宮城県石巻市へ行って来ました | 金子工務店(株) 長野県岡谷市長地

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絆~きずな~ 金子工務店社長からの公私メッセージ

こんにちは晴れ  かねこ  ですクローバー

 

関東甲信越地方もやっと梅雨明けし、夏本番となりました。

 

今年は短い夏を楽しみたいと思います。

 

さて、娘が通う岡谷市立長地小学校の低学年昇降口を出た所に、今年ひまわりの丘が出来上がりました。

 

 

2011年3月11日の東日本大震災で多くの子供たちや先生が亡くなった、宮城県石巻市の大川小学校。

 

子供を亡くしたお母さんたちが大川小学校の近くの丘にひまわりを植えて育てているという絵本を買って読みました。

 

 

そのひまわりの種が『ひまわりの丘プロジェクト』として、さいたま市の学校から全国へ広がり、そして長地小学校にも植えられました。

 

その根源を探ろうと娘が震災の学習を始めました。

 

そして、いざ宮城県石巻市への震災の跡地を巡る旅が始まりました。

 

朝1時半に出発。

 

長野県から群馬県、栃木県、福島県を通過し宮城県へ。

 

片道約600キロの車の運転はさすがに疲れました。

 

長かったぁ~

 

石巻市に入ると、至る所に震災の情報を発信する拠点がありました。

 

校長先生から紹介してもらった、石巻観光ボランティア協会の齋藤会長さんにガイドをお願いし、震災の跡地の復興の街の様子を見て回りました。

 

震災前の様子を模型で齋藤会長さんに説明してもらいました

 

 

地震によって津波が発生した太平洋の海は今はとても穏やかで、魚市場は東北一を誇る規模で復興し、海岸沿いは7メートルの堤防の建設中でした。

 

穏やかな海。ここから津波が来たとは信じられません

 

 

7メートルの堤防が作られています

 

 

津波で多くの住宅が流され失った海に近い街は、公園として工事がとても大規模に進められ、4メートル嵩上げした道路から山手側は、住宅建設が許され、多くの新しい住宅が建設され、大きな復興住宅も建てられていました。

今は、復興住宅などの高い建物は誰でも入れる避難場所として民間も含め何棟も指定されてるそうです。屋上には避難看板が設置されていました。

 

国営公園が作られています。来年完成予定です

 

 

石巻市海岸地区の模型。こんなに多くの住宅が建っていました

 

 

海岸地区は復興の建設ラッシュです

 

 

住宅地だった場所には、1件の住宅もありません。公園になります

 

 

復興住宅が出来ていました

 

 

屋上の津波避難場所看板

 

 

今回の一番の目的だった大川小学校は、校舎は津波で破壊されたまま残され、今は全国から多くの方や修学旅行生が訪れるそうです。

 

 

大川小学校校舎

 

 

鉄筋コンクリートの建物がこんなになってしまっています

 

 

体育館へ続く渡り廊下は柱が折れて倒れています

 

 

長地小学校に届けられたひまわりの種の根源のひまわりはありませんでしたが、TVで良く目にした『がんばろう石巻市』の看板のところに、他の団体(ど根性ひまわり)が植えたひまわりが満開に咲いていました。

 

 

2代目の看板

 

ど根性ひまわり

 

震災から1か月後に看板設置

 

 

何千人もの方々が避難した日和山公園に登り、そこからの眼下には津波に飲み込まれた街の復興の姿が見渡せました。この街でゆういつの高台である日和山公園に登ってこれた人は助かり、ここまでたどり着けなかった人は亡くなりました。

 

 

日和山公園から海を望む。ここから津波が押し寄せて来ました

 

 

川津波が起こった川

 

震災当日、津波の様子を見る人たち

 

 

気仙沼で温泉宿に泊まりゆっくり体を休め、2日目は、気仙沼の復興の様子をバスで語部さんに説明してもらいながら1時間ほど見学し、津波で流された多くのお店の人達が集まる施設で買い物をし、帰って来ました。

 

 

津波で流されたお店が立ち並ぶ、多くの人で大賑わい

 

娘は、ガイドさんから説明してもらった事を一生懸命メモをとり、夏休みの課題としてまとめていくと思います。

 

2011年の震災があってから1度は自分の目で見たかった、一番犠牲者の多かった石巻市に8年後に訪れることが出来ました。

 

街中の至る所が復興の工事中で、まだまだ時間がかかりそうですが、着々と復興していく街を見ることが出来ました。