なんとなく勝手に思っていること
スピリチュアルって本当に日本人に合ってる?
海外から輸入された感をすごい感じるんだけど気の所為?
ダメとかそういうことじゃなくて
日本人の気質に合ってるんだろうか??
なんかちょっと引っかかる部分というか
日本人向けじゃない?感じがして
日本人に必要なこと?って思うような内容もあるような?
そもそもハイヤーセルフっていうこの伝え方も不思議
ものすごく普通に使われてるけどね
高次の自分と言われてる
ただそれが何なのかは知らない
とにかくこのハイヤーセルフになれとか、ハイヤーセルフとして生きるとか
そう言われてるのは何度も耳にして知ってるけど
それが何なのか、何でいるのか、いたとしてもなんでそれになれとか、それとして生きるとか、今生きている自分ではない自分をお勧めするのか
ハイヤーセルフの自分じゃないとダメ、ハイヤーセルフの自分になれていない私は良くないと言われてるみたい??
じゃあそうではない私はなんなの?って疑問
ハイヤーセルフとして生きることを目的としてみんな生きてるんだ??
自分が自分を指導してるような感じで話してたけど
その自分と同じになれとかわけ分からない
なんで私が二人いるのか
ハイヤーセルフとそうじゃない人としての私
スピリチュアルで話している魂とはまた別だよね?
その他にも守護存在やガイドがいるとか
伝えたい意図は分からなくもないけども何がなんだかわけ分からん
結局ハイヤーセルフって?
高次の自分と言うけどそれになれって言うし
じゃあ自分の目標が自分を指導してるの?
目標にしてる私(ハイヤーセルフ)になりたいならこうだよって(???)
話していることを理解するのが難しい
頭の出来が悪い人にも分かるように説明して
自分が自分を指導して自分を引っ張って行ってるってこと?
そしてその指導している自分みたいになる、またはなれって解釈?
でも自分だけどその指導している自分は生きてる自分とは多分同じだけど別だよね??
だから同じだけど完全一致で指導してる自分にはなれんよね?
そうなったらまた別の自分がどっかから出てきて次のハイヤーセルフになるの?
?????
意味不明過ぎてハイヤーセルフって本当にいるのかな?って思ってしまう
それ何なの?って思ってるの
私なのは分かったけどなにそれってなるの
私と言われてるけど多次元的にいる私さんたちと何が違うの?
多次元的にいる私さんたちにもそれぞれにハイヤーセルフがいるのだろうか??
それとも人間と言う生き物だけにいる?
スピリチュアルと言う表現もまた日本的でないと言うか
これは単に言葉っていうより
その中身、考え方がなんだか時折日本に則してない?感があるような??
どうするのも、何を思うのかも、何を考えるのかも、どれを採用するのかも様々にあってそれぞれの好きにしたらいいんだけどね
だけどなんか
日本古来の、元々の精神世界への接し方?というのか
詳しくはないけども
それとはまたなんかちょっと異なる感じがするような気もしなくもないような?
それにスピリチュアルと言うか
日本も途中からなんかちょっと生贄チックになってるのも。。。
これは一体?
それ(人身供犠、人身御供)は本当に必要なことなのかとかなり疑問
とどのつまり精神世界について語られていることを色々削ぎ落として行ったら何が残るだろうか
その残ったものがおそらくすべてだと思うんだ
もしかして形としてはなんにも残らないことも十二分にあり得るけどね、、、