どうして存在まで争うの?
どうして存在にも闇とか魔がいるの?
それはここが二元性だから?
スピリチュアルの話の中にはこの二元性を終える
つまり光と闇、善悪などそれすらも越えて行こうと言う話がある
今この世界はもうその極限まで来ていて
だいぶこの世界を堪能し学びも限界まで来た
だからそろそろこの学びは卒業して次のステージへと行こうとそういう話が出てるし
それを受けてなのかは分からないけれども
過去にあった愛と調和の世界をもう一度思い出してその時の世界のように生きようそういう話も出てる
とにかく何が言いたいかと言うと方向性としては平和な世の中へ向けて
今まで人が繰り返してきた戦いをやめて行く
今までは人よりもモノに価値があった
あとはこれは目に見えないものだけどでもスピリチュアルとは違っているもので
ステータス、地位、名誉、権力などと言ったもので人を人が支配して来た
時には武力で持って制圧し、時には財や富と言った金銀財宝とかお金で持ってそれを示した
何でもモノ(特に金銀財宝というよりお金)で解決して来たところがあって
もうそういうのを見直して行かない?っていう時期になってるっていう話がある
だけどスピリチュアルの話ではそれについて正直なところ終わりが見えないなと思っていて
理想としては二元性を越えたその先へと進もうとしてる
結局それは原点回帰とも言える
だけどこれは元々の良かった時に戻るってことではなく
本当の本質としてと言う意味での原点回帰だと私は思っているの
昔の状態に戻るだとなんかそれもそれでね
言いたいことはわかるんだけどそういうことではない感じもするの
それにスピリチュアルではきっとそこには戻れない
今のスピリチュアルではそこには戻れない
人と存在の関係性が何と言うんだろうか
健全とは言い切れない
それに存在ですら自身の在り方に差があるこの世界で
一体どうやってそれを終えて次へ進んで行けると思うのだろうか?って残念だけど思ってしまうの
存在自身がまず本質で生きていない
スピリチュアルの話なのに
もっと分かりやすく話すのであれば神様たちなのに
その神様は神様っぽくなくて
神様だったらそんなことしないよねってことを平気でしてしまう
神様って愛に溢れているんじゃないの?
目に見えない世界ってそういう世界なんじゃないの?
だけどスピリチュアルな内容を世の人々へ発信している人の話を聞くと
どうやらこの目に見えない世界は想像していたものと差異がある
神様達って目に見えない世界にいて、神様達って慈愛に溢れていて争いなんて好まない
だから人間たちが争う様を見て嘆いたり悲しんだり怒ったりする
そういうことをするんだったら良くないからもう一度終わらせてしまおうみたいな話になって神話では一度人間は滅んだということになってる
ただその中でも生き延びた人間もいる
そういう感じで伝わってるじゃない?
私の解釈違いだったら申し訳ないんだけど
こんな感じだったと思うの
それに目に見えない世界は生きてる人間には基本的に関係なくて
肉体を脱いだ後の世界そういう感じで伝わってたりするじゃん
でも実際には幽霊とか見る人もいるから生きてる人でも見えないものを見れるから、一概に肉体を脱いだあとの世界であって生きてる人間には全く関係ないなんてことはないんじゃないかなとは思ってた
だから生きてる人間にとっても結構影響を及ぼしている世界なんだっていうことがわかった時は別にそんなに驚かなかったの
それはそうだろうなって
だけどそれとはまた違う意味で蓋を開けてみたらなんか全然違う
人とやってることも大差ないし
神様たちがいる世界なんじゃないの?
神様なのになんで人間と同じことをしているの?
じゃあ神様って何なの?
余計に私を混乱させたよ
そもそも神様自体を私はあんまり好きではなかった
それは宗教による戦争があるから
神様が絶対っていうその考え方が私には分からなくて
神様がこうしろって言ったからこうするっていうその盲目的な考え方
それが私にはどうしても理解できなかったのと
宗教に出てくる神様って本当に神様なのかなって思ってたの
人間が作り出したなんか別のものなんじゃないのかなって
そうやって何かを信じさせて人を統率して動かしやすくしただけなんじゃないのかなって思ってたの
だって本当に神様だったら誰かが大事にしているものを壊したりするだろうか
本当に神様だったなら別の神様を信じてる人達を否定したりする?
なんで私を信じなさいっていう方へ向かうのか
それのどこが慈悲とか愛結びつくのかがわからなくて
まるで真逆のことをやってるでしょ
なんで自分が信じているものが全てになるのか
それでいて平和だとか平等だとか言うのはおかしいでしょ
そもそも違う神様を否定してる時点でそれって違いを認めてないことになるし
しかもそれで戦いをする
その戦いを神が言ったのだとしたら
とんでもない存在じゃん
そんなの神じゃないよね
だって同じ神をつまり仲間を倒そうとするってどういうこと?
さらに人同士で争わせる
これって本当に神様がやってたとしたら最悪でしょ
自分の手は汚さずに他人にやらせる
しかもそれでいて あなた方は大切な存在だとか言ってるのであったら反吐が出る
その大切な存在である人間同士を戦わせているんだからね
めちゃくちゃ言葉が悪いけどクソだと思います
だからそんなのは神じゃないと思ってたのよ
そんなことさせるわけないじゃないって
だから人間が都合よく作り出した何かだと思ってたの
今でもそう思ってる部分があるけど
これは実際のところどうなのかは知らないよ?
完全に憶測で物事を語ってるから
あと宗教自体を否定しているわけではなくて
もしこういうあり方を知っているのであればそれは宗教と言えるのか?
そもそも宗教の定義が何なのかがわかんないけどね
だけど何を崇拝してるのかがちょっとよくわかんないし
何だろうね、ものすごく人間の闇みたいなものを見てるの
本当は存在しているのかもわからない得体の知れない何かをと存在してるものとして信仰している
それは果たして本当に宗教って呼んでいいのかわからない
本当は何もなくて、ただその時の時勢の都合そうせざるを得なかった
元々のあり方は今みたいな感じじゃなくて
単純に人の心の拠り所としてっていうことだったのかもしれない
それが世代を交代していく中でどんどん 腐敗していったっていうことも十分にありえるから
なんかゲームの世界とかでよく出てきそうな感じのイメージ?
ゲームって言ったように下手したら勝手なイメージで話してるだけだからこれは完全に偏見かもしれないけどね
ただそれとは別に本当に存在自体が、今に神様と呼ばれる存在が、それは全ての存在ではないんだけれども
人間と同じように存在同士で存在が争っている
存在の中にも良い存在とそうではない存在がいる
それこそ光の存在もいれば闇の存在もいる
人のイメージの中で光の存在はいい存在、清い、神聖な、善良の存在
一方で闇の存在は魔の存在で、邪悪で、禍々しくて、不浄な、穢れを持った悪意のある存在
光の存在は私たちを助けてくれるけど闇の存在は私たちに危害を加えたり、よくない方へ進ませたり、足を引っ張ったり、どこかへ引きずり込んだり、引き落とそうとする(高いところから落とすとかそういう意味ではない)
なんかそういう感じになっちゃってる
人のイメージだとこんなだけど
本当は闇とか光とかそういうものでいい 悪いとかはない
なぜか光が正義で闇は悪っていうことになってるけど何なら光の中にすら悪はあるし、悪の中にも光はある、その光は正義っていうわけではない、正しいとか間違いとかそういうものの見方じゃないから
だんだん話が少し逸れてきているような気もしなくもないけど
人間の中では存在についてそういうものの見方があるよねっていうことにちょっと触れつつ
存在の話に戻すとすれば蓋を開けてみたらね
存在も本当に人間と変わらなかったの
神様って呼ばれるその存在が人間と同じような思考回路で動いてるとするのならそれじゃあ意味がないんだよ
人間のサポートになってないし
人間と同じところまで落ちてきちゃったならそれはもうね
肉体を持って存在してるかそうじゃないかの違いであって
大して大差がない
これが本当に困るところ
なんで存在までそんなことになってるの?
どうしてそんなことになっちゃってるの
なんでよ、、、!
なんでこんなことになっているの!?
それが私がスピリチュアルをちょっとずつ知っていく中で見えてきたもの
なんでこうなってるのっていうその答えはきっと
二元性の世界が持ってる性質によるものなんだろうなって
これはこう言う世界だから変えようがない
ここはそう言う場所でそうなるようになってる
そうなるのがごく自然で
そう言うものなんだろうね
もちろんスピリチュアルの本質は二元性に限定されたものではない
でも影響は受けてると思う
それにスピリチュアルは本来の本質にはないもので本質に戻ろうとする
本質が元々持ってないもの
それはインナーチャイルドとか前世とか過去世等そういうもの
この世界はこれから今まではみんな一緒に、足並みを揃えて、みんな同じくらいで、みんなで肩を並べて同じ歩幅で同じ速度で、みんな 一律で同じように過ごしていく
抜きん出ることも違うし、かと言って遅れていくことも違って
本当はそれぞれのペースがあるはずなのに
得意不得意だってあるのに
みんな同じように同じことを同じくらいの能力で持ってできないとダメ
更に今までは上からの指示があってその通りに動いていればそれで良かった
自分で考えて行動することも確かに大事だったけど
それよりも何よりも上からの指示に従って動くことそれが一番大事でそれが全てだった
会社がこう決めたならその会社に勤めているのであればそのやり方に従う
どんなにおかしいと思っていても会社から言われたこと、上から言われたこと、この会社の中で働いているのであれば上から言われたことは絶対だ
そういうのがごく当たり前だった
だけどそういうのがこれからもっと崩壊していく
今までのおかしなあり方はどんどん崩れて解決しなくてはならないから明るみになってくるだろうし
上からの指示で動くということだけじゃなくて
もっと自分自身で考えて自分で行動することが求められてくる
散々個性というものを育てなかった学校教育、そして社会に出たらまず面接で自分の個性とは何だっていうことを聞かれて、そこで一旦躓いたり悩みが出たりするわけ
だって今まで個性っていうものを出して来なかった、それなのに会社の面接では自分の長所は何だ自分の短所は何だと聞いてくる
なんだこれは!?ってなるじゃない?
入社する、すると今度はその個性を潰してくる
周りに合わせろ空気を読め
めちゃくちゃなんです
本当に
こういうような社会だったの本当に
全部の学校、全部会社がこうとは限らないけど
基本的にこんな感じだった
いろんな会社に行ったけど
ほとんどこうだったね
出る杭は打たれるじゃないけど
諸先輩方に気に入られないと痛い目に遭う
そういう陰湿な部分があって嫌だなって思うことが多々あった
これからの時代は周りと同調しない、本当に個として生きる
そういう時代にどんどん入ってって
みんなの中に埋もれるんじゃないの
それぞれが独立してそれぞれとして働いていく感じ
会社の中にいるけどみんな一律じゃないの
ここには全く同じではない、自分自身の得意な部分を持った人が自分ができる範囲のことをやって
それぞれがお互いのできない部分をできる人が補い合いながら
適材適所っていう感じで会社が機能していく
今まではできない部分もできるようにならなきゃダメだった
でもこれからはできない部分はできるようにしてもいいけど、別にできなくても問題はない
そこをできる人がやればいいだけだから
オールマイティになる必要はなくて
自分が得意な部分をどんどん伸ばしていく
できないところは できる人が補う
そうやってバランスを取っていく
別にできない部分をそのまま放置しろって言ってるわけじゃなくて
学べるのであれば学べばいいしそうやって覚えていくことも大事だとは思うよ
だけど無理してやることではない
すごく苦手な作業を得意としている人がいたりとか
人間って本当はそういうものだから
それなのに全員が全員全部同じことができてないとダメ
これ全部できてないと良くない
でも本当はそういうものの見方自体が良くなかった
人を余計に苦しめる原因になっている
そうやって個として生きる
そういうフェーズに変わってきてるじゃない
そうなるとね
スピリチュアルでも個に関する話が出てくる
確かにこれはとっても大事なこと
これからの地球にとってはものすごく大事な話になる
でもこの個っていうのは肉体を持ったこの今だけの在り方って言うことと
スピリチュアルの神様と人間とか
なんとか星人と人間とか
なんとかっていう存在と人間みたいに
何々と何々っていうこういう考え方でいると
私とあなたの世界になるでしょ
私と私とは違う誰かがいる世界
これがもうすでに善悪とか陰陽とかそういうことじゃなくて
二元性の世界なのだと思う
二元性の世界はもしかしたら白黒とか良い悪いとかそういう対極のものがある世界だと見がちだけど
そういうのも含んでいるけれども
もしかしたら私とあなたがいるこの世界
比べる対象がいたりあったりする
この世界そのものが二元の世界のようにも思えて
断言はできないけどね
でもそうしているうちはずっと何かと何かの世界から抜け出せない
二元ではない世界からは離れられない
だからきっとまた繰り返してしまいそう、、、
繰り返さないようにすると
繰り返そうとするものが出てくる
二元性の世界にはいつも反対のものが存在してるから
平和の反対
調和の反対
平等の反対
愛の反対
光があれば闇があり
善があるなら悪がある
それらは対極のものとして存在してる
これを二元性と言う世界は残っていても
そこから卒業するのには
真実というより真理を知る
本質とは一体なんなのか
どんなことを指しているのか
二元ではない世界を見ないと
そこを見ようとしないと
つまり本質というものが何なのかを知ろうとしないと
これはスピリチュアル的な目線じゃなくて
本当の真実
一人一人波動が違うからその波動にあったものを見てるし、経験する、何を思い何を感じるのか、それは個々人で違う それを真実というのではなくて
本質とは一体何を指しているのか
どんな状態なのか
これはスピリチュアルの中に本当にあるのか
サイキック能力を使うことが本質なのか
使命があることが本質なのか
本質って一体何なのか
前世を思い出すこと?
過去世があること?
存在と話ができること?
それはどれかは本質の中の一部かもしれないけど
でもそれは本質なのか
私の本質って本当は何
自分と一致すること
魂で生きるということ
これを本質って言ってるけど
自己一致っていうのはどういうことなのか
何をもって魂を本質と呼ぶのか
魂とは本当は何なのかとか
そういうのをしっかり自分で見て考えなきゃいけない
考えて言うとものすごく思考の中になるから考えすぎも要注意ではあるよなぁとは思うの
だって私たちは知識して生きるわけじゃなくて
本質として生きるからね
だけど考えることも大事だと思うの
誰かがそう言ってるからそうなんだじゃなくて
自分がどう思うのかなっていうそこ
本当にそこなの
スピリチュアルの中から自分の本質を本当に見つけられる?
自分自身の過去の体験とかって本質なのかな?
今世生きて体験したことは確かに自分の経験にはなってる
でもそれは人間として今生きている私の体験であって
私の本質かって言うとそういうわけではない
じゃあスピリチュアルの人たちがよく言ってる
前世とか過去世これは何なのか
これも自分の本質なのかっていうと本質じゃないよね
ただ自分の中にある経験っていうだけであって
その経験は経験なんだよ
経験であって本質ではない
じゃあ私たちの本質って何?
よく聞くインナーチャイルドとかもそう
インナーチャイルドの癒しとか聞くけど
でもインナーチャイルドを癒したからと言って
それは自分の本質なのかっていうと本質じゃないよね
自分が過去、幼い頃に体験したトラウマ的なものとかそういう感じの話でしょ?
だからこれも経験なんだよ
自分が体験したことであって
私の本質かって言うと本質じゃない
じゃあスピリチュアルが言っている本質って何ですか?ってなるの
スピリチュアルで言っている
魂もそうなの
魂は本質である
でも本当にそれって本質なのかな
魂で生きよう
分からなくもないけど
でも魂は本当に本質なんだろうか
自分の本質って魂だと思う?
本質が自分自身の体の中に入ってるっていう感じ?
本当に?
本質そのものだったらじゃあなぜ過去世とかが出てくるの?
魂そのもの、つまり本質が自分の体の中に宿っているのであれば何で過去の経験を思い出すことに重点を置くのか
輪廻転生の話とか結構されるけど
そういうことじゃないと思うの
カルマの解消もそう
スピリチュアルのカルマは重すぎる
これはカルマとは言えなくて
なんか歪んでる感じがする
カルマじゃないものもカルマって言ってる気がするし
なんかよくわかんない
ソウルメイトとかツインレイとかそういうものに縛られてるし
自分の本質ってそういうものだっけ?
本当に本質で生きたら神様と私なんて思うだろうか
高次元の存在って言う?
本当に本質で生きているなら
それは存在も含めて存在同士で争うかね
光が〜闇が〜とかそういう話をするのかな
これはもう周波数とか波動とかそういうことじゃない気がする
繋がる先がどうのとかこうのとかそういうことじゃなくて
本質ってそういうものじゃないと思うから
みんな繋がってるとかそういう話でもない
本当に本質で生きたら
この私とあなたと言う二元の世界は残っていても
決して争うことはない
そういう気すら起きないもの
だからこれからの現実の社会で言う個と言うあり方
スピリチュアルでも同じように個の確立
自律して生きること
これを多分たくさん話していくと思うんだ
今までとは違うあり方に変わるから
だけどこれは二元性の世界のあり方なの
3次元の世界
なおかつそれは見えない世界にも波及してて
だけど本質で真理で見たら
本質はひとつしかないの
本当に自分自身が望む生き方
それこそスピリチュアルとかぶっちゃうところはあるけど
魂が持っている本質が学びたい学びをするようになる
魂の中には本質が学びたいと思っているものが入ってると思う
だから魂に沿って生きるって言ってるんだと思うんだけど
何言ってんのかわかんなくてもいいや
もう説明が難しいから
説明しようとすると長くなるしね
わかる人はわかるよね、きっと
魂の道に沿ってそれぞれがそれぞれに生きる
これがそれぞれの真実であり、それぞれの個の生き方、そして自由なんだと思うんだ
やっぱさ
くどくなるよね
説明下手くそだからさ
うまく言えないや
真実っていう言葉もいろんな意味を含む しね
言葉だけで見たら全部同じ文字だし
混乱するかもしれないけど
真実の中に含んでいるものはそれぞれ別のもの
別のものを指して話してるので
※これ音声入力なので書いてるようでいて話してます
混乱させてしまうかもしれないけど
こんな感じのことをずっと思ってる
説教めいた感じになっちゃってたら申し訳ないんだけどさ
あと責めてるような感じになっちゃってたらごめんね
でも根底にあるのは安寧
私は存在にも人にも笑っていてほしいの
全ての存在、全ての人に安心して過ごしてもらいたいの
それだけ
でもそうじゃない状態がずっと続いているから
その根本的な解決を望むなら
そしてそれが精神世界とも密接に関係しているのであれば
人も存在も互いに本質がなんなのか
そこを見ていく必要があるように感じてこんなことを書いてる
だけど私自身もまだまだ全然だし
他人様のことを言える立場にない
でも気づいたことがあったから
書いてみた
足並みを揃えるとか手を繋いでとか肩を組んでっていうわけではないんだけど
でもお互いに一緒に頑張っていけばいいんじゃないかなって思ってる
それぞれのペースでね
互いに切磋琢磨しあって
そういうものなんじゃないのかなって思うから
私自身も全然まだまだだけどこんな風に書いてみた
これは何かを否定しているわけじゃない
ダメだとかそういうことじゃなくて
途中で宗教の話とか出てきたけど
何かの宗教が悪いっていうことじゃないの
人間の心の闇が生み出したものだと思うんだ
※だから宗教が悪いってことじゃなくて、神様なんていないとか、神様を信じるなとかそういうことでもなくて、信じたっていい、宗教に入ってたってそれが悪いってことじゃない、信仰する気持ちや敬虔な気持ちは大切なことだと思う、だからそれを否定しているわけではないの※
誰の心の中にもある人の宜しくない部分が生み出してしまったものだと思うの
でもそれを責めてるわけじゃないの
ものすごく大きな視点、きっとこれは宇宙視点ではなくて
本質の意識の視点で見たらきっと必要なことだったと思うんだ
そういうことがないとこういったことはわからない
つまり良くない部分があって初めて良い部分がわかるから
それはこういったことには限らずいろんなことがそうじゃない?
そういう視点で見ると必要なことだったとは思うんだけど
ただ3次元の世界(人の世、現し世)で見ると結果としては悲惨な出来事であることには変わらないし
人には感情があるからその感情に飲まれてしまう
感情は心とも直結してる
だから心が痛くなる
そういったところからまたいろんな部分に飛び火して事態が大きくなったりする
心が動くこれはごく自然なこと
それがいい部分であれそうでない部分であれ
人はそういうものだからこればかりはどうすることもできない
ただ感情は本質かどうかっていうところでは本質ではない
じゃあ心は本質じゃないのか
これは何とも言えないけれど
本質そのものって感情がない
感情がないって言うとすごく冷たいイメージを持つけど
そういうことじゃないんだと思う
この感情と言うのは人間特有なのかな?
人に備わっているもの
※でもこの感情を理解できる存在もいる、ただ全ての存在が感情を理解できないわけではない※
この感情に飲まれてしまうと本質を見失う
本質の中には中というか本質自体には多分愛というものしかなさそう
感情は人に備わってるものだから本質に備わっているものではないのだと思う
人の話を聞く分にはそういう感じがする
この愛の範囲がどこからどこまでとか
どういうものを愛としているのかはちょっとわかんないけど
愛そのものであるそういう感じがする
じゃあ感情は愛ではないのか?と問われると
これも愛の一部ではあるとは思うの
でも本質そのものではない雰囲気
漠然としか言えなくて申し訳ないけど
話を聞いてるとそういう感じがする
感情これは思考の中
でも本質はその思考ではないところにいるというかある
だから感情に飲まれることもない
人間の世界で言うカルマ(前世とかで悪いことをしたからその悪いことを精算するために良くないことが起きてるという考え方、業?って言うやつ)というものに縛られることもないし
インナーチャイルドもいないし
スピリチュアルによくある丸い形などと表現される形を持った魂もない
魂自体に形というものが存在してないという感じがする
丸とか大きさとかそれは魂のイメージなんだと思う
イメージということは頭の中で浮かべているもの
つまり思考の中
それぞれにそれぞれが見るものが違う
それは波動が周波数がとかだけじゃなくて
その人の中にあるイメージも入っているから
だからそれぞれにそれぞれが見るものが違う
イメージということはやっぱり思考の中
本質はその思考ではないところにあるから
思考の中にいるスピリチュアルでは思考の外には出れない
スピリチュアルの本質が何を指しているのか
スピリチュアルの中で語られる話が全部が全部っていうわけではないけど
本来の本質と関係してるようで関係していないような気もしなくもなくて
どうしてこういうことになっているのかわからない
スピリチュアル自体を悪いとは言ってない
それもそれでいいと思うんだ
ただ本当に二元性の世界から違う世界へ行くにはスピリチュアルな考え方を改めないとダメなのかもしれないよ?
二元性の世界そのものを終わらせることは多分できないから
物理的に無理というか
精神世界的にも無理だと思うんだ
だってなんとなくだけど
こういう場が必要だから設けられたものであって無くすことはできない
それは皆までともどういうことかわかると思うんだ
ただ二元性の世界で生きながらも二元性の世界ではない世界で生きることはできる
それには本質を思い出す必要がある
スピリチュアルの考え方とかそういうものも見直す必要も出てくるし
スピリチュアルにどっぷり浸かってるなら捉え方を改める必要が出てくると思う
そこでは自分の信じていたものをもしかしたら根こそぎ見直す必要も出てくるかもしれない
今まで信じてきたものを手放す時って
ものすごい抵抗感を感じたり
すごく嫌な気持ちになることが多い
それはそれを信じて生きて来た自分自身を否定することにもなりかねないから
別に否定してるわけじゃないんだよ
単純に考え方を改めるっていうだけ
自分自身を否定する必要はなくて
それが間違ってたんだとかそういうことでもなくて
単純にあらそういうことだったんだね
じゃあ考え方を改めようで終わり
だけど人間は今の今までやってきたことに対して
どうしてこんなことを信じてしまったんだろうとか
自分自身を責め出したり
自分を悔いたり
反省することは大事なんだけど
そんな自分自身を許せなくなってしまう
そういうところがあるから
それはやらなくてもいいこと
私自身もそういうことやっちゃったりするんだけどさ
だから人のことは言えないの
そうやってどんどん問題ごとを自分で作って自分で自分を追い込んでってしまう
だけどそういうのは本当はなくてもいいもの
こうやって複雑な感情に飲まれてしまうのが人間なんだけどね
でもこれも本当は自分自身の本質ではなくて
エゴ(自我)なのか何なのかわかんないけど
人間に備わった想像力が見せる幻想なんだと思う
なのでこういうものも思考の中なんだって気付いて
これは本当に自分が思っていることなのかとか
自分自身が本当はどんなことを今感じているのか
どれが本質から出てきたもので
どれが思考が生み出しているものなのか
意識である本質の自分自身が感じているもの
思考が生み出した意識ではない自分自身
2つあるように感じるけど別に2つになってるわけじゃなくて
どれも自分自身
でも意識の自分ではない部分は本質の私ではない
偽物ではないけれども本質ではない
真我とも言えるのかな?
本当にスピリチュアルについてよくわかんないからさ間違ってたらごめんね
ただ個人的にはこういう感じで捉えてるのと
解決案としてはやっぱりこういう感じになっちゃうかな
案って時点で考えてるじゃん、思考じゃんって思うけど
考えるよ、普通に
むしろ思考停止の方が怖い
必要な時に思考は使っていいと私は思う
じゃあ何のために思考があるのさっていう話にもなるし
なんか意味不明なこと書いちゃってるかもしれないけど
こういう変わった感想を持つ人も中にはいるっていうことで
音声入力なので誤字や脱字、変な隙間があるかもしれないけど気にしないで下さい
脱字の部分は補完していただけると幸いです