私がここに書いてる記録は


自分の中からっていうよりも


自分の中からっていうのもあるけど


ほとんど誰かが言っていたこと


それを総合的につなぎ合わせて行った結果見えてきたもの


総合的にって言っても全部を知ってるわけじゃないと思うんだけどさ


ある程度の、、、って言ってもどの程度?って言われそうだけど


でもある一定の情報量を自分の中で貯めて


総合的に見ると


なんか辻褄が合わないところがいっぱいあるんだよね


つまり何が言いたいのかって言うと


スピリチュアルを何にも知らない人でも


きちんと何が真でそうじゃないか


それは見極められるということ


真っていう言い方もちょっとどうなんだろうなって思ったりもする


なぜなら一人一人に真実ってあるし


真実って言ってもその種類も数豊富にあると思うの


だからこれだっていうものはないけど


ただ何が本当に正しくてそうじゃないのか


これくらいは分かるよ


こういう話をするとまた正しいとか間違いとかそういうのないよね?とかいう話になるけど


でもまあ人間の世界はそういうものがあるし


道理とは何かみたいな話になるから


正しいも間違いも確かにあるのよ


見えない世界のめっちゃ根源的な部分からそういうのを見ると


別にただそれはそうであっただけっていう話になるから


そこにはもう善も悪も何もないの


ただ単にそういう状態でしたねっていうだけ


そういう部分と人間の世界のこの辺の話を一緒にするとわけ分かんなくなる


信念とかもそう


人間とってはとても素晴らしいものだし大事なものだし


素敵なことなんだけれども


それもすごい意識が働いてて


人間というこの思考が生み出しているもの


それを言われたらさ


もういろんなことが否定されてるような気分になるけど


これもある意味では人間の人間としての執着みたいなものとも言える


信念ってすごく大切だけどさ


ちょっと違う視点から見るとそんな感じになっちゃったりするんだよね


そこの矛盾とか


それをね


なんか薄々感じてる時とか


そういう話をしている人の話とかを聞いた時の


その何とも言えない気分になる感じ


えじゃあ何だったの?みたいな


そう思っちゃう自分もまた自分という幻想に囚われているようなものなんだけど


この辺の話ってなんか頭がおかしくなってくるからあんまり触れたいけど触れたくない


私がうまく言語化できずに自分の中で思っていることを処理できなくておかしくなりそうだから


でもスピリチュアルを全く知らない人でも


人の話をたくさん聞いていると


わけが分からなくなる時もあるけれど


でも知っていることは増える


未だに知らないこともたくさんあるけど


でも一体どういうことを伝えたいのかっていうことは全体を通してみると


おそらくこういうことなんだろうっていう目処はつくの


でその上でそれが目的なのであれば


じゃあどうして行ったら良いのかっていうことを考えた時に


いろんな穴が見えてきちゃうわけ


あれ?そのやり方で本当にいいのかな?とか


そうは言ってるけどこれって結局こういうことに繋がらないか?とか


だから表向きにはすごく耳障りの良いような話があったりするけど


でもそれって本当にそうなのか


そういう疑問を持たせたのはあなた方なんだよね


発信してる方々なんだよね


私は何にも知らないからあなた方が話していることを数多く聞いて


多方面から物事を見た時に


やっぱりなんか引っかかる部分が出てくる


なんかよく分かんないけど最近偽物の神託とかあるそうで


それもまたね


なんか二元論の世界にありがちだなって思いながら見てるんだけど


正しいものと間違いがちゃんと存在してる


進ませようと思う者と後退させようと思う者


なんなら後退はさせずともそのままそこにとどまらせようとしてるとも言えるけど


意識の進化とかそういう話なんでしょうけど


私にはちょっとその辺の詳しいことは分からない


というかそこに私いないからさ


神託を聞くとか聞かないとか


もうその時点でそこに参加してない人だから


全然違うところから物事を見ているので 多分気づくんだと思うの


だって自分が一緒になってその中にいたらその中でしか物事を見ることしかできない


でもそうじゃないところにいれば


もうそこが


くっきりはっきりしっかり見れるから


やっぱ渦中に入らないのが一番いいなっていう感想を私は持ってる


だから世の中がアセンションの話とかで盛り上がってるけど


当初は私もやんなきゃいけないのかな?とか思ってた


だってなんかそういう情報がいっぱい自分の周りにあるから


スピリチュアルを全く知らないところからそういう話を耳にするようになって


これなんか意味があるのかな?と


自分自身に関係あるのかな?とか思ってたけど


だけどなんかやりたい気がしないの


乗り気じゃないの


アセンション?


ふうんってのが一番最初に持った印象


それにそれ何?って思ってたし


そういうのがあるんだなと


だけどそれを聞いた時も本当にこれってやんなきゃダメなのかな?とか


やる気が出ないんだよね


というよりもなんか疑問しか浮かばなくて


見えない存在 含めこの人たちはアセンションの話をしているのに


なんでこんな風にかき乱すような話ばっかしてんだろうな


なんでこんなに自分たちで二極化を進めるんだろうなっていう印象 


意図的に分けようとしている感があって


これは私の中では何これって思ってさ


ここに参加したいかって言われたら参加したくないと思ったの


ただ観察してるだけが良いなって


この中に巻き込まれたくないな


悪い物っていう意味じゃないけど


正直二極化の波とか多極化に向かうとか色々言われてるけど


ここの流れ自体を私はあまり好んでなかった


どうでもいいわけじゃないけど


なんかね


どうにも嫌だったんだよね


自分の中でなんかそれ違うっていう感覚があって


私アセンションするとかしないとかそもそもそこにいないわ


なんか見てるだけの人みたいな気分だな っていう印象を自分に自分で持ってて


ただただずっと観察し続けてる


その上で気になる部分を自分なりに分析して


そしてまとめてるだけ


なんか傍観者っていう言葉があるんだけど


それに近いかもしれない


だけど何だろう


立会人的な感じも自分の中にあって


でも立ち合ってる感じはしないんだよね


言葉的にとか、自分のことを役割とか思いたくないけど


もしも何か役があるとしたならそういうポジショニングにいるのかな?みたいな気分にはなる


あえて参加せずに


事の成り行きを見ながら


アセンションするとかしないとかどちらにもつかずに


ただその場を見て


何か思うことがあったら


助言できるような立場ではないけど


そんなに何か知ってるって訳じゃないしね


でも何かこう気になることをピックアップするような


なんかそんなことをしているような気もしなくもなくて


だってあまりにも私他の人と考えてることが違いすぎると思う


見てるところも多分違うと思う


目に見えない存在に向かって物申す人もあんまりいないと思うし


スピリチュアルというものに決まった固定パターンとかないと思うけど


でも何かしらというパターンが形成されてるとしたらそこから外れてると思う


本来はそういう反応しないよねっていう反応をする


もうなんか


場面展開の時に現れる人みたいなさ


誰だったかがねまるでトリックスターみたいだねっていうことを言ってて


最初あんスタを思い出しちゃったけどさ


あんさんぶるスターズっていうアプリがあるの


その中にTrickstarっていう名前のユニットがあって


気になる方は調べたらすぐ出てくるのでぜひ


話を戻すけど


そういう感じにも思えなくもなくて


自分の立ち位置がもし何かあるとしたら


なんかそういう感じなのかな?と


なんか変なんだよね


あんまりどんな話を聞いてもそうなんだ としか思えないんだよね


心から何かやらなくちゃっていう気にならない


頭では一瞬やらなくちゃいけないのかな と思うんだけど


でも本当にやりたいのか?って問うと全然何かやりたいっていう気にならない


むしろめんどくさと思ってるの


すこぶるめんどくさくて


もうやりたくないというか関わりたくないっていう感想を持つ


なんかグループに分かれて派閥ができてるような気分になったり


何が正しくて何が正しくないのかの言い合いとか


何だろうね


考えたら分かるようなことが分かっていないとか


すごい上から目線に聞こえたら申し訳ないんだけどさ


スピリチュアルがすごく稚拙に見えちゃって


なんでそんなことをそんな真面目にやってんの?みたいな


そんな事っていうのは未だにそういう


眠ってるとか目覚めてるとか


五次元から見るとどうのとか


三次元との比較みたいなものが多くて


なんでそういう発想になっちゃうんだろうね


と言っても私もね


絶対に偏らずに話しているかと言われるとそうではないと思う


人間だし思いっきり自分の考えを主張しているとも言えるし


それって偏りとも言えるから


偏見ではないとは言えない


状態としては確かに五次元意識の方が三次元意識の中にいる


うーん


三次元意識の状態でいる時よりもの方が適切かな?


その時よりもより一層世界に対しての受け取り方や見方が変わる


なんか捉えることができる範囲が広がる感じ


こういう見方もできたのかとか


人間の可能性が広がるっていうのが一番しっくりくるかもしれない


そういう意味でね


三次元の意識よりは五次元意識の方が様々なことが今まで以上に理解できることになるからよかったらどうです?っていうのであればそうだね、いいねと思うんだけど


別にどっちがいいとか悪いとかないし


そこに本当に優劣は全くなくて


だけど三次元式の状態だとこうなりますよとか


なんか最悪な話ばっかするじゃん


地球が滅亡するとかさ


人間は滅ぶとかさ


すごい極端な話ばっかりするんだよね


そうなりたくなかったら、そうなりたくないのであれば五次元意識に移行してって言うんだよ


だけど五次元意識に移行してくださいとは言わないの


従来(三次元)の世界と新しい(五次元)世界の状態とかそういう話をして


どちらがより好みでしょうかと


そして選択するのはあなたですと


2つの選択肢を用意して


そのどっちがいいですか?って聞くんだよ


それが意味が分からない


結局比較してどっちがいいかって比べてる時点でさ


根本的に持っているエネルギーは


もしくは別の言い方にするのであれば根本的に流れているエネルギーは比較


結局どこまで行っても


どんなに言葉の上では比較じゃないよとか


そういうことを言いながらも


結論ずっと比較


この状態でいくら今までと違う考えを持とうと


全く違う道に進もうと思う


ベースがずっと変わらないから


土台が一緒で新しいものを用意したって変わるわけないじゃん


土台が一緒なんだもん


始まりのスタートが同じだったら


全く違うものにならなくない?


多少の違いはあれど


同じ流れをずっと汲んでるんだもん


そこに全然気づいてくれないというか


なんでずっと同じ話ばっかするんだろうなって思ってて


見かけだけは確かに変わってるように思えるけど


エネルギー上でも変わってるとか言うけど


本当に変わってんのかな?と思っちゃう


それはこの比較とかがあるこの世界の中では変わってるのかもしれないけど


でもそうじゃないところから見ると


なんかすごい(その変化は)微々たるものなんじゃないのかなって


実際にエネルギーの変化なんて全く分かんないけど


他人の言動とか


他社が伝えてくる目に見えない存在からのメッセージとか


そういう物理的なものから分析すると


結局いつまでも同じところの中にいて


その中だけで進化、成長してる


だから結果的にはまた同じところに行き着く


円環、繰り返し


それの何が面白いのか


楽しめばいいけどさ


私が全然面白くも何ともない


どっちかって言うとまた?と思ってしまって


だから同じ本の新しいページとか


同じストーリーの中の新章とか


そういうものではなくて


全く新しい 何も書いてない


まっさらな一番最初のページに私は行きたいわけ


同じ本をずっと読み続けたくなくて


それが新しいページだろうと


全く違う新しい話だろうと


地続きで続いてるようなもので


そうじゃない場所に行きたいの


全く違う場所に


だからなんだろうね


スピリチュアルとはまた違う精神世界を知ることになったのは


だってスピリチュアルの中だけだと見えてこないものもあるというか


なんか狭いんだよね


スピリチュアルって広いようでなんかすっごい箱の中に詰められてる気分になるの


自由っていうよりも制限を受けているような感じで


スピリチュアルではよく人間として生きてると制限を受けているって言うけど


制限を目に見えない世界でも受けているような気分に私はなる


広く感じさせられているけれども


実はすっごい手狭


なんか本当に枠の中でその中だけでわーい広いって言ってるようなもの


だからすぐ形にとらわれるんじゃない?


名前にすぐ惹かれるし


エネルギーが読めてればいいと思ってるところもあるしさ


エネルギーは確かにこの世界の根幹に関わるものだから本質といえば本質だと思うけど


でもそれが全てだと思わない


エネルギーが分かっているからといった相手が全て何者なのかと本当の意味で分かるのかな?


周波数や波動が読めたからと言って


相手のことが本当に分かる?


本当に理解しているのかな?と私なんかは思ってしまう


だって本当に分かってるならこんな世界になってないと思うから


目に見えない世界でもなんでそんなことが?と思うようなこともよく話されてるし


それが本当なのか嘘なのかなんて私には確かめようがない


別に否定してるわけじゃないよ?


その証拠にちゃんと信じてるでしょ?


いるからこそ、こういう話になっちゃうわけで


あなた方見えない世界を発信する方々の話を嘘ではなくもしかしたら?っていう体で考えていくと


どうにもすごく矛盾を含んでいる


その上理にかなってない話も多い


それら全てを総合的に見ると


なんか微妙しょんぼりっていう気分になるわけ(笑)


あんまり関わりたくないなって思っちゃうわけ(笑)


だって一貫性がないんだもん


それはね


ここ想像の世界だからさ


一人一人見るものが違っているのは当たり前のこと


確かにそうなんだけれど


でも変わらないものもあるから


真実はそれぞれにあったとしても


真理は変わらないと思うんだよね、そう


揺るがないものもあると思うんだけどその揺るがないものすらも


なんかよく分かんなくなっちゃってると言うか


付き合ってられないっていう気分になる


いつまでそんなことやってるんだろうっていう


それがやりたいならやればいいと思うんだ


別にそれに対して文句をつけてるわけじゃない


ただ本当にこうしたいっていう気持ちがあるのなら


それをやってたら無理だよなって思う部分は結構ある


本当にいっぱいある


なんでそんなこと言っちゃうんだろうとか


なんでそういう発信の仕方をするのかな?とか


どうして?と思うようなことが本当にあって


だから何がしたいのか分からないし


真剣に取り組んでるのにふざけてるのかと思ってて


真面目にふざけているの?と


だからこれはネタなの?って思う時がいっぱいあるの


どっちかって言うとふざけることを真面目に取り組んでる?


なんか日本語が変かもしれないけどさ


真剣に大真面目にふざけてる


だけどふざけてるんだけどふざけてないから厄介なんだよね


至って真面目にやってるから


本当にえっ?😨ってなるわけ


それに気づいてる?


それに気づこうともしてないのか、ただ気づけていないのか、気づかないようにしているのか何なのか


気づこうともせずにそのままにしてるのならもうそれはそれでどうなの?って聞きたくもなる


もちろんその人の選択だから好きなようにしたらいいんじゃない?っていうこともできるけどね


でも本当にそれでいいの?と私は問いたくなるよ


それが自分がやりたいことなの?と


ただ気づけていないだけならきっかけさえあれば気づけるってことだよね?


でも気づかないようにしてるのなら自分で見ようとしてないってことだから


それはもうその人自身の問題だし


見たくないなら見ぬふりしておけばいいんじゃないの?


でもそれも先にも書いた通り


それで本当にいいのかな?って思うけどね


分かっているならやめた方がいいと思うよ


何か違和感を感じてるならそれって本当はやりたくないことかもしれないし


なんか無理やりではないけれど


みんな一緒にやることに対してあまりにも慣れすぎてるよね


みんなと一緒にやらなくちゃとか


みんなやってるならやろうとか


そういうのが多かったから


今の時代は分かんないけれどね


私の子供の頃とかはそうだったし


周りのみんなに合わせないといけなかった


みんなと同じようにやってなくちゃだめだった時代だから


なんか1人だけ違うことをやると和を乱してるとか


協調性がないって言われてしまう


みんなの足を引っ張っていると


だからみんなに合わせることが良かった時代


そういうやり方に慣れちゃってるせいか


自分というよりも周りを考えがちなのかもしれないね?


みんなと同じじゃなきゃいけないって思ってるのかもしれない


同じようにやらないとダメなんじゃないかって


私なんかは図太い神経してたのか何なのか


いくら周りに何を言われようとも


嫌な部分もあったし傷ついた部分もあるしトラウマになってる部分もあるんだけど


変に図太いところがあって


本当にやりたくないことは一切やんなかった


ありえないんだけれども


宿題やれって言われてもやらなかった


別に誰かに迷惑かけてるわけじゃないし


困るのは私自身だし


学校の先生は成績をつけられなくて困るっていうけど


そのまんまを書けばいいじゃん


この子は宿題を全然提出しませんでした


だから評価はこの評価ですでいいじゃん


やりたくないんだもん、やらないよ


その時に他の人たちからどう思われているのかなんてどうでも良かったの


人の目を気にするけど人の目を気にしない部分もあって


私の中には結構矛盾したものがあるんだよね


なんか本当に二面性っていう言葉があるのであればまさにそれ


人の目を気にする自分もいれば全く気にしない自分もいる


こういう部分ではめっちゃ気にするけれども、こういう部分では本当に無頓着とか


おとなしそうに見えるけど実はおとなしくないとか


なんか人に持たれる印象も2つに分かれることが多い


いつだったかミサとか開いてそうって言われたわけ


宗教とかにあるあのミサね


なんか私の周りには清浄な空気が流れてるとか癒しだよねとか言われたのね


だけど全く別のところではヤンキーとかレディースの総長とかやってそうって言われた


全く別じゃん


もう性格的な面もなんか知らないけど2つに分かれるの


だけど私そのどっちでもないんだよ


だって私別にミサとか開くような、癒し系みたいな空気出してないし


かと言ってオラオラしてるわけでもないしさ


静かでおとなしそうだねって言われたり


なんか威圧的だねって言われたり


もう意味が分からないよね


他人のね


印象なんてどこで決まるのかなんて分からん


しかも本当に自分自身のことを見てるのかも分からないし


勝手な自分のイメージとか想像とかそういうもので


多分この人はこうなんだろうなと


勝手に盛り上がって勝手に下がっていく人もいるしね


そういう人だと思わなかったとか


丁寧な口調でしゃべる人だと思ってたのに実は口が悪いんだなっていうことがわかって中には引いていく人もいる


後はそういうイメージなかったっていう人も


言わなそうって言うけど


平気で言っちゃう(笑)


そんなこともあったな


どれもこれも全部自分なんだけどね


こういう部分をひっくるめて私なんですよ


だからいろんな側面があったっていいと思う


ぶちギレめっちゃ怖いとかさ


本当に友達によく言われるんだけどね


絶対敵に回したくないってよく言われる


なんかそういう感じのイメージを持たれてるみたい(^_^;)


で、何の話をしてたんだっけ?


自分の記録用として残しながらもすぐ忘れちゃう(;・∀・)


あー、思い出した


なんで流されていくのか


スピリチュアルは本当に発信している人に その発信内容を聞いている人が流されてるイメージが多いから


ずっと流されてるような感じ


自分でどう思うかじゃなくて


他人が話していることで決めてる


それを聞いてすぐ自分の中に取り込む


それって素晴らしいことなんだけれど


なんて言うんだろうな


素直すぎると言うか


素直なことも大切なんだけど


自分で考えることも素直なことの一つだと思う


何でも誰かからの話をそのまま真に受けるとか


そのまま鵜呑みにしてしまうとか


それは答えじゃないからね?


誰かにすぐ答えを見つけようとするけど


誰も答えは持ってない


だって発信してる人だってはっきり言って分かってないと思う


何か分かってたとしても


それはその人の中だけの話でもあるしさ


それに本当に何もかも分かってるならわざわざ人間になる必要ないし


わざわざ人間に対してそんな内容の発信をすることもないよね


むしろそんなことよりももっと他のことについて話すでしょう


人の心の中を惑わすような


わざわざ揺らすような


そんな発言なんてしないと思うの


本当に分かっているのであればね


(その分かっているっていうのも何を分かってるのかにもよるけども)


この世界が一体どうなってるのかなんて


はっきり言って誰にも分かりません


分かってるとしたらこの世界そのものでしょうね


私はそう思う


ジャージャー流されてる感じがすげえする


そうしたいならそうすればいいし


そうされることが本懐ならいいと思うんだ


どうぞお好きに好きな分だけやったらいいと思う


だけどそれが本望ならね





加筆

ちなみに


書かなくても伝わると思うけど念の為


気付ける私がすごいとかそう言う話ではないし


誰でもよく考えたら分かること


だからと言って気付けない人を貶めてたり、考えなしの人だと言ってるわけではないです


なんとも言えないけど


この社会が


自分で考える力を育てられてないで


自然とそうなってしまってるのかも知れないし?


なんでそうなってしまったのかなんて


はっきりこうですと名言はされず


まことしやかに噂が流れているだけだから憶測くらいしかできないけどね