寒気が流れこみ…仕事も休みにしました
今宵は終戦直後の《女親分》の話しなどを 。。。
当時、国内は物資不足の状況が続いており
食糧などは農家への買い出しなど国民は苦労をしていた
戦争末期、空襲の激しさが増してきた新橋界隈には
火除け地として膨大な広さの空き地があった
立地条件も抜群ということもあり
勝手に露店の闇市が開かれ、物を求める人達で溢れていた

そこに目を付けたのは
新橋から愛宕界隈がシマ(縄張り)だった関東松田組組長
カッパの松こと松田義一
松田も戦争中は中国に出征するなど苦労をしており
単に利潤を求めてのものというわけでもなく
物資の入手に困る庶民への義侠心もあってマーケットの建設を目指した
空き地で開かれている青空市場の統制に困っていた都は
松田組からのマーケット建設申請をあっさりと許可
当時勢力を伸ばし、社会不安の種となっていた「三国人」との
対抗勢力への支援ということで
警察も協力するような形となった
露店の撤去も早々と、マーケットの建設は速やかに開始される
( 三国人とは日本人では無い第三国の人間で G H Q の命名 )
しかし、完成目前に
松田義一は破門していた舎弟の一人に個人的怨みから射殺されてしまった
その跡目は妻の松田芳子が継ぐことに 。。
この史上初の《女親分》の活躍は当時から
新聞や雑誌に取り上げられていた
この松田組の状況を組織の弱体化とみた「三国人」勢力は
マーケット建設の現場事務所を襲撃、その権利の奪取を図るが
【女親分】は組織をしっかりとまとめ上げるとともに
関東の親分衆からの助っ人も集まり
露天商組合や地元商店主からの協力も取り付けて防備を固めた
( 総数2000人とも云う )
10台近くのトラックに分乗して、再度の襲撃にやってきた
「三国人」勢力に対して
横流しの航空機用機関銃を乱射し、撃退に成功する

( このとき、1連射で機銃の故障があり、死者は無し )
俗にいう《新橋事件》である
そんな波乱を乗り越えて昭和21年の8月
建坪が二千坪に近い日本国内最大の闇市「新生マーケット」は完成
他を圧するその規模で当然のごとく大盛況で
入居店舗も完成前に全部決まっていたそうでした
下の写真がマーケット建設の立役者の面々

中央が松田義一(35)で左に立つ女性が松田芳子(29)
子供までが楽しそうに

🐱 🐶 スラっとして女優さんみたいやな
しかし、このマーケットも翌年には火災によって消滅 。。
関東松田組は子分40人とともに組を解散しました
そして昭和31年、松田芳子は大阪の地で39歳で死去
波乱万丈の生涯でした 。。南無・・・・・