❷瞑想ヨガの会「空間瞑想」の指導者・和泉さんのメッセージ | 静子の瞑想日記

静子の瞑想日記

月一度の瞑想会の主催をしています。日々の私の体験や感想など書いていきたいと思います

  この修練を重ねれば「より小さな心の働き」も観える様になります。「気づき」は微細化し深化します。判断して気づくのではなく、自然発生的に直感的に「気づかれる」のです。

 

 これは何が起こっていると言えるのでしょうか。これまでに述べてきたのは純粋瞑想(動かずに座って瞑想に集中すること)とは違って日常生活のシーンで普通に行う作業ですが、「心の働きそのものを観ること」は「観る」という意識そのものが純粋化した姿であり、このことは脳内の「自然的浄化作用」を促します。

  心の働きとは別に「観ること」が意識という「沈黙」の世界でもあることを意味するからです。これは瞑想意識と同じことで、心は働きながらも瞑想状態にある、と言って良いでしょう。

 この瞑想による浄化作用は初心者にも脳と全身に「スーとした」生理的清浄感をもたらします。

 

 人は怒りや悲しみの動揺するほどの大きな心の動きには気づきやすいのですが、それが起こるとその処理に苦労します。小さな心の動きには気づきにくく、たとえ気づいても、「この程度のことは… 。」と無視します。

 自分にとって良いことは大いに受け入れても嫌いなことは断固拒絶することでしょう。

 

 「小さな心の動きを観ること」は、これらの心の動きの中に入って、その奥にある「心の働きそのもの」を「観ること」です。心の働きの奥へ入るのは粗大な心では難しいのです。微細な意識を持って「観ること」でしか出来ません。

 

 「観ること」それ自体が微細な「本来のわたし」の作業ですから、小さな心の動きに注目し、その働きそのものを丸ごと「観ること」を日常の中で繰り返し修練すれば、より小さな心の働きを観て取れるようになり、他人の心の微細な面にも気づくようになります。そのことが瞑想意識と同質であることにも気づくようになるでしょう。

「観る力」は空間を観る「瞑想の力」でもあります。

 

 不安、焦燥感、競争心、強い他人意識、怒り、悲しみ、強い快楽志向、優越感等々の心の動きを小さな内に気づくことも「観ることの力」です。小さな内に気づけば、それに捕らえられることなく静めることも可能になります。

 そのことが生活を瞑想に変えるでしょう。

 

 「小さなものに神宿る」とは、内側の小さな心の動きに注意して「観ること」によって観えてくる微細な世界のことであると思います。

          2019.2  和泉