世の中は(主に見えない領域での話)二極に分かれて行くと


まだ二極化の話をしてるよね


というか多極化の話もしてるけど


やっぱ見えない存在に言いたくなるんだよなぁ


2つに分かれるって事はとどのつまり二元論の世界の中


この世界(二元性)の設定からは逃れられない感じがするね


いくら二元性の世界を超越しようとしてそこにトライしてるけど


見えない存在たちが伝えている内容をよく見たらずっと二元性の世界のまま


この話(二元性の世界であること)しながらこの世界(二元性)から抜けて行きたい、卒業したい人間側はそう思っているところがあって


でもとどのつまりスピリチュアル的な発信をしている人たちの内容を聞くとそうじゃない(二元性の世界から抜け出すような話ではない)んだよね


ついにようやくこの光と闇があって、光と闇に対して良いと悪いがあって


どっちが何々っていう比較をしている世界


この比較というのは別に優劣だけじゃなくてさ


その状態が何であるか


それを決めるのもまた比較だと思うんだよね


何らかの状態についてこれがこうだと自分の中で判断基準があって


その判断基準に基づいてこういうことが善でこういうことは悪でと分けて考えてる


人間ってそういうものだけどさ


これも比較といえば比較だし


結局見比べてるからね


そういうふうに物事をジャッジするっていうのは当たり前に行われている


だから別にそれが悪いってわけじゃないし


そうあるものだと思うんだけど


それらを含めて比較ってことだと私は思っているし


それがあるから比較してしまうことをやめられないんだとか


それがあるからいつまでも比較から抜け出せないんだとかそういう話じゃない


こういう判断基準はとても必要なことだし逆にないと困る


自分の身を危険にさらすわけにはいかないし


何が良いことで何が良くないことなのかの判断もできないなんてそれはちょっとまずいから


これは必要な能力


なので比較にもいろんな種類があるっていうことでね


これはこれで大事なことだと思うの


だけどその上で思うのはそういう必要な部分必要な部分で別物として横に置いとくとして思う


光と闇があるのは普通のことだと思うの


ただ光と闇というものの見方


これはいつからある考えなんだろうね?


なんとなく光の方が安心できるような雰囲気を持ってるし、光の方が良さそうな雰囲気もあるよね


闇って聞くと暗いとか怖いとか不穏とか不安とかだかそういう雰囲気を感じて


むしろそういうダークな感じが好きな方もいるけど


でも多分モチーフみたいなものとして好きと言うこと


闇の方に感じる印象はおそらくネガティブなものが多いと思う


光の方に思うことはきっとポジティブなことが多いと思う


だけど本当は光とか闇とかそれそのものにネガティブもポジティブも何もなくて


ましてや光の方に好印象を抱くような特性や性質も本当はないし


闇の方に持っているよくない印象も本来ないもの


ないものの話をずっとスピリチュアルってしてるの


これどこから発生したものなんだろうね?


原点が一体どこにあるのか本当に気になっちゃうんですけど(^_^;)


その始まりを別に叩きたいわけじゃない


根本的なところを見ていく必要もあるし


せっかく人類が陰陽の世界から抜け出そうと思ってる


どこまで行っても陰陽なんだけどね


これ(陰陽)はそういうこと(他者やそれぞれの違い)を学んだり、体験するための場所だから


しかも感情を伴ってより臨場感を味わえるような仕組みになってる


人はその感情に引っ張られがち


肉体を脱いだ後も感情に囚われてしまってそこから抜け出せないのだと思う


ちょっと話がずれちゃったから戻すけど


でもこの陰と陽の世界を終わらせたいなと思ってる人もいる


そう思うことの根本が何から来てるのかにもよるけどね


疲れちゃったからそうじゃない世界に行きたい


もしくは本来はそうではないことに気づき始めて


このコントラストのゲームをやめたくなる


始まりは陰陽疲れかもしれないけど


そのうち本来のこの世界のあり方に徐々に気づき始める


本当はどうだったっけ?とね


どうやったら自分の中でこの陰陽はあれどもそこにどっちが陽でどっちが陰でと判断し区別して考えることをやめていくか


これは人間の世界用にカスタマイズされてるから


私たちは人間だけどでもその本質は人間ではない


その人間ではない部分で生きようっていう考え方がおそらくスピリチュアルだと思うの


だからこの世界が人間ではない部分に気づきをずっと与えていて


それを人間を通して気づきに気づいたり


自分自身の心境の変化とか


自分自身の環境の変化とか


そういう様々な部分で人間ではない自分も人間の自分に(人間を楽しみながらも)本来の世界はどういうものかを実はずっと教え続けていて


そこに人間の自分が気づけるか気づけないか


多分それだけなんだと思う


特別なことは何もなくて


本当にそこだと思う


自分の人間ではない部分の自分が人間をやっている自分に対して出しているサインに気づけるか


スピリチュアルの話を聞いていると陰と陽を超越したいっていう気持ちは見えてる


だけど所々で陰陽の世界の中で陰陽を超越したいって言ってるような感じだなと思う部分が散見される


今までがネガティブなこと(陰)だった


陰が極まると陽になる


だからこれからの世界は明るい世界になって行くでしょう


めちゃくちゃ陰陽の世界じゃん


結局その中から抜け出せてないというか


抜け出すとは言ってるけど


別に抜け出すも何もないんだけどね


単純に意識する部分を変えるだけ


視点を変えると言うか


考え方自体をもうちょっと広げる


そもそも何でそんな風(こっちが陰でこっちが陽)に言われるのかとか


なぜこれは闇でこれは光なのか


なんでそういう風に話されるのか


そこについて何でそうなってるんだろう?ってずっと考えていくと


自ずとおや?となんか思ってくる


自分の中にそもそも何が光で何が闇なんだ?とね


そういう部分から見る視点が変わってくる


そのうち勝手に視野が広がっているのかちょっと何とも言えないけど


見ている場所が今までと変わってて


もっと広く考えられるようになる


これどういうこと言ってるんだろうな?と


抜け出すっていう表現をしたけど抜け出すっていうことではない


だってそれはそういう世界だし


比喩的にそういう表現をしたけど


この世界(陰陽)はなくなるわけじゃないから


ただそうあり続けるだけ


その中でどんな風に振る舞うのか


どういう風に過ごすのか


本当にただそれだけ


ただスピリチュアルについて話してる人っていっぱいいるけど


なんかどうにも二元論の世界のままなんだよね


言葉では二元性の世界で暮らしていくことを終わらせたいとか


二元性の世界を卒業したいと話すんだけど


でもそれは形だけで実際はそうじゃない


自分でも気づいてないのかね


矛盾したことを言ってることに


見えない存在から受け取るメッセージを発信してる時に見えない存在が話していることが二言論の世界での話で


本当に二元論の世界から卒業したいのであれば そういう存在からの内容なんて伝えないと思うし


自分でも考えると思うんだよね


さすがに自分が受け取ってるんだからなんでそんなこと言うんだろうとか考えるでしょ


これじゃあ結局今までと変わらないじゃないかと


結局のところ口では二元性の世界を終わらせたいねと言うけどその実ずっと二元性の世界での話ばかりをしていて


本当に終わらせる気なのかと


そうやって二元性の世界を終わらせようとか言ってれば人が集まるからそう言ってるのか何なのか


なんて言うのかな客寄せパンダとして使っているワードが結構多いなっていう印象


そのつもりは一切ないけど人を集めたいから使っているだけ


『願望実現』や『現実創造』、『引き寄せ』とかそういう系


こういう言葉を使ってると勝手に人が集まってくる


現実を良くしたいと思ってる人が多いから


本当にこれスピリチュアルの闇だと思ってて


闇っていうのは分かっていると思うけど比喩表現です


ちょっと人間の心理を上手く突いた新しい商法だと思う


現実をよくしたいと思ってる人がいっぱいいる時点で


実際の生活に対して満足してない人がいっぱいいるっていうことにまずドン引き


日本って豊かな生活をしているようで心は貧しいんだなっていう印象


人の心の内側が全然満たされてないんだなっていう。。。(・・;)


ある意味ドーナツ化現象が起きてる


心という内側が空っぽで外側は良さそうに見えている


一番大事な中心が空洞で自分に対して拠り所が何もない


誰か(外側)に対して拠り所を求める


外見だけ良くてもね


一番大事な内側が整ってないっていうのはこれ何なんだろうね


そこに加えて見えない領域の仕組みを使って自分自身が望む現実を作り出した人がいて


そこに人がたくさん集まってくる


どうやったら生活苦から抜け出せるのか


どうやったらお金に困らずに過ごせるのか


どうやったら心身ともに健康で安心して暮らせるのか


とにかく自分の身に起きていること


それが嫌だから変えたい


でもどうやっていいのか分かんないからそれが知りたくて


先行投資のようにその情報を知れるのであればと多額の金額を相手に渡す


その情報に本当にそれだけの価値があるのか


そこの見極めって本当に大事だと思うんだけど


スピリチュアルについて話しているんだから人なんて騙さないよねって思ってるんだろうな


でも心の綺麗な人が必ずしもスピリチュアルに関する話をしているとは限らないから本当に気をつけないとならない


何より何が闇って言ったら今書いてきたようなこともあるけど


たくさんの現実を変えるという内容の本が出てるのに未だに売れ続けてる


その時点で誰も幸せになってないってことだよね


まるで一部の人だけが成功していて


その人たちからどうやったら自分自身もそうなれるのかとその話を知りたい人がたくさんいて


ということは現実を変える本がいつから発売されているのかは分からないけれども未だに現実に対する幸福度が低いってことでしょう?


幸せを実感できてない人が多いということ


そしてこんなにたくさんの本があるのにも関わらず全然再現性がないこと


重要な部分を話していないとか


敢えて秘密にしているとか


伝えられる部分しか伝えてないのでしょうねとしか思えない


だってそれだけたくさんの現実を変える秘訣について書いてある本があるのであれば


もっとたくさんの人が同じような経験をしてないとおかしいのにそうじゃない


そうならないように、本を読んだだけではできないようになっているとしか思えないじゃん


だってそれを実践してるのであればもっと同じような体験をしている人が多くいないとおかしいし


それなのにそういう本は出続けてる


そこにものすごく闇を感じる


だってやり方なんて結局一緒なんだから


方法はいろいろあるだろうけど


結局のところ仕組みは一つしかないはずなのね


だからそういう本は1冊あれば十分なんだよ


誰かが他にもっと分かりやすいやり方を説明するために出版してるならまた別だけど


本物なら1つあれば十分


そんなにたくさんいらない


だって本物だからね


他の人たちの本が本物じゃないっていう話じゃなくて


単純に1冊あれば十分だと思うから


そんな多くはいらないかなっていう印象があったのでそう言っただけ


別に他意はない


自信を持って世に送り出してる書籍なんだし何も気にすることはなく堂々としてればいいんじゃないかなって私は思う


そんなこと書いてる私が言うのも変な感じはするけど


別に今ある願望実現系の書物たちを否定してるわけじゃないの


ただ実際問題なんか思った以上にそういう本はどんどん出てくる割にずっと人気だし


人気ってことは現実が嫌って思ってる人がいるって事で


自分の置かれている状況に不満を抱いているから現実を良くしたくてそういう本を手に取るんでしょう?


これを闇と言わずに何という?


だからなんかそこにかこつけた商法みたいだなって思って


人の心理をうまく使ってるなっていう感じ


これも見えない領域の仕組みを使ってるからスピリチュアルと言われてるけど


あんまりスピリチュアル感を私は感じてない


あくまでも個人の感想


それもスピリチュアルなのだろうけど


なんか精神世界って感じがあんまりしない


私の中でそう思ってるだけだから他の人は自分の考えを大事にしてくださいね


どちらかと言うと物質世界寄り


この地球の人間の世界に合わせたスピリチュアル


私が好んでるのはもうちょっとその精神世界に寄ったもの


どちらかって言うと人間をやっている人間じゃない存在としての部分について知りたいと思ってるからか


目の前の現実を良くしたいからスピリチュアルを学ぶっていう感覚にならない


現実をよくしたいからスピリチュアルを知るっていうよりも


自分自身が整っていくから現実が変わっていくっていう印象の方が強いかな


なんか違う話になってきてる気がする(^_^;)


違いの話をしたかったんだけどこの違いじゃないんだよね


スピリチュアルの世の中的にね


いつまでも二極化とか多極化の話ししてるじゃん


結果的にはそうなって行くんでしょうけど


気をつけなきゃいけないのは


二極化と二者択一は違うと言うこと


両者は似てるけど全く違う意味だから


そこを混同しちゃいけないと思う


これは全く違うものだから


どちら選択をしますか?っていうこの問い


スピリチュアルでよく話されてる


何らかの存在が大体毎回人間に聞いてくる


あなたはこういう流れと、こういう流れがありますがどっちがいいですか?と


毎度そういう感じなんだよね


これ本当何なの?


どうして差し出されたものしか選べないのさ


自分で選択肢を用意することだってできるのに


何で毎回そのね


なんかよく分かんない宇宙っていうところから?用意されなきゃいけないの??←『宇宙』って何のこと指してるのかよく分からないからこういう表現になってる


見えない存在から今の世の中の状況とか


よく報告されてるけど


どういう基準なんだろうね


実際問題本当にそういう状態になっているのか


私には分からない


だって時間は直線に流れてないことを知ってるじゃん


瞬間瞬間で毎度毎度世界線って切り替わってるっていう話だし


それを言うなら今この文章を書いているこの瞬間も存在してるのか存在してないのか


そのくらいのレベルで


目の前に起きている事って本当に起きていることなのか分からないんだよ


瞬時に切り替わってたりするから


だからさ


一体何の話をしてるんだろうなって


逆に私が話していることの方が意味不明 かも知れないけど


ちょっとお前何言ってんの?頭大丈夫?っていう話になるかも知れない


でも実際は瞬間でしかなくて


ずっと続いているように見えて続いていない


だからこそ断定なんてできない


数ある中の1つを話してるに過ぎなくて


絶対にそうであるかって言われるとそうじゃない


だから未来を決めるようなこととか


今現在を決めてしまうこと


それって本来はできないはずなんだよね


自分がそう思うからそうなるだけであって


そうじゃないって思えばそうじゃないから


ちょっと何言ってんのか意味不なんだけどさ


でもそういうものだから


これからこんな風になっていくってドンって提示されたとしても


それはそう思ってる人たちの中だけにしかならない


これからどんどん二極が強まっていくって言うけど


その二極化と二者択一によってどっちかになるっていう事はまた話が別


これをなんか一緒にされて話されるのはちょっと困るというか


全く別のことだから


同じような意味で話されてるのであればいやいやちょっと待って✋っていう話になるし


そういうことじゃないじゃない


何を言っているの?😨っていう話になるからね


それとこれとは話が別


意味合いが全く違うから


同じにしないでもらいたい


それとこれは違うよっていう意味の違いの話だったんだけど


なんか前半全然違う話になっちゃってるね


本題に行くまでが長くね?


っていうかさ


なんでいつも全然違う話になっちゃうんだろう🙀


かと言ってね、要点だけ話すと


味気ないわけじゃないんだけど


すごい冷たい文章になっちゃうの


淡々としてて


結構さっぱりめ?な感じ??


さらに何の説明もなくただ重要な部分だけを書き出してるから


キーワードのみを載せてるようなもので


読み返した時に分かる時もあれば分からない時もある


自分で書いたのにその自分が分かんなくなっちゃってると言う本末転倒なことが起きなくもなくて


だから思ったことはなるべく全部書いとこうと


そう思うとなんか違うことも浮かんできて


結局こんな感じになっちゃうっていう(;・∀・)


とりあえず二者択一と二極化は全く別ということをきちんと記録に残すことができて良かった


全く違うものだからね


私本当にね


スピリチュアルとか全然分かんないんだけど


選択肢が用意されてるのが嫌なの


スピリチュアルについて話してる人がたくさんいるけど


それはその人たちの話している世界線の話で


私には関係ないって言うこともしたっていいんだよ?


だけどまるでその世界が正しいじゃないけど


そうあるべきだよねっていう感じで話されるのがなんか嫌だなって


それがそんなに素晴らしい世界であっても


どんなに嫌な世界であっても


どっちも同じ


そもそも本来は自分で自分の世界を生きるのが普通と言うか


なんか変な日本語になるけど


それが通常で


なんでこんなにも過干渉なんだろう?っていう感じ


全部どこかから何かの情報を得てそれを発信しそれを受け取りその通りに動いて行ってるような感じ


だけどそれってさ


結局何か外側にあるものだよね


それは自分の内側を通して感じることもあるかもしれないけれど


でもその自分っていうのは自分自身じゃなくて大体他人なの


そういう発信をする人がその人の内側を通した言葉を誰かに伝えている


その人(発信者)の中では自分自身のことなんだけど


その発信している人の話を聞いている人は他人の話を聞いてることになる


それ結局外側の話なんだよね


そこについて自分の中である程度考えるとか


自分で噛み砕いて理解をするとか


自分の中でちゃんと醸造する


単純に受け取るだけじゃなくて


自分できちんと理解を深めることとか


その話を聞いた上でじゃあ自分はどう思っているのかとか


そういうことをあまりしてないような雰囲気を感じていて


この人は前世とか過去世にどこかの神様に仕えていた人だから信じられるとか


何かの神様だったから信じられるとか


だから本物だとかさ


本物とか偽物とかさ


そもそもなんかそういう話じゃない


本物だろうと偽物だろうと結局それって自分のものじゃない


他人が自分がそれが必要だしそれが大切だと思うから誰かに伝えてるだけであって


別にそれが答えってわけじゃないしね


そしてそれが神様の計画であろうと何だろうと


それはその神様の中での話であって


それが本当に自分に関係してるのかどうかっていうのはまた別


もう必ずしもそれに関係しているのかどうかなんて誰にも分からないし


そこに関係していなかったとて何にも悲しむ必要はない


というより自由でいいじゃんって思う


神様の言葉を伝えるとかそれ自体がダメとかそういう話ではないんだけど


なんで神様の言葉通りに動かなきゃいけないのか分かんない😂


一緒に現実を創造していくっていうのであれば


神様が一方的に人間に伝えるのじゃなくて


一緒に考えていけばいいのにって思うわけ


何で毎回毎回神様の方で話を進めてこういう風に決まったから人間たちやってくれみたいな感じで言うの?


それが私は本当に不快でしょうがなくて(笑)


何なの?って思ってる


人間をプロデュースしてるよね


いや私そういうの好きじゃないんだよ


私はどっちかって言うと一緒になってやりたいタイプだから


あなたたちこういうコンセプトで行きますよって決められてそれに従って生きるのやだ


私はこれがやりたいとか


こうだったらいいのになみたいなのがあるから


神『これで行きたいんだけどあなたはどう思う?』って聞いてきてほしいの(笑)


なんかさ、前から言ってるけど


なんでこんなに会社みたいなの?


めちゃくちゃ普通の企業みたいだよね


上層部が何かを決定する→現場に話が伝わる→そのように運営していく


人間の世界の会社のあり方と何が違う?


まんま一緒じゃん


大きな組織のあり方と同じで


これが本当にもう嫌(笑)


何で見えない存在までそんなことしてんの?と思っちゃうんだよね


上にあるものは下にある下にあるものは上にあるとか言うけど


こういう意味じゃないでしょ?本当は


でもなんかそういう感じで捉えちゃうよね


俗っぽいよね


なんかスピリチュアルってさ


低俗って意味ではなくて


人間の世界っぽいんだよね


人間の世界ってそういう目に見えないものが具現化してるだけっていう感じもする


これは人間がインスピレーションを受ける時に上から下ろしてるからっていう話もよく聞くけど


これ云々の前に


見えない存在が人間っぽい感じで存在してるのでは?とか思っちゃうよね


だから見えない領域で行われていることがそのまま地球というこの人間の世界に反映されているような


人間が上からインスピレーション下ろす ってことは


ある意味人間の世界に反映されているものがそのまま上にあるっていう捉え方をしてもいいよね?


つまりそういうことでしょ?


現実の世界って人の内面が作り出しているものでもあったりするけど


それはその人自身が自分で振る舞った結果とかもあるけど


単純に上にあるものが下に。。。って事は


上の状態もこんな状態ってことだよね?


素直に下ろしたらそうなるよね。。。(^_^;)


なんかね。。。苦笑いだよ


また何言ってんのか分かんないってなるかも知れないけどこういう捉え方もできるよなぁ。。。


でも全部が全部そうじゃないことは分かっている


自分で書いてても頭おかしくなってきそう(^_^;)


とりあえずここで一旦切ろうかな


だいぶ長くなっちゃったし


話が結構あちこちに行っちゃっててごちゃついてるから


これ以上書くとなんかすごいことになりそうなので終わりにします