日本映画と音楽、渡辺宙明の忍びの者 | 楽しい倫敦 おいしい倫敦 

日本映画と音楽、渡辺宙明の忍びの者

歌舞伎界では日の目を見られず映画界に入った雷蔵は、忍びの者、さらに眠狂四郎で大当り、勝新太郎との大映二枚看板はカツライスと言われたとか。癌で四十前に早世したのが惜しまれる人。

2024.7.1(月)

国立映画アーカイブ 日本映画と音楽 で早くも3本目に観に行ったのは音楽を 渡辺宙明 が担当した1962年の 忍びの者。これがヒットして66年までに8本が 市川雷蔵 主演で撮られたが、3本目までが石川五右衛門、以後は霧隠才蔵だったりその子だったりで必ずしも続きものではない。

これはプロレタリア演劇とかで活躍した村山知義の原作で、何と共産党の赤旗に連載されて人気だった小説だけあって、権力者たちに利用される下忍の悲哀が泥臭く描かれる。無敵ヒーローが大活躍する勧善懲悪時代劇とは大きく異なり、大正時代に大ヒットした立川文庫の猿飛佐助に代表される荒唐無稽な忍術とも違い、ドロン、と消えたりはしない。ほぼ同時代にこれも人気を博した白土三平の忍者武芸帳やカムイ伝にも通じますな。白土は否定しているそうだが、当時流行りの(?)マルクス主義、唯物史観が背景にあるとか言われて、学生、知識人に受けた感もある。

百地三太夫配下の下忍、石川五右衛門(雷蔵)を敵対する藤林長門守配下の下忍、下柘植の木猿(西村晃)が襲って、逆に吊り上げられちゃうとこなんかもそこそこリアルに描かれていた。何より日本映画がまだ良かった時代で、オープンセットにも金がかかっているし、エキストラや馬も大動員されていた。

妙に品の無い信長役は城健三朗、って新東宝、東映からこの大映に移籍してた頃の 若山富三郎 の芸名で、五七の桐の紋は逆に妙にスマートな秀吉で丹羽又三郎。

まだ二十代、大河ドラマ太閤記のねね役で人気になる前の藤村志保さんが相手役、伊藤雄之助演じる百地の妻、岸田今日子さんは三十ちょいでも若々しかった。就職したのはこの映画の15年も後だが、会社の同じ部に三十代の女性はたった一人で化石のように思われていた。その10年位後だってクリスマスを過ぎた26歳はもう遅いとされたのに、いつの間にやら社員の高齢化も進みまくって今や三十代なら若手だったりする。