スピリチュアルは誰のものでもない


特別なものでも


けれど万人に開かれていると言いながら


そう見せかけながら


その実


限られた人のものであるかのようになってしまっている


本来はすべての人に関わりがある


とても大切なもの


でもスピリチュアルの発信の内容のほとんどは特殊性を帯び


範囲も限定的で


結局のところ一部の人に向けての発信がほぼ占めている


ピンポイント過ぎて


そりゃあ私には関係ないよなってなるっての


だって心当たりがある、身に覚えがある人向けなんだもの


いくら口ですべての人に関係があると言われても


そう言う人だけのものに実際なってることは確かなのだから


そこに距離感が生まれるのは致し方ないよね


これは責ではないし咎めてるのでもない


けど敢えて問う


そうなったのはなぜ?


その要因はどこにある?


本当に一丸となってだとか


そう言うことを言うのなら


やむを得ない(致し方ない)部分もあることは承知してるけど


その限定的で範囲狭めな発信内容を今一度見直す必要があるのでは?


結果的に限られた人のみに向けての内容になってしまっているのだし


いい加減スピリチュアルは全員に関係しているけども


中には一部の人向けのものもあって


今現在は一部の人のみに向けた内容のものがほとんどだって認めなよ


いつまでもみんなに関係あるんだと綺麗事言ってないで


みんなに関係あるスピリチュアルもあればそうでないものもあると


そうやって挙手させて私も関係者かもと募らせる


自覚ある者を呼び寄せる方法を採り


その判断はほぼ自分任せ


だから自称〇〇な人が増えるし


その気にさせて変なことが増えるのでしょう?


とどのつまり自薦が多くなるのは致し方ない


だって判断する人なんていないから


自分でそう思っているから多分と言うのがほとんどだし


気になって特殊能力を持った人の所に確認しに行って〇〇と言われて他人から言われたからやっぱそうなんだと改めて認める


だけどどこまでその話を信じても良いのかなんて分からない


それがまた厄介だよなぁ


自分の感覚だよりなとこあるし


ホント曖昧ではっきりしないよね


だから口から出任せとか


いい加減でテキトーなことすらも


真実味を帯びて勝手に一人歩きしてさ


あることないことが広まって行く


そしてそれが沢山の人に伝わって信じられる程、そうなんだと思われる程に


本来ないはずのものがあるものとして存在し始める


まさに無から有が生じる瞬間


だから何を信じ込まされ思い込まされてるのかと


本当にそれらの発信には引いてる


積み重ねられて来たから


それをそうだと思い込んでるし


そうじゃないと伝えることもかなり根気がいる


何故なら積み重ねられて来た年数、その比は尋常ではないから


だからいつまでも特別視されるし


実際にそうなるようになってしまっている


本末転倒