ちょうど1週間前の先週の日曜日、

村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』に登場する

免色さんのモデルについて、

思うことを書いてみました

(5月6日付「村上春樹『騎士団長殺し』の

免色さんのモデルは坂本龍一である!」参照

https://ameblo.jp/hoshitsuru/entry-12373817064.html)。

今日はですね、その時に書きそびれたことを

書いてみようかなと思っております。

なので、今日もちょっと道北ネタはお休みでございます。

村上春樹に興味のない方には、なんだか全然わかんない話に

なってしまうと思います。済みません。

明日からはまた道北ネタをコツコツと書くつもりです。

それが望まれているのかどうかはわからないけど。

 

さて、免色さんのモデルが坂本龍一ではないかと思うに理由として

①免色と『禁色』の語義・語感が類似している点

②免色さんがスタインウェイのコンサートピアノを愛用している点

③免色さんが見事な白髪である点

などを1週間前のブログでは挙げました。

でももう一つ、そう思わせる理由があるんです。

それは免色さんが

亡くなった恋人の美しい衣服を大量に所蔵していること。

これって村上春樹の過去のある作品を思い起こさせますよね。

それは『トニー滝谷』です。

トニー滝谷も亡くなった買い物中毒の奥さんが残した大量の服を

そのまま所有していました。

 

 

これってどういう意味なんだろうなぁと、

『騎士団長殺し』を初めて読んだ時から

気になっていました。

 

最初は、やっぱり同じようにトニー滝谷が登場する

『ねじまき鳥クロニクル』とのつながりを示す

サインなのかなと漠然と考えていました。

『ねじまき鳥クロニクル』と『騎士団長殺し』が

いわば陸続きの物語で、

同じように軍隊のようなシステムが生み出す

残虐や悪意を見つめ、

それを克服する道を探すというテーマを持っていることを

読者に暗示しようとしているのかなと。

 

でも、ふと、

もっと簡単なことなのかもしれないとも思ったのです。

というのは、『トニー滝谷』は

村上春樹の小説の中では数少ない映画化された作品。

映画では主人公はイッセー尾形、亡くなった妻を

宮沢りえが演じていました。

そしてこの映画の音楽を担当したのが、

そう、ほかならぬ坂本龍一なのです。

免色さんがトニー滝谷と相似していたのは、

実は免色さんのモデルが坂本龍一であったために

起こった事象ではなかったのか、と。

 

 

ここから先は完全に私の憶測ですが

(まあ、ここまで書いたことも

憶測以外の何物でもないのですが)、

そういう意味では『騎士団長殺し』の物語の後半で、

秋川まりえが亡き母の美しいイフクに護られて

得体の知れない存在から逃れるというシーンは

おそらく作者が最初から構想し、計算したものでは

なかったのではないかとも思えるのです。

最初は登場人物のモデルを暗示するため

という理由で盛り込んだ設定が、

最終盤でもっと重要な役目を果たす設定として

使うことができることを

作者自身が発見したのではなかったのかなと。

“使える”というのが言葉として軽ければ、

“繋がる”といったほうがいいかもしれません。

そういう作者自身も考えていなかった繋がりが現れてくることが、

作者にとって長編小説を書くことの快楽なのかもしれない。

そんな風にも思えるのです。

 

はてさて、『騎士団長殺し』をお読みの皆さんはどう思われますか?

ちなみに下の写真は偶然ですが撮影中にブレて

月が2つに見えるように写ったもの。

これはなんとなく『1Q84』ぽくないですか?

もちろん、これは正真正銘の偶然ですけど。