前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙一6章」について考察しました。
聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。
単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。
聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。
単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。
如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。
そのことを、常日頃から教えてくださっているのがRAPTさんです。
○RAPT有料記事762(2023年7月29日)全てのよこしまな心をなくし、神様をまっすぐに一筋の心で愛してこそ、真理を無限に悟り、吸収し、サタンに完全に勝利し、偉大な大使徒へと成長できる。
そのことを念頭に置きながら、今後も聖書紹介に挑んでいきたいと思います。
そこで、今回は、「コリントの信徒への手紙一7章」の本文を紹介したいと思います。
コリントは、ギリシアのペロポネソス地方にある都市で、古代ローマ時代には政治の中心地として栄えた所です。
コリントの住民としてローマの解放奴隷が入植してきたこともあって、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人が混住する状況の中、イエス・キリストを受け入れる信徒たちによって共同体がつくられました。
しかし、現実にはさまざまな問題や困難があったようで、本書簡が書かれた背景には、コリントの共同体の中で不和が生じていたことが挙げられます。
コリントの共同体がもめているという話を知らされたパウロは愕然とし、居ても立っても居られない気持ちで、この書簡を綴ることにしたのではないでしょうか?
「信仰によって一致してほしい」というパウロの切実な願いと悩みや苦悩を乗り越えようとする彼の熱い思いを感じ取りながら、この書簡を読み進めていきたいと思います。
以下は、「コリントの信徒への手紙一7章」の本文のみを掲載することに留め、7章の内容についての考察は、次回、このブログで触れることにしたいと思います。
(新約聖書〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コリントの信徒への手紙一 7
結婚について
1そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。
2しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
3夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。
4妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。
同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
5互いに相手を拒んではいけません。
ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。
あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。
6もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。
7わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
8未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。
9しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。
情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。
10更に、既婚者に命じます。
妻は夫と別れてはいけない。
こう命じるのは、わたしではなく、主です。
11――既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。――
また、夫は妻を離縁してはいけない。
12その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。
13また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。
14なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。
そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。
15しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。
こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。
平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
16妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。
夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。
主が定めた生き方
17おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。
これは、すべての教会でわたしが命じていることです。
18割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。
割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
19割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。
20おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。
21召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。
自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。
22というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。
同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。
23あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。
人の奴隷となってはいけません。
24兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。
未婚の人たちとやもめ
25未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
26今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。
つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。
27妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。
28しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。
ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。
わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。
29兄弟たち、わたしはこう言いたい。
定められた時は迫っています。
今からは、妻のある人はない人のように、30泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、31世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。
この世の有様は過ぎ去るからです。
32思い煩わないでほしい。
独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、33結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、34心が二つに分かれてしまいます。
独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
35このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
36もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。
罪を犯すことにはなりません。
二人は結婚しなさい。
37しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。
38要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。
39妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。
ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。
40しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。
わたしも神の霊を受けていると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(コリントの信徒への手紙一7章より)
皆様に祝福がありますように。
(2024.1.14)