掻爬手術後、入院した日の晩のことでした。痛み止めをいただき、少しずつ痛みが引いていくと同時に、意識がはっきりし、得体の知れない不安に襲われていきました。そして一睡もできなかった私は、再びスマホを片手に「稽留流産」を検索しはじめました。何を探しているのかも分からないまま・・・

 

すると、ある方のブログに辿り着きました。読みすすめていくうちに、私はハッと目が覚めたような気持ちになりました。そこには、私が探していた答えがあったのです。

 

そこにあったのは、同じように稽留流産を経験された方が綴られた"素直な気持ち"でした。悲しみ、苛立ち、そして虚しさ、不安・・・ありのまま綴られた気持ちの中には、悲しみだけではなく、喜びや、嬉しさが見え隠れしました。その中には、けして綺麗ではない、妬みや羨みの気持ちが見え隠れしていました。私は、一生懸命に綴られたであろうブログに共感し、ボロボロと涙が溢れてきたのです。

 

 

 

 

そして、また別の方のブログに辿り着きました。それは死産を経験された方のブログでした。同じくそこには、誰かに遠慮したり、誤魔化したりしていない、ありのままの気持ちが綴られていたのです。

 

ブログを綴っているどの方もみな、症状や経過は異なるけれど共通するのは、"我が子を失った喪失感”と、"そこから抜け出そうと必死に努力する姿"でした。そしてどの方もみな、悲しみから逃げず、真っ直ぐに向き合い、自分の気持を綴っておられることに、驚きを隠せませんでした。

 

私はブログを読みながら、ずっと涙が流れていました。自分でも気づかなかった自分の中の感情が溢れ出てきて、泣けてくるのです。そして涙を流す度に、私は癒やされていくのです。

 

悲しむことこそ大切なんだと、頭では分かっていたはずなのに、改めて気付かされたのです。様々な感情が行ったり来たりするのが、ごく自然なことなのだと、改めて気付かされたのです。そして、たくさんの方のブログを読み、こう思ったのです。

 

悲しみは、乗り越えるものではないのかもしれない・・・悲しみと共に生きていくものなのかもしれない・・・そう思った時、とても心が楽になりました。そしてその時、こんな気持ちが芽生えていました。

 

「亡くなった小さな命に、もう一度触れたい。もっと我が子と向き合いたい」

 

それは、私がブログを綴ってみたいと思った瞬間でした。

 

 

 

 

翌朝、夫に今の気持ちを伝えました。しかしブログを綴りたい気持ちは、恥ずかしいのでまだ心に秘めたままにしておきました。夫はにっこりと笑いこう言いました。

 

「悲しんだり、苛立ったり、感情的になることは、全然悪いことじゃないよ!悲しみの大きさは、命の重みなんだから。『命は重くないとあかん』って先生が教えてくださってるよね!」

 

そんな夫の言葉を聞き、我に返りました。「こんなに泣いたのだから」「こんなに聴いてもらったのだから」「だからもう大丈夫!」と勝手に悲しみに目安を付けてしまい、命の重みを軽くしていたのかもしれない・・・

 

私は心の中です〜と心が楽になり、ブログの記事のどこかに、この時夫が言った「悲しみの大きさは、命の重み」という言葉を綴ろうと決め、メモをしました。

 

今もどこかで、赤ちゃんの死という現実がつきつけられ、悲しみにくれている方の力になりたい。そう思った時、絶望の中に一筋の光が差し込んでくるのを感じていました。

 

 

(つづく)

 

 

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