ようやっと魂がなんなのか分かって来たような気がする。
私の感覚だとずっと魂に沿って生きると言う言葉がどうにもピンと来てなかった。
でもその意味も少しずつ腑に落ちて来たところ。
けれどやっぱり魂は本質とはどうやら別っぽい。
だけど本質と近い意味合いを持たせても間違いではない。
何故なら本質が計画して来たことを魂に持たせてるから。
言い方を変えたら魂に刻んでる(魂が持っている)とも言える。
これは私の解釈だから違う意見もありそうだけど。
私は本質と魂は別と考えた方がしっくり来るのでこんな感じの解釈に落ち着いた。
因みに私と言う存在そのものを魂と表現するのにもしっくり来なくて。
私は私と言う人間であって魂ではないと思ってる。
私の中に魂はあるけどでもそれは私自身なのだろうけど私とは違う気がしてる。
私自身そのものって気はしてない。
私の中に魂があるだけ。
今現在の感じだからまた変わるかも知れないけど。
私自身がこの魂を通して私の本質に繋がるって感じがしてる。
今現在生きてる私は確かに私だけど、でも本質が本来の私なのでしょう?
その本質の私は私だけど私はこのように私だけではない気もしてるから。
今の私は人間をやっているけど。
そうでない私もきっといるのだろう。
私だけではないとはそう言う意味。
そして人間をやっている私自身は身体と言う肉体を持ちながら、脳みそつまり頭で考える思考を持ち、精神とも呼ばれる心を使って感情を持ち、魂と言われる本質の一部を持ち合わせてるのだと思ってる。
魂は本質でないと書きながら魂を本質の一部と書いたのはのは魂が本質の計画書(望み、やりたいこと)を持ってるから。
魂に従うとか、魂の望みや魂に沿うなどと言われるのは本質がやってほしいこと、つまり本質がやりたいと思っていることを私と言う人間に託してるのかも知れない。
でも何度も言うように私は私であって。
私は本質にコントロールされる為に生きてるわけでもなければ、本質が私を支配しているとも思ってない。
本質の私の為に生きてると言う感じにも受け取れなくもないけど。
本質の私の為に生きてるのではなく、本質の私がきっと何かしたくて私として生きてるのだろうから。
これ(人間として今を生きていると言うこと)は私の望みでもあるのだろう。
それに本質の私も人間の私も私は私。
存在の仕方が生身の人間なのか、見えない私なのかと言う違いだけで私は私。
本質ニアリーイコール魂。
魂ニアリーイコール私って感じ。
意味不明かも知れないし。
自分で後々読み返した時に足りなかったり、意味が通じてないなんてこともなきにしもあらずだけど。
今現在はこんな感じです。