なんのことかわからないかもしれないけど
『閲覧注意系 前編』の続きの『閲覧注意系 後編』の一部です
塩対応について疑問に思うこと
それについての私の見解
※今現在のものです
テーマが閲覧注意の内容になるので
見るのなら気をつけて
別に怖いことを書いているわけではない
恐ろしいこととかも別に書いてない
ただ人によってはどう思うかわかんないから
一応閲覧注意っていうことにしている
だって人の気分に責任取れないからさ
でも気分悪くさせたら申し訳ないし
なのでスクロールを下げてもらわないと見れないようにしている
これはメモ書きです
これをベースに説明を増やして書いてる
それの一部を
まとめるのが大変すぎて
先行して公開してるものになります
闇は闇であることを望んでいるのか
闇の表面の意識ではなく
深い部分の本質は?
邪であることを本当に望んでいるかどうか
しっかり確かめることも大切
自由意志や学びたいから学ばせる、気づくまで待つだけじゃない
スピリチュアルの決まり事がどうとか
それを理由にして置き去りにしてないか?
もちろん本人が決めたことならそれを尊重する
でも路線はいつでも変えられるように
サポートはしたまま
放置せず、見て見ぬふりをせず、助け合いを私は望む
いつまでも闇は暗い場所にいるものと言ったものの見方や
暗い場所にいればいい存在というこの宇宙の在り方
でも本当にそれで解決するのか
闇も同じように光に向かってないと意味がないのでは?
何が調和で何が愛?
優しさとは?
慈しみとは?
そこの塩梅やどこからどこまで?と言った線引は難しいけど
単に言葉上、計画上、意識的な上で、意識的とはいわゆる想像(頭に浮かべること)の中では理想として既に完成されているのだとしても
またその世界が在るのだとしても
実際問題、(見えない世界も見える世界も含めた)現実は根本的に何も変わっていない
結局よくないと思うもの、そう思われるものをそのままにして
それはそれを好む者がその周波数が好きで、それを望んでいるのだから
好きにさせておけばいい
そうやってスピリチュアルの概念に当てはめて
わかってるのに知らんぷり
闇の可能性を否定して
悪だと魔だと決めて
それしかできない存在にしてしまう
けれどそれは本当にそうなのか
私は闇と呼ばれるものにも希望を持ってる
闇に分類されるもの、それらは闇という円環から
そうではなく螺旋という事に気づいて
上に向かって行く
闇が光側へ近付く
闇も光と同じなのだから
光に戻れる、近付けるはず
本来の本質が闇なんて事はないのでしょう?←知らんけど
でも源は愛という、光だという
そうなのなら
闇もそうだよね
闇も源から生まれたって言われてるし
だったら闇の本来の姿は闇ではないよね
闇にだって光はあるでしょう?
それなのに闇を遠くに置いて
闇とそれ以外とで分けて
そんな状態で調和を謳っても
なんにも響かん
少なくとも私には光にとって都合の良い綺麗事にしか見えない
だから調和についてや五次元の世界などその先(今後)について話す内容に何の意味があるの?と
問いたくなる
基盤、基礎、土台となるものに含まれる考え方やものの見方が話してる内容と本当に一致しているのか
そこを見直さないといけないのでは?と私は思う
悪と呼ばれる存在や者は闇に分類される
この闇が行うこと
それについては私も許し難いし大嫌い
だけどそれでも闇をどうしても嫌いになれない
それらをそのままにしておきたくない
人の意識が現実を作るというのであれば
闇は闇だよね、悪は悪だよねって思っている限り
そのように働くと思う
もうそれをやめさせてあげない?
そしてそれは光の存在にも言える
光は光として見るから
光側は闇(悪あるいは魔)に対抗して光としての役割を果たそうとする
だけど本当は光も闇もないじゃない
今はあるけれどね
でもその状態を終わらせることだってできる
だって本来はなかったものだから
みんな一つだったんでしょ
そうやって言ってるじゃない
不特定多数の人が
なら多分そうなんじゃないのかなって 私は思う
実際見てきたわけじゃないから
本当に一つなのか
光と闇はないのかなんてわからないけれども
でもきっと その 一つ状態を調和って表してるんじゃないの?
そうだったら
それに近づくのには
一体何が必要なのか
何が大事なのか
どうして行くのが良いのか
皆さんだったら何を思います?