見てる視点の違いじゃない?
誰が見ているのか←この誰とは人としての自分なのかそれとも魂なのかみたいなところ
どこを見ているのか←どこっていうのは その存在が、その存在とは人間としての私なのかそれとも魂なのか
それによって変わってるんだと思う
人間としての私が思うことと
なんかスピリチュアルでよく話されている魂っていう生き物?としての視点
その違いが起きてるんだと思う
だから魂にとってはそれがいいんだけど
人間にとってはそれは都合が良くない
そんなの望んでない
魂の視点だとそれはもうめちゃくちゃ嬉しいことで
もう大好物
だけど人間からすると
ちょ待ってよみたいな状態
聞いてないんだけど
知らないんだけど
は?![]()
え、考えてんの?![]()
わけわかんない
意味不明
みたいな感じになる
これが厄介だと思う
で、私は思う
これは魂としてでなく人間としての私はね
そもそも魂の私ってどういうものを言うのだろうね?
人間としての私は思うんですよ
魂として生きる時に
こんなに苦痛を伴うものなのか?
人間としてきている私が
あ、これ魂の生き方だって思った時、要するに気づいた時
これは使命だとかこれが天命だとかって思うものなの?
そこに対して嫌だなとか
これをやらなくちゃいけないとか
これをやるために生きているんだとか
まあそういうものに自分を持ってかれちゃうものなの?
私これをやりたかったんだ
ようやく思い出せた!
わーい!!ってならないんだ?
これをやらなくてはならないのですみたいな義務的な感じなの?
それをやるために私はここにいるのですみたいな重たい感じなの?
全然楽しくなさそう
何かをお伝えすることが私の任務なんですじゃないけど
こんな感じなのかな?
そしてそこに
なんか自分が思ってたのと違うとか
本当はやりたくないのにやらなくちゃって思うものが魂の望みなの?
本当に?
自分がやりたいと思ってるのに
やりたいと思ってないけどやってる
だってやらないといけないからみたいな感じなの
なんか変じゃない?
私だけ?
なんでそんな自分がやりたいことのはずなのに
人間としての私はそれを望んでないとかさ
人間が思ってることと魂が思ってることが一致してないんだろうなっていう謎
魂にやらされてる感をすごい感じるの
私の本意ではない
これは魂がそうしろと言うんですとか
私もそういうこと思ってないけど神様がそう伝えろって言うんですみたいな感じで
まるで第三者
自分のことなのにね?
だけど自分のことのように思えない感じがすごい伝わってきて
これは何?と思っている私がいる
魂で生きるってどういうことなんでしょう?
なんで人間と魂で思ってることが違うの?
忘れているとかそういうことじゃなくてさ
自分で望んでるなら思い出した時にもっと喜べばいいのに
なんか喜んでるってよりも
嬉しいってよりも
複雑な感じで動いてるような?
どこかに楽しみもあるだろうけどね
でもなんか面白くなさそう
前にもどこかで一度書いたことあるけど
じゃあ魂の望みに従って生きると言うなら
家族と別れて一人で生きろって言われたらそうするってこと?
あなたは一人で生きていかなければなりませんって言われたらそうするの?
究極そういうことを言われたらそうするってことだよね
そんなことってある?
なんか謎なんだよなぁ
どういう風に理解したらいいと思う?