前回の話の続き。



実はわたしが講演をするきっかけになったのが、その講演だった。



話がさかのぼるが、わたしは20年くらい前に通信制の大学で発達障害について学んでいた。



とにかく、アスペルガー症候群とかADHD などについて知りたかった。



手っ取り早く、大学で学ぶことにした。



興味のある自閉症とか発達障害とかいう名前がついている科目をポツポツ学んでいた。



最初に取ったのが「自閉症児の心理」だった。



スクーリングやレポート提出で単位を取る。



レポートを書くのは何十年ぶりのこと。



しかし、自分の経験を踏まえて書いたレポートはAだった。



まぁ Aはそんなに珍しいものではないが、レポートの最後に赤ペンで書いてある文字に目が止まった。



「ここに書かれているいちごドーナツ事件は、自閉症の特性を活かしたすばらしい対応です。
つきましては、わたしが行なっている勉強会であなたのお話を伺うことはできますでしょうか?
もしお断りになられても、あなたの不利益になるようなことは一切ありません」



そんな感じの文面だった。



「喜んで伺います」と即答した。



そして、その勉強会に行った。



先生方や大学院で学ばれている学生さんたちが20名くらいいらゃしゃる小さな勉強会だった。



そこで、わが家で起こったエピソードについてお話した。



なんたって、教育相談所での話は今の講演と変わらないわけで、教育相談所で話すような感じでペラペラとしゃべった。



楽しかった。



その後、教授から先生方で作っている「東京コーディネーター研究会」で講演をしてほしいと言われた。



教授はそこで会長さんをされているようだった。



再び快諾した。



その会はわたしの前に文科省の方が30分お話をされて、わたしは1時間半の講演をした。



レジメを作ってほしいと言われていたが、わたしにはレジメなんか作れない。



仕方がないので、「タレント養成所事件」とか「伊豆望遠鏡事件」とか「黙ってフランスは行かないで」なんてわけのわからないタイトルを並べた。



しかも、パソコンが使えないので、ケントにやってもらった。



それをレジメとして提出した。



あんまりだったらしく、そこにいい感じでイラストが入っていた。



それを皆さんは見てわたしの話を聞かれたわけだ。



その中に文科省の特別支援教育課の家長さんもいらした。



講演が終わってランチ会のときの話も盛り上がって楽しかった。



そこに、課長さんもいらして、ランチの後に「あの、タレント養成所事件についてお話してください」と言われたのだ。



そしてその後、「お母さんの話を全国のお母さんに聞かせたい」とおっしゃった。



この時点ではわたしはこの方が文科省の方だということはまだ、知らなかったが‥




そして、そこにいらした先生方が、「うちの学校でも講演をしてほしい」とあちこちから呼ばれるようになった。



それがわたしが講演をするようになったきっかけ。



つまり、いちご🍓ドーナツ🍩事件は教授が付けた名前だった。



いちごドーナツ事件は本にも書いていない。



ご興味のある方はぜひ講演に呼んでくださいね。



今はzoomでの講演のご依頼もお受けしています。