袋井駅より。週末の 予定が 飛んだ 為、一日滞在を 延長した。
夜、中三の頃の 友人から 電話が あり つるんでいた 友人達と 会うことに。
誘ったが一人断られたそうだ。せっかくだからと 私も電話してみた、
「俺 福岡の 田川に いるんだけど…太田川と 勘違いしてて しつこい」と、苦情を言われた九州じゃ来られない。
太田川とは 袋井市内を 流れる 川だ。誘ったやつも なぜ 太田川にいるのか 気にならなかったのか?!
九州の 友人は なかなか やり手だ。
ピザ店舗を 神戸で 二店舗 構えてる。今は カミさんの実家の田川。 醤油蔵 を取り壊すのは 勿体無いので 改築して ピザ屋に 改装したらしい。
店舗動画は YouTubeにも 上がってるし モダンな ガラス ばり 吹き抜け と 醤油蔵つくり の 味わえる 空間だ。
元々 洒落た モンに こだわりを 持つ 男で あったが 内装工事技術と ピザ焼きを マスターし 自分でも 店を 開いたそうだ。
単身関西に行き 自分で 身を立てたんだから 感嘆する。ビザの窯も 自分でつくったそうだ。田川の醤油蔵で 観れると 思う。関心があったらどうぞ!
彼は 勉強熱心では 無かった。受験だ 何だ言って 夜中に 勉強しないで 奴と 長電話してた事を 思い出す。
携帯のない時代、家電で 数時間話して 寝る のが習慣の 時期もあったほどだ。親が寝静まってからの 長電話。市内電話だから 電話料金は 跳ね上がる こともなく 楽しかった。
他愛ない事を 話して 眠そうに 登校する 毎日、その甲斐あって 二人とも 優秀な進学校への 入学は しなかった。
で 今晩は 彼を抜いた 卒業旅行に 行った メンバーで 集まった。
矢張り くだらない事を 話しているのは 変わらない。それぞれ 子供もいたり 、 祭や 運が悪いと 消防活動にも 参加しなくては ならない。
祭が 好きだった男が 祭の 主催で 苦労してる、、、大人になったものだ。
袋井市の 祭りは かなり 華やかな もんだ。山車で 練り歩く。掛け声で ぶっ騒ぐ 太鼓 締め太鼓 大太鼓 ヨスケ、笛、三味線があれば 寄席で お馴染みの セットだ。
笛は 大人だが 太鼓は 子供も 叩けるよう 稽古するのだ。
中学生は 特に 祭熱が 一番上がる年頃らしい。ただでさえ 高揚する祭。思春期で 男女入り乱れる 機会というのが 原因だろう。
私は 逆で 冷めてきていた。高校からは 参加しなくなった。汗だくで ひっ付き合い 叫び声を 上げる。どう考えても 尋常な神経じゃないと 思った。
で 祭後に つきあうのつきあわないのと まだ さかりはついたまま。まあ 私が モテててたら 祭も満更 でも無かったかもしれないが…ともかく 徒党を組んで大声を出す、 汗まみれで くっつくことが 破廉恥に 見えて 嫌悪した。
体育会系なノリ、ヤンキーチックな地元意識へ 侮蔑を 向けることが 私の ロックな 信条でもあった。
今は 打楽器に合わせ 身体を 動かし 声をそろえて みんなで 狂騒状態に 入る。ガムランでも ケチャでも タムタム でもいい、太古から 伝わる カタルシス 行為 集団で トランス状態になる ものとして 興味深い。
我々の年代が 祭運営の 誘導だ。祭青年 として 会合 準備 他町との 連携 道順の 誘導など してる。青年というより おっさんなのだが 安全に 遂行する側になった。
ロクデナシ中学生を 取り締まる!かつて 奴らは 取り締まられてたくせに… それほど 大変だったとは 私も 知らなかった。さかりが ついて 粋がる 中学生などは 迷惑なのだ。
確かに 二輪山車の 練り歩きは 危険だ。転んだら 何百キロの 下敷きになるしね。
私も大人になったが 当初、 同級生に 落語している 姿を 観られたく無かった。会って 話すのは 何でもない 事だが 落語は 恥ずかしいのだ。
けど キチンと 出来れば 恥ずかしいことでもない。上手くならなきゃね。やはり まだ 恥ずかしいかもしれない、、、。
ともかく 友人も私も おっさんになった。変わるとこ 変わんないとこ は ある。それぞれ 家庭やら 地域 仕事で 責任のある 立場にいるのが 不思議な感じ。 私が 成熟できていないことは 思い知った。
以前なら 真夜中まで だったが 早々に 解散した。アルコールが残ると しんどいらしい、、当たり前か、、、
まあいいや ニンニクの 串を 食べたら 部屋中 ニンニク 身体からも ニンニクを 発するらしく、帰ると 母が 不機嫌。臭い臭いと ご立腹。
そうゆう 悪い集まりに 参加するんじゃない!と言われた。悪い とは心外だ まともになっとる。あんたの 息子が 一番ダメなのに、、、
親の意見は 聞かねばならん これからは ニンニクの集いには 注意しよう。
