き通しですので、よく言われる「生まれ変わり」というのは、私は信じてはいません。なぜなら、わが子の御霊は、今も私の側にいるからです。ずっと、私の側で生き続けていることを感じるからです。いつも一緒にいることに変わりはないからです。「また次があるよ」とよく励ましていただくのですが、私にとってこの子はこの子であり、やっぱり誰かが代わりになることもできないなあって思います。
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たとえ二番目の子を授けていただいたとしても、あの子を失った悲しみはこの先もずっと癒えることも、薄れることも無いなあと思います。ただ、「悲しみ」ってとても穏やかなものに変化するんだなあと知りました。時に悲しみは「温かいもの」でもあるんだなあ、と感じながらまた悲しみの涙が流れていきます。でも1ヶ月半前の、あの時の頬がヒリヒリするような涙とはまた違い、温かいのです。
お別れを受け入れられない時は、激しい感情の波に襲われていました。
苦しくって、気持ちのやり場がなくって、八つ当たりの一つだってしたくなるものです。
でも、もう会えないんだな、もう二度と会えないんだなと、お別れを受け入れることができはじめた時、激しい感情の波は徐々に消えていきどこか絶望にも似た気持ちになりました。そしてしっかりと形にしてお別れが出来た時、穏やかに晴れた空と海のように、温かい感情に包まれていきました。
けして悲しみが消えたわけではありません。
悲しみを胸に抱きつつも、再び我が子を別の形で愛することができるようになったのだと思います。
一年経てば、御霊として一歳を迎えます。私も親として一歳を迎えます。
二年経てば、御霊として二歳を迎えます。私も親として二歳を迎えます。
毎年、この子が御霊となってからの誕生日のお祝いをさせていただくことを、今はとてもとても楽しみにしています。
部屋の神棚には、亡くなった時のエコー写真と、ガーベラのお花と、たくさんのお菓子がお供えされています。
そしてもうすぐ50日祭をお迎えします。50日祭とは、個人が亡くなってから50日目の節目に行われる儀礼のことです。仏教でいうところの49日法要にあたり、50日祭の持つ意味も仏教の49日法要とよく似ています。
和清くん。50日間、いつもお母さんのそばにいてくれてありがとう。どこに行くにも一緒だったね。いつもいろいろ対話して、楽しかったね。ありがとう。
真心を込めて、50日祭のご祭典をお仕えさせていただきたいと思っております。
(つづく)
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