そして6月16日、父親が救急車で運ばれたと母親から連絡がきた
ちょうど、実家へ行ってしばらくしてからほのちゃんの調子が悪く、何度か病院にも行っていて
その日も朝から小児科で診てもらって帰ってきたとこだった
携帯みたら母親から着信あり
ほのちゃんのこと心配はつきなくて
でも、明るく電話を折り返した
この日は月曜日だったのかな
母親はだいたい日曜日休みで2連休は取りにくいって言ってたのに8時半とかに着信ってどうしたんだろう?とか
あんまり深くも考えずに・・・
父親が倒れたから救急車呼んで今病院に向かってるって
あんたはほのちゃんいるし来なくていいって言われた
でも、そんなわけにはいかなくて、とりあえず妹に連絡した
妹、月曜日休みだからすぐ連絡ついて
私もすぐ長野帰るって妹言ってくれたから、なら上田で新幹線降りて一緒に車で長野行こうってことになって
旦那の実家の人達も父親のことは心配してた
早く病院行けばいいのに・・・どうして行かないんだろうってずっと行ってた
義母に電話して、父親が倒れたらしい、これから行ってきます、って
午後、妹が上田について、ほのちゃんの隣に乗ってもらって夕方前には長野についた
父親はICUにいた
すごく痩せてた
元から痩せてたけど、更に痩せてた
ベットはギャッチアップされていた
かなり傾斜ついてた
点滴の管たくさんで酸素もやってた
オムツもしてた
意識朦朧としていたけれど、私達だってちゃんとわかってくれてた
「だから早く医者行かなきゃって言ったでしょ?」って言いながら泣いた
父親も泣いてた
電気毛布やってたんだ
あ、体温低かったから温めてるんだなって思った
ICUは赤ちゃんは入れなくて、ほのちゃんは見せられなかった
母親によると、5月すぎぐらいから、ほんとに食べられなくなってきてて、お粥なら食べれたよ、とかってメールきたんだけど・・・
もう父親のことは知らないって突っぱねちゃったんだよね・・・
だって何言っても父親動かないんだもん・・・
だからそれから母親は一切知らせてこなくなった
会話は筆談だったみたい
カレーが食べたいとか、蕎麦が食べたいとか、昼はパン買うからいいだとか・・・
倒れる2週間前ぐらいから、家でも吐血をしていたと
普通は吐血した時点で救急車レベルなんだけど・・・
母親そこらへんの感覚もおかしいから
歩けるんだし救急車呼べないとかって
夜寝てる時も血を吐いて、ベットや寝巻きが血まみれだったらしい
倒れたのが月曜
その前の週の木曜日は元々ある休みだったらしい
でも、家でタバコ吸ってる時に貧血起こして金曜日は仕事に行くのを母親が止めた
土曜日、父親の職場の上の人の命令で、医者に行くまで来るなと
(書き方はきついけど、心配してくれてました)
土曜日、日曜日と「仕事」という自分を支えてたものがなくなって父親の衰弱は早まった
それでも、母親も説得して、月曜日、やっと病院に行くことを了承した父親
風呂に入りたいって日曜日お風呂入ったって・・・
貧血もすごかったし気力でお風呂入ったんだろうな・・・
匂いがすごいから早い段階から母親は父親と寝室を別にしてた
日曜日の夜中、母親はちょくちょく父親を見に行ったらしい
父親の朝は早い
5時前にはもう起きだす
倒れるその前の日まで、ちゃんと5時前には起きて下のトイレに行ってタバコを吸いに外に出てたらしい
でも、月曜日は全然起きてこなくて、心配して行ったら2階のトイレに行ったって
大丈夫?って声かけたらかすかに声がしたって
心配しながら下にきたら上で倒れる音がして・・・
慌てて行ったらトイレから出たとこで倒れてたらしい
吐血しながら・・・
救急車を呼んで、救急隊員の方がその場で血圧をはかろうとしてもはかれなかった
最初の診断は、舌腫瘍、出血性ショック、だった
もう、舌が半分とけてるって聞いてびっくりを通り越したよ・・・
入院してから2日目、旦那が半日休みをもらってやってきた
入院した日とは違い、父親が元気だった
入院した夜、輸血をしたらしい
紙になんか一生懸命書きながら看護師さん3人と楽しそうにしててびっくりしたよ
本来はこうしてひょうきんな人でもあったんだよな・・・って
旦那が、「早く退院して戸隠にお蕎麦食べに行きましょう」って言ったら父親泣いてた
ほのちゃん来てるよって言えばどこだどこだってきょろきょろする
ICUの中には入れないんだよって言うとがっかりする
それを何度繰り返したかな・・・
認知機能下がってる?って感じた
この日、胴体ベルトされてるのに気づいた
夜間、点滴抜去してしまったらしい
それから、胴体ベルトだけじゃなくて両手ミトンもされるようになった
鼻からチューブを入れて鼻腔経管してたんだけど、そのチューブも抜いたらしかった
ICUの中でも場所が変わり・・・
HCUに移り・・・
ほのちゃんと1週間実家にいたかな
私達が帰ってから父親は一般病棟に移った