高森顕徹への無条件服従 | 親鸞会の本尊論に対する疑問

高森顕徹への無条件服従

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1173109475/


741 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 10:42:49 ID:grcIfmwi
>>738

>>だから目標は、頂いたご縁を、善知識から頂いたわが身の勝縁として
>>させて頂くものです。だから、当然、喜んでさせて頂くものですし、
>>努力目標ですから、やらされてすると思うこと自体、いけないと
>>思います。
>
>
>こんなのは、やらされてすると言わないの??


いえ、そんなことはありません。
「教学聖典6(1)問「我々の凡智で納得できなくても、ひたすら親鸞聖人
の教えにしたがえば、必ず救われるのだ」と教えられた蓮如上人のお言葉と、
その根拠を書け。
答(1)
「我も知らぬことなり、何事も何事も知らぬことをも開山のめされ候ように
ご沙汰候」と仰せられ候 (御一代記聞書)」

とありますように、自分の計らいをいれず、高森先生お一人を善知識と
無条件で従ってゆくことが、信心決定に早く到達すると思います。
あなたのように、高森先生の仰有ることを疑って、あれこれ考えている
から信仰が遅遅として進まないと思います。

>だから、これは蓮如上人の言葉じゃないって。
>しかも「無条件服従」って勝手につけたタイトルでしょ?

高森先生は無二の善知識です。高森先生の言われることに間違いは
ありません。高森先生のお言葉は親鸞聖人のお言葉と思って進んで
ゆくことが早く信仰が進んでゆく道だと私は思います。


743 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:03:41 ID:cZW0pM7i
>>741

> いえ、そんなことはありません。
> 「教学聖典6(1)問「我々の凡智で納得できなくても、ひたすら親鸞聖人
> の教えにしたがえば、必ず救われるのだ」と教えられた蓮如上人のお言葉と、
> その根拠を書け。

これは、「親鸞聖人の教えにしがたえば」と書いてあるでしょ。
どこに高森先生に従えと書いてありますか?

>>今日より、法に依りて人に依らざるべし、(乃至)「法に依る」とは、法に十二部有り。この法に従ふべし、人に従ふべからず。
>>                        (教行信証化土巻)


> 高森先生は無二の善知識です。高森先生の言われることに間違いは
> ありません。高森先生のお言葉は親鸞聖人のお言葉と思って進んで
> ゆくことが早く信仰が進んでゆく道だと私は思います。


だったら、善知識に無条件服従せよ、という高森先生のお言葉をあげてください。
講師が勝手に言っているだけだよ。


745 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:19:25 ID:grcIfmwi
>>743

>> いえ、そんなことはありません。
>> 「教学聖典6(1)問「我々の凡智で納得できなくても、ひたすら親鸞聖人
>> の教えにしたがえば、必ず救われるのだ」と教えられた蓮如上人のお言葉と、
>> その根拠を書け。
>
>これは、「親鸞聖人の教えにしがたえば」と書いてあるでしょ。
>どこに高森先生に従えと書いてありますか?


私は高森先生が教えられることは親鸞聖人のみ教えと同じだと信じています。
今まで高森先生から聞かせて頂いたことで、自分なりにこれは親鸞聖人の
み教えと一致する。間違いないと思って、高森先生が勧めておられることは
親鸞聖人のみ教えそのままであると信じて従っています。

もし、あなたが上のようなことを主張するのなら、高森先生が勧めて
おられる中で親鸞聖人のみ教えと違う点を具体的に明らかにして
頂かなければ、あなたのいうことを信じられません。


746 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:20:59 ID:grcIfmwi
>>743

>>>今日より、法に依りて人に依らざるべし、(乃至)「法に依る」とは、法に十二部有り。この法に従ふべし、人に従ふべからず。
>>>                        (教行信証化土巻)
>
>
>> 高森先生は無二の善知識です。高森先生の言われることに間違いは
>> ありません。高森先生のお言葉は親鸞聖人のお言葉と思って進んで
>> ゆくことが早く信仰が進んでゆく道だと私は思います。
>
>だったら、善知識に無条件服従せよ、という高森先生のお言葉をあげてください。
>講師が勝手に言っているだけだよ。


そんなことはありません。確か講師の方が朝晩のお勤めのときに聖則で
高森先生のお言葉に無条件で従い、信心獲得を本と致しますとか
言っていたように思います。高森先生が善知識のお言葉に無条件に従って
ゆくことが、早く救われる道であると思われなければ、このようなことは
言われないと思います。


748 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:32:58 ID:EPRgW7vK
>>733

733 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 00:26:02 ID:frIHyJGR
なぜ、浄土信仰は亜流なのかと言うことですが、それは阿弥陀仏の浄土の教えは思想史の上からいっても、
また、宗教学的な見方からいっても、
釈尊の本来の教えとは言えない色々な状況証拠があるのです。
 思想史的にいうと、阿弥陀仏信仰がインド本土では流行したことは立証できません。
法顕、玄奘、義浄という中国僧で法を求めてインドまで旅行した人々は、
阿弥陀信仰については、なんら報告をしていないのは奇異なことで、もし、インド、釈尊以来の教えであるなら、
その筋道をたどることがある程度できるはずです。


>だったら、善知識に無条件服従せよ、という高森先生のお言葉をあげてください。
講師が勝手に言っているだけだよ。

顕正新聞の記事は高森会長に無断で講師が勝手に「善知識に無条件服従せよ」
といっているということ?そんなことありえないでしょう?
会長が検閲もせずに会の機関誌を発行するわけないと思います。

会長自身も善知識への無条件服従の教えを認めている、というのは常識と思いますが。

「こんなことが知りたい」1にも、「善知識はさとりを得る道の大因縁、全因縁なり」だとか、
般舟三昧経に、「善知識があったら十里、二十里はおろか海山越えても馳せ参じ、その善知識を仏の如く敬うて、
身肉手足をも供養すべきである」という引用がありましたが、間接的に会長が自分を仏のごとく崇拝しろ、
身肉手足をも供養しろ、といっているのと同じになりませんか?


749 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:38:18 ID:EPRgW7vK
親鸞会における無条件服従の勧めの教えの例

【顕正新聞 昭和49年12月】私達が助かる否かは全く善知識の御化導によるしかない。
その御化導に私見をはさんでいては万劫聞いても助からない。
ただひたすら、善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、
会長先生の御下にぬかずかねばならない。

【顕正新聞 平成4年9月】
赤尾の道宗が蓮如上人から、
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたとき、
「はい畏まりたる」と無条件服従している。
この人の言うこと、どこまで本当だろうか、と思っていては仏法を聞き開くことはできない。
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたら、「はい」と答える心構えが信前信後を通じて尊いのだ。

【親鸞会 顕真学院・講師部聖則より】
会長先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
上司の指示は会長先生の命と心得ます。

【親鸞会 会員粛正規定】
会員粛清規定第3条(2)組織破壊行為
    (1) 支部長の指示に従わない。
    (2) 講師部を批判する。
     (3) 本会の機密を漏洩する。
    (4) 本会の和を乱す。
    (5) 本会の指示に対する批判的言動。
      (本会の指示、方針、通達、活動目標等を批判する)


751 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:43:12 ID:EPRgW7vK
教祖を生き仏扱いし、礼賛し、拝む嵐の例
(当然高森会長がチェック、許可済み):

【顕正新聞 昭和42年~平成15年】
・こういう高森先生のお姿に、ある者は七百年昔の親鸞聖人を偲び「昭和の親鸞聖人」と驚嘆するのであり、
ある者は限りなき信頼感が沸き出でて「絶対の善知識」と仰ぐのであり、求めても求めても無碍の大道まで
導く僧侶に一人もめぐり遇えず、真の善知識を求めてやまなかった者には「無二の善知識」
「全世界唯一の名匠、善知識高森顕徹会長先生」と欽慕せずにおれないのである。

・今まで周囲の方が善知識高森先生高森先生と仰言るので私も心十分もないのに
善知識高森先生と簡単に云っていた気がするのです。先生、でも今は違います。
絶対無二の弥陀の真実の暖かい慈悲一杯の善知識高森先生と判りました。

・高森先生は、無上仏のお力の偉大さを、全身全霊で讃嘆しておられます。
まるで大宇宙に立っておられるようで、ただ善知識の仰せにひれ伏し、
無上仏が尊く思われてなりません。

【顕真 平成16年7月】
高森先生はまさに、大悲仏智そのままに、時には大教育者であられ、また、『なぜ生きる』や、
種々のご著書の大哲学者・大文学者であられます。大いなる感動で、賛仰申し上げずにおれないのです。
広大なご恩徳に報いられない懈怠の愚かさを懺悔申し上げ、高森先生こそ、まさに親鸞聖人であり、
阿弥陀さまであらせられますと、日々尊く拝しながら、ただただ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ばかりでございます。


756 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 12:05:46 ID:eA/STgNy
>>749

749 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 11:38:18 ID:EPRgW7vK
親鸞会における無条件服従の勧めの教えの例

【顕正新聞 昭和49年12月】私達が助かる否かは全く善知識の御化導によるしかない。
その御化導に私見をはさんでいては万劫聞いても助からない。
ただひたすら、善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、
会長先生の御下にぬかずかねばならない。

【顕正新聞 平成4年9月】
赤尾の道宗が蓮如上人から、
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたとき、
「はい畏まりたる」と無条件服従している。
この人の言うこと、どこまで本当だろうか、と思っていては仏法を聞き開くことはできない。
「近江の湖を一人で埋めよ」と言われたら、「はい」と答える心構えが信前信後を通じて尊いのだ。

【親鸞会 顕真学院・講師部聖則より】
会長先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
上司の指示は会長先生の命と心得ます。

【親鸞会 会員粛正規定】
会員粛清規定第3条(2)組織破壊行為
    (1) 支部長の指示に従わない。
    (2) 講師部を批判する。
     (3) 本会の機密を漏洩する。
    (4) 本会の和を乱す。
    (5) 本会の指示に対する批判的言動。
      (本会の指示、方針、通達、活動目標等を批判する)

>>750>>751

これは高森先生のお言葉に従って進んでゆくことが早く信心決定できると
いうことではないでしょうか。

会報4集の中にも
「阿難がある時釈尊に「善知識はさとりの道の半因縁と思えばよいので
しょうか」と尋ねた時、「そうではない、善知識は全因縁である」と
答えていられる。」

とあるように善知識は全因縁だから、ひとえに高森先生のお言葉に
無条件で従ってゆくことが大事であると思います。


758 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 12:31:55 ID:EPRgW7vK
>>756

756 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 12:05:46 ID:eA/STgNy
>>749>>750>>751

これは高森先生のお言葉に従って進んでゆくことが早く信心決定できると
いうことではないでしょうか。

会報4集の中にも
「阿難がある時釈尊に「善知識はさとりの道の半因縁と思えばよいので
しょうか」と尋ねた時、「そうではない、善知識は全因縁である」と
答えていられる。」

とあるように善知識は全因縁だから、ひとえに高森先生のお言葉に
無条件で従ってゆくことが大事であると思います。


>善知識は全因縁

この法華経の聖道門の教えは自因自果の「因果の道理」的にはどうなんでしょうかねえ。
「五重の義」的にもおかしいような気がしますが。

いずれにせよ、親鸞会では高森会長を善知識とあがめて無条件服従し、
「まさに親鸞聖人であり、 阿弥陀さまであらせられますと、日々尊く拝し」、
「全世界唯一の名匠、善知識高森顕徹会長先生」と欽慕し、
「善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
会員が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、 会長先生の御下に
ぬかずかねばならないと教え、
「十里、二十里はおろか海山越えても馳せ参じ、その善知識を仏の如く敬うて、
身肉手足をも供養すべきである」と指導している団体ということを認められるという
ことですね。

以上は善知識だのみ信心の邪義以外の何者でもないとは思いませんか?


771 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 13:44:52 ID:cZW0pM7i
>>758


> いずれにせよ、親鸞会では高森会長を善知識とあがめて無条件服従し、
> 「まさに親鸞聖人であり、 阿弥陀さまであらせられますと、日々尊く拝し」、
> 「全世界唯一の名匠、善知識高森顕徹会長先生」と欽慕し、
> 「善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
> 会員が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、 会長先生の御下に
> ぬかずかねばならないと教え、

これが善知識だのみの異安心である根拠、

>>一 本願寺聖人の御門弟と号する人々のなかに、知識をあがむるをもって弥陀如来に擬し、知識所居の当体をもって別願真実の報土とすという、いわれなき事。(改邪鈔・18)

善知識を、弥陀如来に譬えるのは、覚如上人が禁止されている。
正本堂を、浄土に譬えるのも、同様。


>>如来の代官と仰いであがむべきにてこそあれ、その知識のほかに別の仏なしということ、智者にわらわれ愚者をまよわすべきいいこれにあり、あさまし、あさまし。(同)

智者に笑われているのは、誰ですか?


777 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 14:20:46 ID:jdAB9COz
>>771

>> いずれにせよ、親鸞会では高森会長を善知識とあがめて無条件服従し、
>> 「まさに親鸞聖人であり、 阿弥陀さまであらせられますと、日々尊く拝し」、
>> 「全世界唯一の名匠、善知識高森顕徹会長先生」と欽慕し、
>> 「善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、
>> 会員が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、 会長先生の御下に
>> ぬかずかねばならないと教え、
>
>これが善知識だのみの異安心である根拠、


高森先生は「曠劫多生のあいだにも出離の強縁知らざりき
本師源空いまさずば苦海をいかでかわたるべき」の御和讃の
説明で、「善知識を全因縁というのは「善知識の力によって
救われる」ということではありません。それは善知識だのみ
の異安心といって間違った信仰です。釈尊にさえ我々を救う
力はないのですから、善知識にあるはずがありません。善知識
に救われたと思っている人があれば、完全に間違っています。
しかし親鸞聖人は法然上人によって救われたと仰言っている
ところがあります。「曠劫多生のあいだにも出離の強縁知ら
ざりき本師源空いまさずばこの度むなしく過ぎなまし」
このお言葉だけを見れば善知識だのみです。阿弥陀仏の本願
を親鸞聖人に教えられたのは法然上人ですが、法然上人に
救われたのではない、阿弥陀仏の願力によってです。
親鸞聖人が法然上人に救われたと仰有るのは、法然上人が
そのまま阿弥陀仏、阿弥陀仏と法然上人が重なっておられ
るのです。「阿弥陀仏に救われた」も「法然上人に救われた」
も、こうなると同じです。弥陀に帰命したすがたが法然上人
に信順したすがたなのです。」と言われているように、
善知識一人を信じて進むことは、善知識だのみにはならないと
思います。


779 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 14:31:04 ID:EPRgW7vK
>>777
>「まさに親鸞聖人であり、 阿弥陀さまであらせられますと、日々尊く拝し」、

明白に、親鸞会は高森会長を阿弥陀仏と同一視して日々尊く拝むことを許可しています。

さて、親鸞聖人の教えのなかで、善知識を阿弥陀仏と同一視して
日々尊く拝むことを許可する教えがある箇所を指摘できますか?

できるわけないですよね。


780 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 14:33:53 ID:EPRgW7vK
>>777
また、般舟三昧経のなかの、
「十里、二十里はおろか海山越えても馳せ参じ、その善知識を仏の如く敬うて、
身肉手足をも供養すべきである」という教え。

この教えも真宗には本来ないのにもかかわらず、高森会長が勝手に採用したのだと
思っています。

親鸞聖人の教えの中で、
「善知識を仏の如く敬うて、 身肉手足をも供養すべきである」という箇所を
指摘できますか?

できるわけないですよね。


781 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 14:34:39 ID:cZW0pM7i
>>774

>確かにアニメの中にありますね・・・。だからといって、教えに
>反することになるのでしょうか?正御本尊を粗末にすることは
>やっぱり謗法罪になるのではないでしょうか?

「善知識高森先生」監修のアニメでしょ?

本尊を粗末のするのは謗法罪。
だからといって、取り返してよいと教えられてるの?


>>777

>「曠劫多生のあいだにも出離の強縁知らざりき
>本師源空いまさずばこの度むなしく過ぎなまし」

これは法然上人がおられなかったら、教えを知ることが出来なかったという意味。
善知識に無条件服従せよ、という根拠にはならない。


783 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 14:41:13 ID:EPRgW7vK
>>777
>法然上人によって救われたと仰言っている
ところがあります。「曠劫多生のあいだにも出離の強縁知ら
ざりき本師源空いまさずばこの度むなしく過ぎなまし」
このお言葉だけを見れば善知識だのみです。


いえ、この和讃が善知識だのみの教えとはまったく思いません。
別に本師源空拝め、とも本師源空に帰命すべし、とかいってないからです。

あなたの善知識だのみの定義とはなんですか?

いくら善知識が「阿弥陀仏一仏に帰命せよ」と教えていても、一方では
「ただひたすら、善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく」
とかいって
「善知識は実は阿弥陀仏の化身である」というように指導していたら、知識帰命と
変わらないのではないでしょうか?


790 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 15:49:41 ID:jdAB9COz
>>780

>親鸞聖人の教えの中で、
>「善知識を仏の如く敬うて、 身肉手足をも供養すべきである」という箇所を
>指摘できますか?


「教学聖典5問34「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても
解決せねばならぬものである」と教えられた、存覚上人の
お言葉と、その根拠を示せ。
答え34仏法の為には、身命をも捨て、財宝をも惜しむ
べからず」とあります。この仏法のためというのは、
正しい仏法を教えてくださる善知識のみ教えも当然
入るので、身命をも捨ててゆくとは、無条件で教えに
従ってゆくことになります。


792 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 16:21:37 ID:DZZ72zX0
>790
間違った教えに身命を捧げても、どんどん間違っていくだけ。
高森先生が善知識と「私は確信しております」というのは、
高森先生が悪知識と知れた時、崩壊する。高森先生が善知識であるというのは、信者の信念だけが根拠。
客観的にみれば、嘘つき学生勧誘・ダミーサイト作りを未だやめられない宗教団体の代表役員。
改善もしようとしない、高森代表役員を果たして善知識と呼んでいいのか?
何故、苦痛の種を世間に蒔き散らしながら、教義だなんだと戯論を続けるのか?
おまえ達が、真っ先にしなければならないのは、苦痛の種蒔きをやめることだ。
高森代表役員が、これを止めることができないならば、高森代表役員は善知識を装った悪知識と言わざるをえないね。


797 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 16:50:01 ID:EPRgW7vK
>>790
>後生の一大事は、どんな犠牲を払っても 解決せねばならぬものである」
と教えられた、存覚上人の お言葉と、その根拠を示せ。


これも高森氏の勉強不足か、さもなくば巧妙なレトリックです。
原典を巧妙に改変しているし。おそらく高森氏による確信犯でしょう。
あなたはただ高森氏の指導を妄信するばかりで、原典の持名鈔をたずねたことなど
一度もないから矛盾ばかり露呈させているのでしょうね。
こんなはずはないのに、と思っておられるんではないでしょうか?

そもそも、これは明らかに信心決定後の佛恩報謝のことを述べたものであり、
断じて信前のものに対して
「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても 解決せねばならぬものである」
と教えられたものではありません。

原典から引用:
これによりて善導和尚の解釈(観念法門・意 六三七)をうかがふに、「身を粉にし骨を砕きても、
仏法の恩をば報ずべし」とみえたり。これすなはち、仏法のためには身命をもすて財宝をも惜しむ
べからざるこころなり。このゆゑに『摩訶止観』(意)のなかには、「一日にみたび恒沙の身命を
捨つとも、なほ一句の力を報ずることあたはじ。いはんや両肩に荷負して百千万劫すとも、むしろ
仏法の恩を報ぜんや」といへり。恒沙の身命を捨てても、なほ一句の法門をきける報ひにはおよばず。
まして順次往生の教をうけて、このたび生死をはなるべき身となりなば、一世の身命を捨てんは
ものの数なるべきにあらず。身命なほ惜しむべからず。いはんや財宝をや。

そして、信前のものには佛恩報謝はできません。

「釋迦彌陀の慈悲よりぞ, 願作佛心はえしめたる,
信心の智慧にいりてこそ, 佛恩報ずる身とはなれ」(正像末和讃)


802 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 17:02:22 ID:jdAB9COz
>>797

>原典の持名鈔をたずねたことなど
>一度もないから矛盾ばかり露呈させているのでしょうね。
>こんなはずはないのに、と思っておられるんではないでしょうか?
>
>そもそも、これは明らかに信心決定後の佛恩報謝のことを述べたものであり、
>断じて信前のものに対して
>「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても 解決せねばならぬものである」
>と教えられたものではありません。


そうですね。信後の気持ちを言われたものですね。それを通して、
以下の蓮如上人のお言葉でも分かるように、信前の人に対して
このようにしなさいと高森先生は勧められたと思います。

「御一代記聞書百箇条(70)身を捨てて求めよ 蓮如上人仰せられ候、
「信決定の人を見て、『あの如くならでは』と思えば成るぞ」と
仰せられ候。「『あの如くになりてこそ』と思いすつること、浅ましき
事なり。仏法には身を捨てて望み求むる心より信を得ることなり」と
云々。


809 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 17:49:27 ID:EPRgW7vK
>>802
>そうですね。信後の気持ちを言われたものですね。

ん?私は
高森氏の作成した
「教学聖典5問34「後生の一大事は、どんな犠牲を払っても解決せねば
ならぬものである」と教えられた、存覚上人のお言葉と、その根拠を示せ。」
は質問もおかしいし、解答も間違っている、と主張しているのですが、
それを認められた、と理解していいのでしょうか?

>信前の人に対して このようにしなさいと高森先生は勧められたと思います。

信前のものでも信心決定のためには、命がけで財産も捨てるほどの報恩のマネをしろと
いう説ですか?


御一代記聞書百箇条を根拠にされても弱いですね。
所詮は御一代記聞書なぞ、弟子の作で信用しがたいから。
あなたがたは会長がそういっているから、で通じるかもしれませんが
世間では全然通用しません。

やはり蓮如上人の著作とか親鸞聖人の著作では
「信前でも後生の一大事の解決のためには命がけで報恩すべし説」は
示せないのでしょうか?


812 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 17:56:29 ID:jdAB9COz
>>809

>信前のものでも信心決定のためには、命がけで財産も捨てるほどの報恩のマネをしろと
>いう説ですか?

親鸞聖人は「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏のみなをきく
人はながく不退にかなうなり」と火の中わけても聞きなさいと言われて
います。命がけで求めなければ、信心は得られません。


814 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:18:12 ID:cZW0pM7i
>>812

> 親鸞聖人は「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏のみなをきく
> 人はながく不退にかなうなり」と火の中わけても聞きなさいと言われて
> います。命がけで求めなければ、信心は得られません。

これがどうして、無条件服従の根拠になるのか?
もともと、無条件服従という教えがあるかという話だろ。


815 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:29:21 ID:rnB1KIkw
>>814

>これがどうして、無条件服従の根拠になるのか?
>もともと、無条件服従という教えがあるかという話だろ。

火の中かきわけても聞かなければならないものが仏法です。
その重さが知らされれば、そのみ教えを説かれる善知識に
命がかかるのは当然なことです。


816 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:29:35 ID:EPRgW7vK
>>812
>親鸞聖人は「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて仏のみなをきく
人はながく不退にかなうなり」と火の中わけても聞きなさいと言われて
います。命がけで求めなければ、信心は得られません。

>>814でも指摘されていますが論点がずれていますね。

その和讃は
「信前でも後生の一大事の解決のためには命がけで報恩すべし説」
の根拠になりません。
そもそもその和讃には報恩について、あるいは善知識に無条件服従すること
についてはまったく述べられていません。

「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて」の部分は「信前のものは報謝のために
財産をも捨てろ」などという説の根拠になりません。

機法二種深信を示した趣旨の和讃とも解釈できます。
たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて→機の深信
仏のみなをきく 人はながく不退にかなうなり→法の深信

「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆ」くのと、「仏のみなをきく」
のは同時。


822 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:41:41 ID:cZW0pM7i
>>816
>
>機法二種深信を示した趣旨の和讃とも解釈できます。
>たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて→機の深信
>仏のみなをきく 人はながく不退にかなうなり→法の深信

あれ、「仏のみなを聞く」=「聞其名号」=「二種深信」だろ。
「たとい大千世界に…」は信前のはず。

いずれにしても、阿弥陀仏のお力で救われるという根拠。
善知識は関係ない。


825 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:43:57 ID:EPRgW7vK
>>822
>あれ、「仏のみなを聞く」=「聞其名号」=「二種深信」だろ。
「たとい大千世界に…」は信前のはず。

ご指摘感謝します。


834 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 19:12:49 ID:rnB1KIkw
>>822

>>機法二種深信を示した趣旨の和讃とも解釈できます。
>>たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて→機の深信
>>仏のみなをきく 人はながく不退にかなうなり→法の深信
>
>あれ、「仏のみなを聞く」=「聞其名号」=「二種深信」だろ。
>「たとい大千世界に…」は信前のはず。
>
>いずれにしても、阿弥陀仏のお力で救われるという根拠。
>善知識は関係ない。


このお言葉は善知識のご説法を命がけで聞いて、求めていかなければ
弥陀の救いにあえないというお言葉です。遊んでいたら弥陀の救いに
あえる訳ではありません。命がけで善知識の説かれる弥陀の本願を
聴聞してこそ、信をうることができるのです。


843 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 21:27:00 ID:cZW0pM7i
>>834

>このお言葉は善知識のご説法を命がけで聞いて、求めていかなければ
>弥陀の救いにあえないというお言葉です。遊んでいたら弥陀の救いに
>あえる訳ではありません。命がけで善知識の説かれる弥陀の本願を
>聴聞してこそ、信をうることができるのです。


命がけで聞けと言われているのは弥陀の本願だけ。
善知識の言うことに、何でもかんでも従えという教えではない。
どうしてこれが、無条件服従の根拠になるのか?


844 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 21:53:54 ID:7PBSLCwF
たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて→法蔵菩薩が誓いによって起こした真心ならざることなき行
仏のみなをきく →それによって成就された名号をいただく
人はながく不退にかなうなり→金剛の信心を得、往生が定まる


847 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 22:34:23 ID:cZW0pM7i
>>843

無条件服従についても反論なし。
親鸞会教義の「要の中の要」である無条件服従の教えも、親鸞聖人の教えに反する邪説であった。

ID:rnB1KIkw君、よく頑張った。健闘は称える。
だが、いい加減に、目を覚ましなさい。