因果応報-ご質問から- | 法瀧庵-祟りはないと知ってほしい霊能者のブログ-

法瀧庵-祟りはないと知ってほしい霊能者のブログ-

霊能者であり、密教の修験者である沖田法瀧(おきたほうりゅう)のブログです。
お墓のお花はどちらに向けて備えますか? すべてが生きてる者の自己満足。それを知ってほしい。
「祟り」という言葉にどれほどの人が騙されてきたのか…そんな涙はもう見たくはないのです。

ゆうこさんからご質問をいただきました。


人を傷つけても本人に悪気がなければ、罰が当たるという意識を持っていなければ誰かに傷つけられる事はない、因果応報はない、とある占い師さんに言われ納得できなかった事があります。そういうものでしょうか?
それとも今世ではなく来世に持ちこされるのでしょうか?


この占い師さんの理屈がよくわかりません。


悪気がないなら許してあげてよ、という意味でしょうか?


けれど、許す許さないに関わらず、何事も自分に返ってきます。

自覚があろうとなかろうと、自分に返ってきます。


良いことも悪いことも。


本当に心根のキレイな神様に愛される人と言うのは、「良いことをしたったぞ!」なんて自覚もなく動く人のことを言います。いちいち恩着せがましく「こんなにしてあげたのに!」なんて言う人には、それこそ相応のご褒美しか返らないでしょう。


また、悪いことをして、心から反省した人と言うのは、決して無自覚ではありませんよね。


悪いことをしてやろう! と思ってやったのではなくても、結果的に相手を傷つけてしまったと感じ取れるか、または傷ついたと言われて素直に反省できるかどうかが、人としての値打ちを決めます。


ちゃんと反省した人は無自覚とは言えない。自覚がないと反省もできませんものね。


ということは、反省した人のほうに、無自覚のままの人よりもバチがあたるのかと言われたら、当然それはオカシイと思います。


これをおっしゃった占い師さんには、もっとほかに言いたい意図があったのではないでしょうか?

そのときのお話の流れや、背景にある事柄から、その場合だとこうなるよ、というお話をなさったのかもしれません。


いちがいに、その人は間違ってる! とは言えませんが、ゆうこさんの中に生まれた違和感は間違っていないと思いますよ。


ひとつひとつの出来事から学ぶことが、とても大切です。

自覚があり、反省をした人には「気づき」「学び」があったはずです。


悪いことをしたら、反省すべき。素直に指摘や忠告には耳を傾けるべきです。

そして、反省している人をしつこく責めるべきではありません。


反省とおなじくらい、許すことは清らかで素晴らしいものです。


ここらへんは細かなことがたくさんあるので、また別の機会に書かせて頂きますね^^