miss mallu(みすまる) 筥崎メモ その1 | miss malluのブログ

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みすまるのメモです。

さて、

毎年、miss malluは三社参りをします神社キラキラ

(博多ではごく普通の習慣)

お参りする神社は毎年ランダムに選びます(バチ当たり)。

 

でも!筥崎宮には絶対行きますグープンプン

 

好きだからです!!

 

 

筥崎宮は

923(延長元)年、醍醐天皇の勅命により

(現在の)飯塚市にある『大分(だいぶ)八幡宮』から

八幡神を勧請し創建されました。

 

200(仲哀9)年、

三韓出兵(いわゆる三韓征伐)から帰国した神功皇后は

(現在の)宇美(産み)町で皇子(後の応神天皇)を出産した後、

軍団を「大(おお)分かれ(解散)」させました。

その場所に創建されたのが『大分八幡宮』です。

 

醍醐天皇は神の御告げを聞いて、

『敵国降伏(ごうぶく)』

の御宸筆を下賜し、社殿を建立させました。

 

 

上差しちなみに、「降伏 (ごうぶく)」とは、

法力や神威によって、悪魔や敵を押さえ鎮める事上差し

 

敵を『全滅する為』に武力を奮うのではなく、

あくまでも抑止力として『見せる為』の武装を用いて

『敵が侵攻を続ける事を止めさせる』

『敵が降伏(こうふく)し、撤退する事を促す』事です

 

 

199(仲哀8)年から200(仲哀9)年始め、

日向(九州)で熊襲(くまそ)の反乱が起きていました。

 

夫の仲哀天皇と共に九州出兵していた神功皇后は

その戦いの最中、夫を失ってしまいました。

そして、夫を(現在の)香椎宮で弔った後、

熊襲に武器と軍事資金を送出し、

支援しているのが新羅だと知ったのです。

 

そこで神功皇后は、臨月間近にも関わらず、

髪を男髪(みずら)に結い上げ、鎧を身につけて海を渡り、

圧倒的な数の武装軍団を新羅王に『見せつけて』、

新羅を降伏(こうふく)させました。

 

この例にならって(?)

神功皇后が軍団を率いて出兵した、

現在筥崎宮のある岬を『対外情勢に備える拠点』にせよと

神は醍醐天皇に御告げしたという事なのです。

 

 

 

 

う~~~ん…ああ…息切れが………チーン

 

 

 

ではでは…

 

今日はここまで!

 

 

 

 

次回です~~~~バイバイバイバイバイバイ