上手くまとめられなかったかも知れない(;・∀・)


日本語がおかしいおそれ?(;^ω^)


ひとりごとです。







人が生み出したものの大半は分解出来ない。


ある神社に行く途中の山の中で古びた乗用車が落ちてた。


朽ちて錆びてるけど。


自然に還らない。


道端に落ちてるゴミも自然のものではないから地球に還元することが出来ない。


本当に要らない物でしかないんだなって改めて実感した。


資源にするのさえ手順を踏まないと難しい。


なんかそれを見たら悲しくなって来た


悲しくなって来たとはまず車が山の中に落ちてること。


そもそもなんでこんな所に?(・_・;)


乗ってた人は大丈夫だったかな?って。


事故なのか、事件なのか、不法投棄なのかは謎。


すごく古かったし、いつからあるのか分からない。


山という自然の中にたった一台だけ、不自然に落ちてる車は異物感が半端なくて。


ほとんどの人が気付いてないように見えたけど。


なんだか不気味で怖かったなぁ。


次にこの神社に行った時には見当たらなかったから、見落としていなければ誰か連絡して引き上げたのかな???


まさか私しか見えてないとかそんなホラーなことはないはず(^_^;)


そして次に悲しく思ったのは、こんな自然豊かな所に大きなゴミがあること。


自動車でも動かなくなればゴミにしかならない。


最後の悲しくなったことの説明にも繋がるけど本当にゴミでしかないんだよね。


(どうやっても)自然に戻すことが出来ないこと。


自然の力では分解出来ないからずっと残って行くしかない。


朽ち果ててくれれば循環することが出来るけど、車は錆びはするけど腐敗しない。


タイヤも劣化はするけど残り続ける。


誰かが山林から引き上げて山から撤去して運び適切に処理をする。


それをやらなければずっとこの大きな塊は塊のままそこに有り続ける。


無くなることはない。


これは今の現代人のみに向けて言ってるわけでも、また批判してるわけでもない。


ただ人は生活環境を向上させる為に、自然の力で還元することが出来ないものまで生み出してしまったのかも知れないなって。


自然に還すことが出来ないものを地球上に増やし過ぎた。


だからと言って人間がその管理をしっかり出来ているか?と言われたら出来てない人が大半。


もちろんこれから変わっていくのだろうけども。


それでも思ってしまう。


一体どこが地球環境を良くすることに繋がってるのだろう?


未だに地球に元々なかったものをどんどん作り出してるし、今現在だってやめる気配はないよね。


これからも使い続けるし作り続けるんだと思う。


確かに便利だしこれは無くせって言ってるのではない。


ただどうにも疑問。


実は表面的な部分なんじゃないかなって。


もちろん地球のことを考えているし行動もしているけど。


深い部分ではやっぱり人の都合しか考えてないのでは?と疑問ばかり浮かぶ。


また書くけどこれは批難してるのではない。


本当に真剣に取り組む気があるのかな?って疑問が浮かんでるだけ。


これは自動車だけの話ではない。


他にも沢山ある。


そうやって自然が保って来たバランスを崩し、人間側に利益があるようにして行った結果、そのバランスを傾けてしまったような気がしている。


これは何度も書くけど責めているのではない。


それにもちろん全ての人に当てはまるわけではない。


本当に地球環境に配慮した生活を送ってる方もいる。


けれどそれも全体で見たらきっと少ない。


SDGsと言う取り組みで世界規模で意識が変わって来てるけど。


本当はSDGsなんて掲げなくても意識を変えて行けるようでなくちゃダメだよね。


そのような意図で書いてないけど、上から目線で偉そうに見えたら申し訳ないです。


でもこれってある意味、何か目標がないと何にも出来ないんだよと自分たちで言ってるようなものだし、


また第三者からの目線で書くなら、目標がないと何も出来ないんだねと言われてるようなものでもあるだから。


結構恥ずかしいこと。


これは私も含めて、


言われなくちゃ分からない。


言われないと動けない、やれない、出来ない。


しかも子どもではなくて大の大人が。


それってどうなんでしょうね。


そう言う意識のあり方で本当に良いのかな?って。


そんなことを思ったけど。


私も全然出来てないことが多いから他人(ひと)様のことをとやかく言える立場にない。


けれどまだ出来てない私でも気付くことってあったし。


出来てないならこの瞬間から、今から変えて行くことだって出来るから。


みんなで少しずつでも変えて行けたら良いと思う。


もしかしたら全然出来ていなかった人だからこそ、意識を変えることで新たに見えるものがあったり、他の人では気付けなかったものに何か気付けたりするかもだし。


そうやって個々人がそれぞれ自分たちで出来ることを自分で見つけて行ったら。


今よりもより良い方向へ進んで行くんじゃないのかなと私は思ってる。


自然界にないものを作る人間はすごいけど、自然界にないものだから自然界に戻すことが出来ない。


それは重々理解しないとなんないし、それらと付き合っても行かないとならない。


何よりこれは今後も向き合う人の課題だと思う。


この利便性を享受してるのはみんな同じだから。


中には身を引いて違う生活環境を営んでる人もいるかも知れないけど。


自給自足の生活とかね。


それでもどこかしらで助けになっているだろうから。


ひとりひとりが当事者としてきちんと見て行かないといけないんだと思う。