今日は、父が買う墓石のサンプルを石屋さんが持って来てくださることになっていた。
しかし、父がそのことについて何も言わないので、午後から石屋さんがサンプルを持ってきてくださるということを確認のため父に伝えた。
その瞬間、「オレはそんなこと聞いとらん!!」と怒り始めた。
「先週、そのことはお父さんに伝えたし、だいたいお父さんもその場にいたでしょ」
「オレは知らん!!」
「石屋さんがきてくださる日を決めてるときに、
おまえの都合じゃなくて石屋さんの都合に合わせろってお父さん怒ってたでしょ」
「なんで勝手に決めるんだ!!」
「だから、お父さんもその場にいて聞いてたでしょ。
お父さんに確認したよ」
「うるさい!!」
その後も、今度は母に意味不明なことを言って怒っていた。
なんだか分からないが、「日本の石」とか「大きい石」とか言っている。
それを、「日本の石じゃなくてインドの石だし、サンプルは小さいけどな」とか思いながらぼんやり聞いていた。
父は耳も遠くなっているし、少しボケているのだろう。
しかし、わたしは父の怒る声を聞きながら、お腹や胃がじわじわと痛くなってくるのをびっくりしながら感じていた。
けっこうどんなことがあっても胃が痛くなったりはしない。
なんで、ここで胃が痛くなる?
我ながら驚いた。
家に帰ってからも、夜にまた胃が痛くなった。
わたしの心の奥深くにあった、小さいときから何を言っても信じてもらえなかったことがよみがえってきた。
父は昔から思い込みが激しく、わたしがやってもいないことを「おまえがやった」とさんざん叱った。
どんなに「やっていない」と言っても信じてはもらえなかった。
そのときの痛みや悔しさが重なったのだろう。
毎週、なんとか時間のやりくりをして実家に行って、そして理不尽なことで怒られたり、怒鳴られたりして帰ってくる。
母は、帰り際、必ず「本当に助かったわ。ありがとう」と繰り返す。
夜、ブログを書く前にこのことの意味はなんだろう?と考えた。
わたしがそういう感情を味わうことが大切なんだと分かった。
多くの人が家族のことで喜びだけでなく、言葉に表せない辛さを抱えてたりする。
そこで色んな感情を味わう。
わたしは周りの人があきれかえるくらい、能天気だし、楽天的だ。
しかし、それでもこんなことで胃が痛くなる。
くどいようだけど、わが家で起こるひっくり返るような出来事を目の当たりにしても胃が痛くなることはない。
だから、驚いた。
きっとこういうことで、小さいときに感じていた思いを引っ張り出して、自分で自分を癒す必要があるのかもしれないと思った。
夜遅くに帰ってきた三男に食事を出すと、「いつも、洗濯してくれてありがとう。飯、作ってくれてありがとう」と言われた。
「あなたもいつも遅くまで働いてお疲れさま」と言うと、静かで温かな空気が流れた。
胃が痛くなろうが、怒鳴られようがわたしは毎週実家に行き続けようとあらためて決意した。