深い瞑想意識が「本来の私の家」を気づかせてくれます。瞑想
意識は、体と心を放棄した後に自然と気づかれるものです。
体と心を放棄した後に残る存在感が「私は在る」という感覚
です。さらに意識の純粋化が極まるところに「「実在」と
云われる根源的な意識状態があり、完全な覚醒意識と云われて
います。
そこまで到達する人は極めてまれなことですが、「私」(エゴ)
を放棄し続ければ「私は在る」という基本的存在感に至ります。
その家への帰り道で何が起こるか、どの様な体と心と意識の
状態になっているのか。決して考えて理解出来ることではありま
せん。「存在感」を言葉で表現しても何の役にも立ちません。
「知識」と「存在」は全く違うもので、「存在している」こと
自体が「存在」であり、「知識を得た、理解した」とは、知識の
領域を出ません。
「本来の私の家に帰る」ためには、このことに関心を強くし、
帰るために正しい道を歩き始めること以外に方法はありません。
家に向かって歩き続ければ、「我々はどこから来たのか。
我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか」という画家ゴーギャン
の問いが身近なものになるはずです。
それは命の不安に生きる今の時代において、たとえ荒波に
揺さぶられようとも、常に本質的な「私は在る」という
確かな存在感の中で、私を
見失うことなく深めていくことが出来ると思います。
2022、1、 和泉