「口から出るものに気をつけろ!」「すべてに注意深くあれ!」
イエスキリストは、「口に入るものではなく、口から出るものに気をつけろ!」と言ったという。口に入るものは食事だが「口から出るもの」には呼(は)く息と言葉があり、2つとも重要だが、この場合は言葉を指している。
「口から出る言葉」には相手が居て、その人に向けて話す目的があるはずだが、キリストの時代でも今の私達の時代でも、言葉によって相手を傷つけ、怒らせ、問題を起こすことが余りに多いことに変わりはない。
話し言葉は自己表現の手段だが、その場に相応しく、相手を傷つけることなく、奢ることなく、無駄のない「正しい言葉」を使うことは大いに難しいことだ。
人類史上今の時代ほど表現欲求が一般化し増大している時代はないのではないか。SNSを使って、言葉や音や映像によって自己表現を満たそうと思わない人は稀であろう。何故にそこまで自分をさらけ出したいか、と思わぬでもないが、ちょっと考えれば分かることであり、当然のことである。
自己表現は本能のひとつとも考えられることで、本質的には自分の存在の何たるかを確認する作業でもある。
頭の中で考えているだけでなく、文章や会話による表現で(自分から外へ出して対象化して)自己を確かめることが出来るからだ。
しかし、一般的には表現して対象化した自分自身を探究の対象にする人は極く少ないと思う(画家や文学者、哲学者、宗教者の中にはいるだろうが)。
しかし、このことは私たちの日常の対人関係の中でも行われていると考えてよい。ただそれが自覚のない軽々しい自己露出的なものであったり、自己顕示欲であったり、怒りや中傷、うっぷん晴らしといったものでなければ良いのだが、SNSなどの利用で余りにもイージーに表現出来るので、その結果が何をもたらすか配慮されないことも多く問題が起こる。
❷に続く