お父さんが大好きなんです

前回書いたことは

本当自分の思いが、スラスラかけた文章でした。


そんな文章に

うれしい言葉もいただき

なんだか余計うれしくなりました



家族関係を題材として

お母さんが心配です~過食症親子⑥~

このシリーズも大反響をいただいているのですが

昨日 ふと思ったことがあるのです。





お父さんが大好きで

小さいころ

お父さんが大好きだ 

と、言いたかったわたし。



今もその 小さかった頃のわたしの思いが

くすぶっているんだなと 思いました。



大好きなひとに対して

「大好きだ」って思ったその瞬間に

まっすぐに「大好きだ」と言いたかった



だから当たり前といっては当たり前なんですが


じゃあ 今のお父さんに

面と向かって

「大好き」って言っても 

なんかしっくりこないんですよ



照れがあるのかな~

最初はそう思ったのですが

どうも照れでもない。



ほら、 お母さんに

小さいころに甘えたかった

ぎゅって抱きしめてもらいたかった

と思う気持ちがあるからって


今のお母さんに それをやってもらいたいと思うかというと

なんか違うって思ったりしませんか?


あんな感じ。





そう  やっぱり


あの、小さかったわたしが

あの瞬間に

ほしかった あの瞬間に


「大好き」って伝えたかった

抱きしめてもらいたかった



ってことなんです







だから、今のお父さんに「大好き」っていうのは しっくりこない。



でも、この気持ちがくすぶって、高ぶっているとき


心の中で


あの時のお父さんを想像








いつも 背中を向けて

手を伸ばしても 届かなくて

いつも遠くて


でも、

一緒にバイク二人乗りしたり

家電量販店連れてってくれたり



ある年の町の運動会、

わたし、お父さんにかけっこで勝てると思って

何度も勝負を挑んで

そのたびに、お父さん全力で走りやがって

絶対勝たせてくれなかった

悔しくて、泣きじゃくったわたしを

そのまま放置してテント戻りましたよね。確か。


あれは、なんか声かけてくれてもよかったのに

と苦い思い出(笑)


悔しかったわーーー





でもさ、

ソフトボールのピッチャーやってるお父さん

かっこよかったよ

眼鏡かけて、スーツ着て、仕事に出かけるお父さん

大好きだったよ




酔っぱらって説教垂れるお父さんは嫌いです。


理屈並べて、

正論を、私の言葉の上にかぶせて

わたしに話をさせずに

やれ言い負かそうとするお父さん嫌いです。




あの目、嫌いだわー

怖いもん。




なんでわかってくれないの?



なんでわたしの話はきいてくれないの?



なんでそういう言い方しかできないわけ?







お父さんを想像すると

いろいろな気持ちが湧き上がってくる







でも


ポツリ 






お父さん かっこいいよ。

お父さん 大好きだよ





ってね。






ここまできたとき、


ふと さらに 気づいたことがあったんです。







理屈並べて、

正論を、私の言葉の上にかぶせて

わたしに話をさせずに

やれ言い負かそうとするお父さん嫌い





これね、


自分のことだって





やれ あの子のほうが細いだの

やれ あの子のほうが勉強できるだの

やれ できないわたしはだめだの

やれ お金の管理できるあの子はすごくて 無駄遣いするわたしはだめだの

やれ 節約しろだの



やれ 料理のできるあの子はすごくて わたしはだめだの

やれ 仕事のできるあの子はすごくて できないわたしは人間じゃネえだの

やれ 道でみかける女の子はすごいと思うのに 
 それに比べてわたしは服のセンスないだの

やれ あの子に比べて わたしは頭が悪いだの

やれ ほかの子は好きなものがあるのに わたしにはなくてだめなやつだの

やれ あの子はあんなに上手なのに わたしはまったく上手にできないだめなやつだの







ああああああああああ

書いてて

こころが痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ





でもやってませんか?無意識に。みなさん。



わたしはやってます。


年中無休で。




世間というものと比べて

理屈並べて

正論ばっか言って



「わたし」の 湧き上がる言葉の上にかぶせて

「わたし」と 話をさせず

「わたし」を やれ言い負かそうとする


「わたし」を 全部 否定していた





お父さん嫌い



「わたし」嫌い


だったんだ。









この思いがあったから


わたし


自分の意見が言えなかった


(これだけじゃないけれど でも、)



お父さんみたいに

正論(世間一般の、常識・・・と私が思っているものを)
並べて話すのは 

相手の機嫌を損ねる


実際、 このお父さんの行為は、

お母さんの愚痴を誘発していたので

さらにわたしは 「だめなもの」としてラベリングしていたのでした。



堅苦しい・・・

正論ばっかで面白くない・・・

厭味ったらしい・・・

そう思われるのが嫌で





でも、

相手を畳みかけるのではなく

戦うのではなくて

自分ができる範囲で

丁寧に 優しく 自分の思いを伝えるならば

まったく 構わないのではないか???





正論と呼ぶものも

「自分が」そう思っているだけで

いち自分の意見にすぎないのではないか????




そして


相手がどう思うか

どう受け止めるかは

相手にお任せしていいのではないか?








そう一通り考察したとき、



自分に こう言ってあげよう



そう思ったのです。







わたし かっこいいよ。

わたし すごいよ

素敵だよ


だいすきだよ




ってね。





自分を嫌う気持ち

自分を嫌ってしまう自分



よくわかるよ




そして、どうやったら自分を嫌いじゃなくなれるのか

本当にわからなくて


嫌いなところしか見えてこなくて

しんどい気持ちもわかります。




わたしもそうでした。



嫌いなところしかありませんでした。





でもね。


心が回復してくると

自然と、

わたしの好きが増えてくるんです。


嫌いなところも

まあ ええか

って ゆるくなってきたりするんです。





病気で 

過食してて

こころも体もしんどいときは

好きになれないのは当たり前。


そんな余裕ないもん。



だからね



いまは 好きになれない自分 で いいや~~~~



って ポツリ 呟いてあげてくなはれ



だって


過食してて大変だもん

無理だもん

毎日生きるのに精いっぱいだもーん



*「だもん」は可愛くいきまっしょ




大丈夫。


「いまは」 な 期間限定ですから





自分が嫌い

でも 好きになりたい

でもでも 嫌いなとこ多すぎて

好きになり方がわからない



そう思うのは

本当に嫌いだったら

そんな風に悩まないし

そんな風に思わないから



かなっらず、 好きになれます




だから「いまは」



いまは 好きになれない自分 で いいや~~~~






わたしの「お父さん大好き」と「お父さん嫌い」は


本当は

「わたし」のことだったんだな~と

気づいた 春の一日でした