奥三河の怪-後編~四谷千枚田の語られない伝説~ | 山の舟歌 マル青同バンザイ!

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愛知県ほの国奥三河、知られざる不思議な話や場所、不可解な事件や歴史を不惑の惑庵が御案内。角度を変えて見る山里はまた興味深いもの。里の川の山の舟歌花歌祭歌が聞こえそうなそんな山郷・奥三河。

二人に聞いた時代背景は狂いがあるようではっきりとした時代は解らず終いだが、どうやら戦に明け暮れていた戦国時代よりも若干古いのではないかと推察した。

戦国時代でもそうであったが、この村にある峠越は大変に険しく厳しい行く手を阻む山の行き詰まりの南端である。ここから北の南信そして東は極めて険しい山岳地帯だ。
この四谷集落の一等高い処にある峠は"仏坂峠"と呼ばれている。
馬塔観音から来ている名称の様子もあるにはあるが仏とはこれまたなんと意味深げな峠名だろうか。馬に念仏と言うが、小生が考えるにこの仏はそれより人の為ではなかろうかと。

老人が語るにはこの仏の意味は二ツあるという。一ツはその馬のための仏であり、もう一ツは落ち武者をあやめた後悔の仏であると語っている。

戦に負けしもから命からがら逃きった落ち武者らはこの山深い村に逃れて来た。
遥か山々を越えた国の古巣に帰り尽くためなのか、ただがむしゃらに行き着いた場所がここだったのかは今は知る由もない。
だがしかしこのあたりを支配下に置く親方領主様は無情な言葉を民に伝える。

それは戦に負け敗走したどり着くであろう落ち武者をことごとく亡きものにせよとの無慈悲な令であったようだ。さすれば僅かばかりではあるが褒美を取らせるというところであろう。
貧しい寒村であり当時はまだ棚田は存在しない。棚田は明治になってできたものである。
耕す地も少ない貧しいこの地の民にそれを断る術などなかろう。なんという恐ろしいことをとは皆思ったであろう。が臣下臣民は領主の言葉に逆らうことなどできはしない。
言葉通り戦に疲れ悲壮な様相の武者達は山里にたどり着くがままその命は農民らによってことごとく絶たれた。

八つ墓村という映画の冒頭に落ち延びた尼子一族郎党を不意打ちで襲い死に至らしめるシーンがあるが、およそ似たような話ではあるかと察する。
さりとてこの一件、農民にとってはさぞかし後味の悪いものであったであろう、その鎮魂と懺悔はこうした仏を領主に悟られず後世の負い目にすることなくひそかに奉ることで惨劇を末代まで封じ込めることになったのではと思う。

現在では全くそのような暗い話を微塵も感じさせない爽やかで神々しい千枚田ではあるが、かの地の祖先は戦の悲劇を哀しみ仏の怨みを鎮める祈りを欠かしていなかった表れがこの石仏であり、峠の名も仏坂として静かに伝えているのである。

この棚田"四谷千枚田"の後方にそびえる山は"鞍掛"と呼ばれこれまた馬や武士に関連していることが分かる。
奥三河は国盗りの境目に位置し、領主も臣民もみなその時々の勢力に翻弄された。

これもまた心にひっそりと留めておきたい哀史なのかもしれない。