入院した日の翌朝、腹痛も穏やかに、出血の量も徐々に減っていきました。内診していただき、子宮の中も残らず綺麗になっているとのことで、午後に退院が決まりました。
心は深く傷ついていても、身体はわりと元気なんだなあ・・・もう退院できると聞いてホッとする気持ちと共に、心が置いてけぼりになったような違和感を感じました。だからなのか、看護師の方から「二週間後の診察までは、湯船には浸からないでください。安静にしておいてください」という説明を受けた時、なんだか少しホッとしたのです。
院内ですれ違う方はお腹の大きな妊婦さんばかり。産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしている方も大勢いらっしゃいます。
大きなお腹のお母さん
赤ちゃんの泣き声
家族が嬉しそうに来院する姿
子どもがはしゃぐ声
どれをとっても、つい三日前までは、そんな幸せが当たり前のように私にも訪れるのだと思っていました。この先もずっと、お腹の子と一緒に生きていくのが、当たり前だと思っていました。ここは産婦人科だと分かっていても、自分が失った物を目にする度に、悲しみが大きな波のように襲ってくるのです。ヒリヒリと心が焼けるように痛く、孤独を感じるのです。
でも私は、この痛みが嫌ではなく、嬉しかったのです。悲しみや、苛立ちや、虚しさや、羨ましさや、絶望感が、行ったり、来たり、繰り返したり、そんなごく自然な心の動きが、感じられることが嬉しかったのです。
◯
私は過去、そういった感情を感じないように生きていました。そして、蓋をし続けた心はついに悲鳴をあげ、摂食障害を発症しました。しかし、金光教の先生に出会い、先生のお取次をいただくようになりました。私は蓋をしてきた感情を吐き出し、それを親先生に受けとめていただく中で、20年苦しんだ過食嘔吐を克服したのです。
心に蓋をして生きていても、いつかは心は壊れてしまうのです。
感情は、蓋をし続けることなどできず、忘れることもできないのです。
感情は、「受けとめてもらうこと」でしか癒やされないのです。
どんな苦しみも、悲しみも、吐き出し、受けとめてもらうと、不思議と消えていきます。
時間はかかっても。10年、20年かかっても、必ず消えていきます。
だから私は、お取次の大切さを改めて思います。
◯
ここに来院されているこの大勢の方の中には、私のような流産や死産を経験をされた方が少なくともいらっしゃるのだろうと思うと、いたたまれない気持ちになりました。
みんな、安心して感情を吐き出せる場所はあるのだろうか。
命を受けとめてもらえる場所はあるのだろうか。
一人で心に蓋をしてしまってないだろうか。
我慢してないだろうか。
たくさん涙を流してほしい・・・聴いてあげたい・・・命を受けとめてあげたい・・・私は、いつも、お教会のお広前を守らせていただきながら、そればかり思っています。
私がこの日の診察中、医師にかけられた言葉がありました。それは、「今回は残念でしたけど、でも一度は妊娠できたのだから、また妊娠できるということです。気を落とさずに前向きに取り組んでください」とうことでした。
その言葉を聞き、心の傷がさらにさらに深くなったことを覚えています。なぜなら私の目的は「妊娠」ではなかったからです。私はただ、神様から授かった命の奇跡を、ずっとずっと守り育てたかったのです。だから医師から「また妊娠できる」と言われると、なんとも悲しく虚しい気持ちになりました。
また妊娠できても、この子はもう返ってこないんだけどなあ・・・この子の変わりは、どこにもいないんだけどなあ・・・ただそういった喪失感を、受けとめてくれる場所は、世界中探しても、あまりないのかもしれない。ただ、ここ、神様のお広前をのぞいては。
だから私は、神様のありがたさ、たましいの親のありがたさ、お取次のありがたさ、を伝えずにはいられないのです。
どうか、ひとりぼっちで抱えずに、聴かせてください。あなたが抱えている思いを。ここ、神様のお広前で。
(つづく)
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