また 真夜中に 考えちゃうよね


私のブログは 音声入力のため変な隙間とか


同じ言葉でも 漢字変換されたり ひらがなのままだったり


そういうことがよくある


音声入力ってすごく便利だから


めちゃくちゃ多用してる


何度か書いてるけど


実は私のブログは全部 抑揚がついてます


文字しか見れないから抑揚がついてるなんて思わない


でも実はちゃんと強弱があったり 間(ま)があったりする


スピリチュアルについて結構 考えることが多くて


次元上昇についてよく取り沙汰されてるじゃない?


次元上昇をするためにここにいるだとか


次元上昇を助けるためにここにいるとか


みんな何かしらの役目を持ってここに生まれてきているよと 聞くけど


そういう人もいる


でもそうじゃない人もいる


前々から思ってたんだけどさ


スピリチュアルって結構 押し付けが強いよね


そういうものだっていう感じで


バーン!と人にラベリングするの


デカデカとシールをくっつけられるような?


勝手に決めないでもらえます?


そもそも


スピリチュアルを知っている人は 次元上昇するけど


スピリチュアルを知らない人は 次元上昇ができないじゃないけど


なんかそうやって人間を区分けしてません?とか


スピリチュアルを知っている人は五次元の世界に行けて


そうじゃない人は三次元みたいな?


誰もそういうことは一切言ってないけど


でもそういう風に思ってるのでは?と


言葉の端々に スピリチュアルに興味を持った者だけのもの


そういう感じがするんだよね


スピリチュアルに興味を持ってない人を除外してるような感じ


スピリチュアルに興味を持ってる人だけで何とかしようとしてるような


働きかけをするならスピリチュアルに興味を持ってる人からにはなるだろうけど


なにゆえ自分たちだけで何とかしようとしてるのか


目覚めてる人と目覚めてない人みたいな感じで 振り分けしたり


目覚めてる人は本質を生きていて目覚めてない人は本質を生きていないとか


本質を生きている人は生き残るけど 本質で生きてない人は生き残れないとか


何なんだその話は


あまりにも本質を生きれてないから


だから人間にとって不都合 と思えるような出来事を これから見せてくるとか


それは 天変地異という形でとかね


そういうことを伝えてる人とかもいるじゃん


こういう考え方が個人的には好かないの


それもこれもみんな本質で生きてないからだよ


ってことになるんだろうけど


そもそも スピリチュアルが本質からずれてんじゃん


この世界の 根本原因はそこにあると思う


超上から目線の神とか


神様の言うことを何でもかんでも聞く人間とか


けど本質的な目線で見たら


神も人もどっちも同じだけどね


根源(親を同じとする)から生まれたから


だから神とかじゃなくて


そもそも 同じじゃん


しかも本当は何にもない


だから 多分 幻 って言ってるんだろうけど


確かに何にもない


比べる 相手もいないし


となると私もいないし


けど確かにいる


何もかも自分になるしね


全体がね


そういう意味でも私はいないと言える


何にせよ


スピリチュアルの中だと


いつまでも他人と自分なの


ずっとそう


ずっと 神と人みたいな感じで


別々なんだよね


しかも 自分と他人を比べるから


常に 比較の世界


しかもそれを 存在もやってるし


罪と罰と咎がある


この世界にはなぜだか目に見えない世界にまで


人と同じように 裁きがある


そんなものないけど


ものすごくそういうものとかを信じ込ませてる


イメージの世界だからね


そう思い込ませたらそうなるし


それを信じてる人たちが多ければ多いほどそういうことになる


だから 本当に厄介だなって思ってるし


何これって思ってる


この世界を根本的により良い、住み良い世界にするには


本当の意味で本質を知る必要がある


人間が存在をないがしろにするわけではないんだけど


もっと自分の足で立って歩く


本当に存在はサポートするぐらいで


存在の言う通りに動くっていうのはちょっとマジで よくわかんないから


これ何なんだろう?ってマジで思ってる


意味がわからなすぎて


本当に何なんだろうね


神様のおつかい みたいな話とかも聞くけど


喜ばしいことであるって思われるけどさ


よくわかんない


そういう経験も必要なんだろうけど


人によってはね


でもなんでこういう経験が必要なんだろうね?


それはその人の魂しか知らないことだから私がいくら考えてもわからないことなんだけど


うーん、、、どうしてそうなったの?と思っちゃうんだよね


すごい 制限 受けてるし


自分の時間がない感じだし


それって何のために生きてるのか わけわからないなって私なんかは思っちゃうの


他人の人生に口出ししてる感じになっちゃって申し訳ないけどさ


本当に良くないことではあるんだけど


分からないんだよね


なんでこんなことが?


だからこそ思うんだよな


これでいいの?と


いいんだろうけど


あんまりいいように見えない


だけどそれは私の視点からなんだよね


本人の視点からじゃ全然違うんだよ


しかもそこの1つの部分だけを見てるんじゃなくて


今までの全体を通して見たら


ものすごく意味のあることだったりするから


本来の姿の視点だと


ちょっと色んなことが見えてくる


だけどその視点を今知識としてでしか入ってないし


あくまでも 人間 ベースで見てるから


そうなるといろんな思考が混ざって


わかるけどわからないっていう状態になる


だけど 本質の自分ってそういうことじゃない


完全に 思考の領域から外れてるところにいるし


なんかちょっと違うんだよね


うまく言えないけど


それから これは 今現在のものだから


もしかしたら解釈違いを起こしてることもある


それは十分にありえる


なんせ 私は精神世界のことをよくわかってないから


人の話を聞いてなんか こんな感じじゃね?ってノリ


考察してるようなものであって


これが正解だとは思ってないの


ただスピリチュアルについてなんか変だな っていう感じ と


この二元性の世界を個人的には終わらせたいというか


これを根本的に見直して欲しくて


人間の世界だけじゃなくて 存在のいる世界も含めて


もっと 住みやすくしたい


どうにかできるんじゃないのかみたいな感覚があって


だけどそれを解消するには


人間だけじゃなくて存在の意識のあり方も変えなきゃいけないなと


それと本質についても


なんか 昔から言われているスピリチュアルの知識みたいなもので形成されてる感があって


それに基づいたことを述べてるような?


全部が全部そうだとは思わないけど


でも全く無知なところからってわけではなさそうだよね


知らず知らず 耳にしてるとか多そうな?


子供の頃から 霊能力がありましたって人もいるけど


このパターン 本当 多いよね


もう多すぎて典型的なパターン


致し方ないんだろうけど


ごめん


つまんない


面白いか面白くないかは誰も聞いてないってのね


それはあんたがそう思ってるだけでしょ ってツッコミもらいそうだけど


確かにその通りなんだけどさ


それと なんであんたにそんなこと言わなきゃいけないんだよって言われちゃいそうだけど


それも確かにその通りなんだけど


でも いろんなパターンあってもいいと思うんだけどな


どれもこれも 似たような感じで


たくさん人がいるのに


同じような感じなんだなって


その分 違う人もいたりするんだけどね


どういうわけだか スピリチュアルを知るわけになるっていう


私も別に スピリチュアルにそんな興味なかった


親はそういうの好きだったかもしれないなって思うけど


今になって思えばそう思う


あ、親ってそういうの好きだったかもしれないなと


だけど私は別にそういうのに あんまり興味を持ってない


こういう世界はあるとは思うけど


気にしてない感じ


だから まさかスピリチュアルについて何か 物申す 日が来ると思わなかった


これって変じゃないの?とか


これっておかしくない?とか


基本的に批判になっちゃうけど


なんか人のあり方ってそういうことじゃないとか


存在も存在なのになんでそんなことしてるの?とか


どうしてそういうことを言うの?とか


疑問ばっか出てくる


だけど これって別に私のスピリチュアルに長けてるとかそういうことじゃなくて


普通に人間として生きていて思う疑問なんだよね


だから誰しも同じように 多分 思ってると思う


こういうことを書くとスピリチュアル アンチって思われるかもだけど


別にアンチではないんだよ


否定してるわけじゃないの


スピリチュアル自体を潰したいわけじゃないし


だけど違うな って思うんだよね


そういうことじゃないっていう感じがすごくする


だからいつもどこに向かいたいんだろうとか


どこに向かわせるつもりなんだ?とか


なんだかそういう 誘導的なものを感じちゃうんだよね


そうではないよって言ってるんだけど


本当に?って思っちゃう


ひねくれ者だからなのかな


嫌味な人なのかもしれない


揚げ足を取るわけじゃないし


重箱の隅をつつきたいわけじゃないんだよ


だけど


どうしても今のこの世界のあり方


特に存在と人間の関係性


ここが ちょっとね


めっちゃ気になる


もうこのあり方、やり方を変えていかなきゃダメだと思う


旧態依然としてる


人間は人間で自分の力で何とかする


存在は存在で自分自身と向き合ってもらいたい


全てが全てそうではないけど


見直しが必要だなって思う


ものすごく思う


人間が存在によってもしかしたら


色々な力を奪われてるかもしれない


自分で考える力


自分で行動する力


自分で変えていける力


自分を信じる力


他にもあるかもしれないけどとりあえず この辺


自分で本当はできるはずなのに


存在なしではできない


存在ありきの私たち


確かに存在ありきではあるんだけど


それを言うなら私たちがいるから存在もサポートができるわけで


お互いに win-win な関係性なはずなんだよ


どっちが上とかどっちが下とかそういうことはないし


互いに切磋琢磨し合う関係性なんだけど


なんでかわかんないけどさ


どうにも人をコントロールしようとしたがっている存在はいるし


そういう存在を見つけてはそういう存在を排除しようとする 存在はいるし


それで喜ぶ人間もいると思うけど


異なるものを排除するっていう考え方は対立を生む


だからと言って人を意のままにコントロールしていいのかって言ったらそういうことではないよね?


でもどうしてそういうことをしようとするのか


それはもう本人の問題だし


そういうことを思うと存在も自分自身と向き合ってもらうしかない


本当に調和っていうものを望むなら


やっぱり 存在も存在で変わる必要があるし


人も人で変わる必要がある


そこにはやっぱり 存在と人との関係性 そこの見直しは絶対に必要だし


人間に知らされてないことが多分多いと思うの


全部を伝えるのはどうかと思うけど


時と場合と一人一人の意識の問題があるから


人間一人一人準備が整い次第徐々に伝えることも大事だと思うし


何て言うんだろうね


このスピリチュアルの世界だと本当に 思惑が多くて


めちゃくちゃ疲れる


だから知らされてないこととか出てくるんだよ


でも本当は知っててもいいと思うんだ


最初からね


もうじゃあと 生まれてから


さっさと この世界はどういうものか っていうことを教えちゃう


だから 自分で どうとでもできるんだから


好きなように生きなさいと


だけどそういうこと言わないもんね


それを言ったらつまんなくなっちゃうでしょ


自分で知っていくのが面白いんじゃない


っていう声もあると思うし 確かにそうだなとは思う


ただ あまりにも 開きがありすぎるのと


人が自分らしく生きれてない現状があって


この社会にしたのを全部人のせいにしてるけど


そういうわけではないよね


つまり 人のせいだけじゃない


こういう世界になっちゃってるって言うところもあるし


それは人間だけじゃなくて 存在も含めてこの世界に関与してるから


人のせいだと言うなら存在のせいでもある


だから人間だけのせいではない


個人的にはそう思う


だから人間にだけ いろんなものを課してくる


存在って個人的にはめっちゃムカつくの


なんだこいつ って思っちゃうの


どの目線でどこから話してるんだよ と思うの


ここに降りてきて話せって思っちゃうの


お前 本人がここに来いって思っちゃうわけ


自分でその身を持って自分でも体験してみろって言いたくなるの


そうやってね 安全地帯から話すんじゃねえって思っちゃったりするの


自分自身は体がないから


で、この世界の理みたいなものを知っているから


だからなんだ?と


口で言うのは簡単でしょう


体験する こっちの身にもなれとかね


いろんなこと思っちゃうんだよね


それすらも わくわくして


そういうことも承知の上でここにいるんじゃないとか


仮にそうだったとしても だよ


だから何?


そうやって言えば何も言えなくなるって事 わかってて言ってます?


分かった上で ここにいるからとかそういうことじゃないから


結構 存在についても ボロクソに喋っちゃうから


スピリチュアルを神聖なものとして扱ってる人からすると


何という冒涜だとか


異端者とかそういうものに見えちゃうかもしれない


んだけど スピリチュアルってあんまり 神聖さを感じないんだよな


知識(情報)の宝庫だけど気をつけないと詭弁になる


そういう情報的なものとしては価値があるのかもしれないけど


だけど神聖さってどこにあるんだろう?


特にそういうものは何も感じなくて


それによって人間性が高まるとか


そういう意味では神聖さを持ってくるのかもしれないけど


それ自体にはあんまり感じない


そういうのって 人間とか存在とかそういうものを通して 垣間見るわけでしょ


存在は見えないから存在と通じてる人の人となりとかを見て感じるとか


存在が伝えているその言葉 の内容とかによって間接的に分かる感じ


スピリチュアル的には特に何も思わない


ただの情報、それが知識となる


そんな感じ


それを叡智とは言わないかな


叡智と言うなら


地球の自然を見に行った方がいいし


智慧なら外側っていうよりも自分の中を見た方が分かりやすい


自分の反応とかを全部分析 じゃないけどよく見てゆく


分析って言うと頭使っちゃうことになるけどね


そういう思考の中から出て来るものは正直に言うと本当の自分じゃないんだよ


そういう思考から外れた場所にいる


そういったものにとらわれないのが本当の自分なんだけど


私自身は全然そういうのができてなくて


普通に感情的になるし


普通に頭にめっちゃ考えるし


本当にものすごく人間みたいな感じで


本質ってよりも人間として生きてる


というか人間として生きたいんですよね


人でありながら 本質として生きることはできるんだけど


あくまでも ベースは人としていたいなっていうところがあって


そもそも すでに人間なんだけど


意識の部分を人間のまま、思考でいたいの


分かってるんだよ それじゃないってことは


でもそうしないと見えてこないものがある


それを終えたら多分 人間のもってる思考からさようなら〜って感じになるのかな?


みんながそっちの本質に気づいてもらえたら


この今のこの世界のあり方が変わるんだよ


存在たちもそうなんだよ


ずっとそこにいるの


でも 本来はそこじゃないよね?


だから何なんだろう?って思っちゃうんだよ


あえてそういう場にしてるんだろうけど


不思議というか


うーん


変わってるよね←それを お前が言うのかい!って言われちゃうよね、だって私のだいぶ変なこと書いてるしね(;・∀・)


自覚はしてるよ


変なこと書いてるなって


意味不明すぎるよね


しかも勝手に思ってることだから


本当にそうなのかわからない


確かめたことがないっていうか 確かめようがなくて


見たことないし


知らないけど


やっぱ違うなっていう感覚だけはすごくあって


その違うな ってどうして思ったのかそう言うことを述べていくとこんな感じになっちゃうんだよ