進化し過ぎた挙句、結婚をして出産をするひとが世界的に減った
そうして何時の頃からか少しずつ人口が減少し、緩やかに衰退への道を辿り出した人類

そんな人類を救ったのが二次性だなんて言うこの上無く面倒で、そして…
文明が進化して人々が寄り添い合う事無く個々で生きていく世界には合わない、前時代的な、ヒトの本能に司られる第二の性が現れたのは、俺達が生まれるよりも随分と前の事



男女という一次性とは別に、第二次性徴期に現れるアルファ、ベータ、オメガという三つの二次性
それが存在しなかった世界なんて俺達には想像がつかない
例えば自分がアルファでも何でも無ければ…
そう思った事は何度も有るけれど、想像したって結局のところ自分以外にはなれないし分からない



歴史学者だったり、昔の事を研究しているひと達は、二次性が人類を救ったのだと言う
何故なら、二次性が現れた事でアルファとオメガ、ベータとオメガが惹かれ合い本能で子孫を残し始めたからだと言う
初めの頃は男女共に能力の高いアルファの子を妊娠する事の出来るオメガへの偏見や、彼らを襲うような事件も少なく無かったのだと聞く

けれども、
『アルファを誘惑する』と言われるオメガのフェロモンを抑える薬が開発されたり、何よりもヒトには皆人権があって、違いは受け入れるべきだという声が世界的に高まり、目に見えた偏見は少なくなった
それが俺達の生まれた世界



目に見えた偏見は無い、と思っていた
けれども実際は、スポーツ界や財政界、芸能界はアルファが圧倒的に多い
そのような職種には、アルファを誘惑する可能性や妊娠の可能性の高いオメガは通常就く事が出来ない
オメガは薬を毎日服用し、アルファやベータを誘惑してしまう自身の身を隠すようにひっそりと生きていく

幾ら偏見は無いと言っても結局の所違いは有るしそれによる区別があった
アルファは強く能力が高くオメガはアルファに守られるべき存在
そんな先入観は俺達皆のなかに、少なからずあったのだと思う



けれども、ベータとして思春期以降を過ごして、そしてオメガへと突然変異をしたチャンミンは元よりアルファ達のなかでも輝いていたし、更に負けん気の強さやプライドをバネとした努力でアルファばかりの芸能界でも俺と一緒に一線で活躍した



俺自身、アルファだから、という先入観で見られるのがずっとずっと嫌だった
だから、アルファらしく無いアルファで居たかったし、努力をしてアルファのなかでも特別な存在になって…
俺だから認めてもらえる、そんな風に思われたかった
けれどもそれ自体が偏見であるのだと、オメガである事を世間に打ち明けた後のチャンミンを見て思った



俺はずっと、アルファである事から逃げたかった
アルファらしく無いアルファで居たかった
だけど、成人して随分経ってから二次性が突然変異したチャンミンは、時間を掛けて自分自身と向き合って、ふたつの二次性を経験したからこそ分かる事や今の彼自身に出来る事を発信した



それを本人に言うと、
『そんな大袈裟な事はしていません』
と顔を赤くして困ったように言われてしまう
けれども、切っ掛けは何であれ…
オメガである事は偏見でも何でも無く隠す事が当たり前だと思っていた社会で、初めて自ら公表をしたのがチャンミンだ

勿論、チャンミン自身今の自分の全てを受け入れられている訳では無いと思うし、そんな簡単な事では無いとも思う
けれども必死で受け入れて前に進もうともがいて、オメガだけでは無くて生き辛さを感じるひと達に前向きに生きる姿を見せてオメガとして過ごす事を見せていく事で、少しずつオメガである事を公表する人物が増えた



チャンミンがオメガだと公表してからもう直ぐ一年になる
最新のドラマでは、これまでのようなアルファ中心のドラマでは無くて、女性オメガが男性アルファやベータ達に求婚されても自らの意志でキャリアを選び世界に羽ばたいて行くというストーリーの作品が若い層を中心に支持されている



チャンミンは現在、継続して効き目の強い抑制剤を服用している
副作用は決して小さく無く、疲労感や体調不良を訴える事もあるけれど、本人曰くヒートを起こす危険性が少しでも減る方が精神衛生上良い、らしい
まだ、副作用が小さく効き目の強い新たな薬は世界的に承認されていないけれど、数少ないオメガのひと達が社会に少しずつ進出して存在を隠さなくなった事で、後押しする声が増えている
そして…



「…ユノヒョン?もしかして、また薬を飲んだんですか?」

「え…どうして?」



寝室に入って来たチャンミンが唇を尖らせていて
『また』見つかってしまったようだ
本来隠す事では無いと思っているのだけど、俺の恋人…俺の番は心配性らしい
俺が心配すると直ぐに
『大丈夫です』
と言う癖に



「抑制剤とピルを飲もうと棚を開けたら、ユノヒョンの薬の置き場が変わっていたので
中身まで数えてはいないですが…飲みましたよね?」

「…だって、明日は大事なイベントだろ?
何かあったら大変だし、不安は少しでも少ない方が良いし…
俺だって処方された物だし容量も守っているから問題無いよ」



ベッドの上で脚を投げ出して座って本を読んでいたのだけど、その本をヘッドボードの上に置いて、腕を広げた
スウェットの上下を着た風呂上がりのチャンミンは、まだ少し濡れた髪の毛のまま
少し、いやかなり不服そうな顔はしているけれど、それでも大人しくこちらに歩いてきた



「…しんどくは無いですか?気分の悪さは?」

「もう何度も飲んでいるし」

「でも、明日ステージで具合が悪くなったり…
もしも体力が落ちてしまったら……わっ!」



眉を下げてぐっと拳を握り締めて、ベッドの右側まで歩いて来て足を止めて俺を心配するチャンミン
腕を伸ばして彼の腕を掴んで、そのまま引き寄せたらバランスを崩して俺の上に乗っかってきた



「大丈夫?痛くは無かった?」

「…驚いたけど大丈夫です…じゃあ無くて!
明日は大切なイベントですよね?
ユノヒョンが僕の重みで怪我をしたり、何かあったら大変なのに…!」

「大切な恋人を何時も心配しているのは俺だって同じ
分かっているだろ?
俺が薬を飲み出してから心配してくれて嬉しいよ、でも…」

「…でも?」



座る俺の上で向かい合わせになるように座っているチャンミン
俺の腿の上に乗っているのが落ち着かないようで、逃れようとするから背中を抱き締めて離さないままでいる



「俺が、何時もどれだけチャンミナを心配しているかって、これで分かってくれた?
強い抑制剤に変えてもう長いし、チャンミナは慣れたって言うけど…
俺に隠れて辛そうにしているのだって知っているよ」

「…っ、別にそんな事…たまたまです」

「うん、チャンミナは強いからそう言うだろうと思って
でも、俺は心配だし…
今、こうして俺が問題無いよって言ってもチャンミナは心配だろ?
だから、俺が心配する気持ちも受け入れて欲しいし…
同じように心配してくれる事も嬉しい
だけど俺は本当に大丈夫」

「ユノヒョン…」



それでも尚、自分の事なんてまるでどうでも良いのだと言うように俺の事ばかり心配するチャンミンに胸が締め付けられる
背中を優しく擦って彼の首元に顔を埋めたら、細い身体から力が抜けて俺に身体を預けてくれる



俺達は本能だか何かに勝手に定められた『運命』のアルファとオメガでは無かった
けれども、アルファとオメガとしての相性はとても良いらしい
その所為なのか、それともチャンミンがとても稀な突然変異でオメガになった所為か、そのどちらともの所為なのかは分からない
兎に角、チャンミンは俺と居るとヒートを起こしやすいらしい



彼がヒートになると、番になった俺はチャンミンの強いフェロモンの影響を受けて理性を失い周りなんて見えなくなり彼を支配したくなる
それを防ぐ為に、チャンミンはこれ迄よりも効き目が強く副作用も大きい抑制剤を処方してもらうようになった
その後、これまでも存在していたけれども通常アルファが使う事は無かったという、アルファの為の抑制剤があると聞いて、チャンミンの主治医に相談をして俺も処方してもらうようになったのだ



「この間、インタビューで話をして反響があっただろ?
『番のアルファが居るとは言え、チャンミンはオメガです
なので、お互いに安心して仕事を行う為に、俺もアルファの為の抑制剤を服用しています
副作用はゼロでは有りませんが、これからはアルファも自分の身を守り誰かを傷付けない為にも抑制剤を服用するという選択肢が有っても良いと思います』
そう言ったら、アルファの女性ファンや、家族にアルファが居るファンが病院に相談をしたり…」

「ネットニュースでは、僕達がそれぞれアルファとオメガとしての日常を口にする事で社会が開けて来た、と書かれていましたね」

「うん、スジンとソユンの結婚式も…ふたり共幸せそうだし綺麗だったよな
同性同士のパートナーもこれからは引け目を感じる必要が無い、なんて風潮になって来たらしい」

「それに関しては僕達では無くてスジンとソユンが先駆けですね
だって、僕達はこの関係をファンや世間には言えないから…」



俺よりも少し小さな両の掌で俺の頬を包んで切なげな顔



「でも、知ってる?」

「え…」

「勿論、まだ公表なんて出来ないよ
でも…ファンのなかでは、チャンミナの番は俺なんじゃ無いかって噂が有るらしい」

「…まさか、そんな…」

「この間マネージャーから言われたよ
それに、俺達が番になって何時かこどもが出来たら、そのこどもは絶対に可愛いに違い無い、とか…」

「そんなの有り得ないです
気持ち悪いって思われるに……っふ……ン…」



目元を赤くして視線を泳がせながら可愛く無い事を言う
これは本当は嬉しくて戸惑っている時のチャンミンだと分かる
けれども、そんな時は言葉で言い聞かせるよりも行動の方が良いって事も知っているから、キスで唇を塞いで大きな耳朶を指先でふにふにと擦った



「…ユノヒョン、もう…っん…」



チャンミンの腰は直ぐに揺れる
熱を持った前が布越しに触れ合ってもどかしい
アルファとしての本能がチャンミンを欲しいと頭のなかで囁くけれども、抑制剤のお陰で理性がしっかりと保たれている



「駄目だよ、チャンミナ、我慢して?
ヒートにならなくたって、チャンミナに誘われたら我慢出来なくなるかもしれないから」

「…っ、じゃあ、あんなキスしないで…」



俺の胸に手をついて、ぐっと上半身を離すチャンミン
頬も耳も火照ったように赤いし唇は唾液で濡れている
思わずごくり、と喉が鳴ってしまうけれど、それはアルファだからでは無くてチャンミンの事が好きだから



「欲しくなるようなキスをしたのは、お仕置きだよ」

「…何の?」

「俺達が気持ち悪く思われるかも、なんて言うから」

「だって男同士だし、僕は男のオメガだし…」



そう言うと、チャンミンは俯いてしまう



普段の彼は、男性オメガの代表のように世間では見られている
オメガだけれど男性として自立している、だとか、自身の意見をしっかり持ってオメガに関わらずマイノリティに希望を与える存在、なんて言われている
例え、スタッフの前だとしても以前と比べたら大人になったと思うし、人前で弱音を吐く事は無くなった

でも、俺の前ではチャンミンはやはりチャンミンで…
こうして、不安を漏らしてくれる
それが、俺はとても嬉しい



「チャンミナがオメガだって公表してからまだ一年くらいかな
でも、この一年で本当に色々な事が変わったよ
分かっているだろ?
この間は、雑誌のインタビューで…インタビュアーの彼女に聞いて驚いたよな
俺の運命だって言うオメガ女性が恋愛をしてアルファと番になって…地元でオメガである事を明かした上で記者として活躍しているって」

「…うん、幸せにしていると聞いてほっとしました
でも僕は…」

「でも?あの、強いスジンだって
『ユノ達に先を越されて悔しい
でも、私にはチャンミンが二次性を公表したように、誰よりも先にソユンとの事を公表して矢面に立つ事は出来なかったと思う
だからチャンミンには勝てないって思うの』
なんて、俺にこっそり教えてくれたよ」

「そうなんですか?」

「うん、だから結婚報告は先にした、って
俺達がこの関係を何時か公表したら、誰よりも一番に祝福するって言ってくれたよ」



涙を浮かべるチャンミンの、目元に、頬に、鼻に、それに額に
余す事無くキスをしたら擽ったそうに笑って、その拍子に涙が一筋頬を伝った



「結婚報告…この国では男同士は結婚、は出来ないし」

「それもきっと、その内に変わるよ
それに、スジン達みたいに海外で式を挙げても良い
男同士、女同士だからと嫌悪感を持つひとも居るかもしれない
でも、理解してくれるひとも沢山居るよ
理解者を増やす為にも、目の前の事をひとつひとつ頑張ろう」

「…うん…」



明日は、俺達のデビュー日だ
毎年、その日にはファンを集めたイベントを行って多くのファンと同じ時間を過ごす
昨年も行われたけれど、丁度その頃は俺が運命のオメガと出会った後でチャンミンが思い詰めて妊娠を望んだ頃で…
正直、日々を過ごす事に精一杯でファンにきちんと向き合えていなかった気がする



「明日は大丈夫そう?」

「当たり前です
僕は最近、自分が最強だって思うんです」

「へえ、まあ、確かにチャンミナは強いし最強だな」



きっと、今彼は必死に強く在ろうとしているのだという事も分かっている
それでも、そう思って実際に人々の前で毅然と立つ姿は美しいし、そしてとても強くて心が揺さぶられる
なんて、『最強だと思う』と言いながら、ベッドのなかに潜り込んで俺にぎゅうっと抱き着いて来るから…
今の俺からすれば、可愛くて最強、なのだけど

横になり向かい合ってうんうん、と頷いていたら、チャンミンは不服そうな顔



「…違います」

「え、何が?最強だって言うからそうだな、って言ったのに…」

「ユノヒョンが傍に居てくれるから強い僕で居られるんです
もうずっとずっと、ベータだった頃から…
アルファ達のなかに僕だけがベータでも頑張れたのも、何時も隣で僕を…二次性で見るのでは無くてひとりの人間として見てくれるヒョンが居たから」

「チャンミナ…」

「今だって変わりません
だから、ユノヒョンは僕にとって最強のひとです
それに、僕達はお互いの運命を乗り越えて番になったから…
ふたりで居れば最強なんです」



アルファとして生きて来て、アルファとしての高い能力や才能なんて言われるものなんて持って生まれなければ良かったと何度も何度も思ってきた
この葛藤は自分にしか分からないしベータであれば良かったのに、と思った事も数え切れないくらいある

『普通』であるベータなのに俺の隣に当たり前に立って活動するチャンミンがリーダーとしてヒョンとして、誇らしくもあり羨ましくもあった

チャンミンの二次性が突然変異した事で、彼もまた『普通』である自分に悩み特別な何かに憧れを抱いたり劣等感を持っていたのだという事を知った
アルファよりも更に珍しい男性オメガになって…
普通、とは掛け離れた存在になり苦悩するチャンミンを誰よりも近くで見て、生きる事に、自分自身の存在に悩むのは自分だけでは無いのだと初めて気が付いたような気がする



「僕達は最強だから…
明日だってきっと上手く行くし…」

「今回も、チケットは即完売だっただろ?
昨年の、チャンミナがまだベータだと思われていた時よりも早いって事務所の上層部も驚いているし…
オメガは芸能界に向いていないって言っていた一部の古い人間達も今ではもうチャンミナを認めてくれているよ」



明日が有るから、今日は抱けない
以前は、一日だけのステージやイベントの前日であれば身体に痕を残さないようにすれば抱き合う事も普通だった
でも、今はチャンミンの薬が強くなった事で疲れ易くなっていて、翌日に影響が出てしまったら大変だから

だから、ヒートを防ぐのと欲求を抑える為に、俺も抑制剤を服用して穏やかな夜を過ごしている



何だか少しナイーブな様子にも見えるチャンミン
俺だけに弱い部分を見せてくれる事は嬉しいから、背中を撫ぜて布越しの体温を感じて、項の噛み痕に口付けて
「愛しているよ」
と囁いた

そうしたら、チャンミンは顔を上げて俺をじっと見て、もう一度
「僕はユノヒョンが居れば最強です」
とこどものように言った
そして…



「ユノヒョンが居るから強く居られるんです、だから…」

「あ…」



もう、『この先の事』が決まって数ヶ月経った
それでもチャンミンは何でも無いような顔をしていたし、あまり気にはしていないし…
何より、まだ少し時間も有るから、なんて思っていた
けれども、彼はきっと本音を閉じ込めていたのだろう



「…ヒョンが入隊したら…考えたら怖いんです」

「チャンミナ…」

「オメガは妊娠するから僕は何も出来ない
男なのに何処にも行けない事が悔しい
でも…それよりもユノヒョンと離れる事が怖いだなんて、こんな自分が情けなくて…」



俺をじっと見つめるチャンミンの瞳に浮かぶ涙は、男として悔しいという思いと番になったのに少しの間離れる事への不安や…
それらが入り交じった葛藤の涙なのだろう



「最初の内はあまり連絡も取れないと思うけど、基礎訓練で三ヶ月経てばアルファは自宅から通えるようになる
だから大丈夫だよ」

「…早く帰って来てください」

「うん、まだ入隊していないから、それまでは心配しなくてもずっとチャンミナと一緒だよ」



軍隊の制度も、今後変化していくらしい
現行では、男性オメガは自動的に免除されていて、それは今後も変わらない
けれども、アルファはそれだけで国の宝、のように扱われるから入隊した後もある程度の自由が保証されている

今後は二次性によっての区別を無くしていく為に、また、昔と違い緊張状態も緩和されている事から基礎訓練を終えたら自宅からも通えるようにしたり服務期間を少しずつ短くするという話も進みつつあるらしい



人類はもう随分進化したと言われているけれど、まだまだきっと過渡期だし、次の世代にはきっともっと…
それぞれがそれぞれを認め合えるような社会が訪れる筈
勿論、その為には今を生きる俺達が小さな事から少しずつ社会を動かして行かなければならないのだけど



「チャンミナには講演会やオメガとしての仕事も増えそうだな」

「…真面目な話をするのは苦手です
だから、もっと…オメガでもベータでもアルファでも…
二次性について語れるひとが増えて欲しいなあって
じゃあ無くて、兎に角、早く帰って来てください」



切なそうに寂しそうにするチャンミンを見ていると、
『本当はずっと傍に居たい』
なんて情けない事を口にしてしまいそうだから真面目な話に切り替えた
それなのに、チャンミンが甘えるように潤んだ瞳で俺を見上げるから白旗を上げるしか無くなってしまう



「帰って来るよ、ちゃんと
だから、沢山手紙を書いて早く逢いたいって言って?
それなら形に残るだろ?」

「…言われなくても、執拗いくらいに書きます」



眠る前、チャンミンはぼそりと
「本当は最近ずっと不安でした
ユノヒョンと離れる事が怖くて」
と、俺にすら我慢していたのであろう本音を打ち明けてくれた



「明日の夜はチャンミナを抱いても良い?」

「…当たり前です
僕から思い切り襲うので、覚悟しておいてください
『まだ慣れない抑制剤を飲んだ所為でそんな気分になれない』
なんて、もしも言われても絶対に襲うので」

「あはは、男らしいな…楽しみにしているよ」



この日のチャンミンは、眠る時に普段よりも幼く見えた
小さく丸くなって俺の腕のなかで眠って、少しだけ息が浅いように感じた

けれども、朝起きたらけろっとしていたし、会場入りしてもスタッフの前でも、リハーサルを終えてもずっと…
普段よりも元気なように見えた



「だって、これが終われば単独でふたりでステージに立つ事は当分無くなるから…
後悔の無いように全力で行きます」

「うん、俺もチャンミナに負けないように頑張らないと」

「薬でしんどい、は無しですからね」

「あはは、厳しいな
最近トレーニングも増やしているし大丈夫だよ」



抑制剤を服用すると、少し身体が重くなり疲れやすくなる
身体を普段のように、思うように動かし難くなる
けれども、そんなのはチャンミンの副作用に比べたら小さい物だと思う



「良し、これが一旦区切りのイベントになるな
今まで隣に居てくれてありがとう、チャンミナ」

「…そう言うのは狡いです」

「あはは、そうかな
でも、今日はただの区切りだよ
だから、今日が終わってもまた明日からもずっと…
俺の事を宜しく」

「仕方無いですね
ユノヒョンは僕がずっと、一生引き受けてあげます」



ふたりきりでそんな会話を交わして笑い合ってから、スタッフ達と円陣を組んで声を掛け合って、そうしてイベントは始まった



そして…



「…お疲れ様でした、ありがとうございます!」

「まだ、会場から『行かないで』『戻って来て』って声が凄いよ
まだ入隊には少し日が有るのに…」

「マネージャー…本当ですね、凄く有難いです」



ファン達のあまりの熱気に、予定よりも少し時間を超えて最後の挨拶をした
まだ、ファンの前に姿を現す機会は有る
けれども単独のステージは入隊前最後だから、俺自身もファンを前にしたら涙が滲んでしまった

けれども、昨夜は俺の胸のなかで涙を流して『寂しい』と漏らしていたチャンミンが隣で
『ユノヒョンは実は泣き虫で、ファンの皆さんと離れる事が寂しいのだと言っていました』
なんて、何でも無いような顔で言うから笑ってしまった

会場のファンからは
『チャンミニオッパも寂しいんでしょう?』
なんて質問も飛び交って、チャンミンは視線を泳がせて
『それは内緒』
なんて笑ったら、歓声が溢れていた



「チャンミナ、皆寂しがってくれていたけど、そのなかでもやっぱりチャンミナが一番寂しそうに見えたよ」



左隣に立つチャンミンの汗に濡れた癖っ毛に触れながらそう言って、彼の方を見たら、ついさっきまで笑っていたチャンミンの顔から表情が消えていて…



「チャンミナ?」

「どうした?ユノ…」

「……っあ…」



青白い顔に、思わず肩を掴んだらチャンミンはぐっと目を瞑った



「チャンミナ!」



そのままふっと彼の身体からは力が抜けて、俺の方へと倒れ込んで来た

打ち上げが予定されていたけれども、それどころでは無くなって、チャンミンは汗だけ拭いて、俺は急いでシャワーを浴びて、マネージャーの車で主治医の居る病院へと向かった




















「脈は乱れていなかったけれど目を覚ましていないし…
もしもチャンミナに何か有れば…」

「何も異変なんて気付いていなかった…でも、ユノもなんだろ?」

「…はい…
いや、昨夜…そう言えば、少し息が浅いような気がしました
ですが、気にする程度では無いと思っていて…」



処置室の隣の控え室でマネージャーとふたり
椅子に腰掛けて俯いて、両手を握りチャンミンに何も無いように、と祈っている
マネージャーは俺の肩を優しく叩いて
「チャンミンの事だから、不調があっても誰にも気付かれないようにしたんだろう
イベント終わりまで耐えるだなんて、凄いよ」
と言った



「…でも、もしもそれで何か有れば俺は……っあ…」



不安が最高潮に達した時、扉が開いて主治医が顔を見せた



「隣へどうぞ」



マネージャーと顔を見合わせて、チャンミンが居る処置室に向かったら、ベッドの上のチャンミンはまだ少し顔色が悪かったけれども目を覚ましていた

彼は点滴に繋がれていて、それを見たら、チャンミンがオメガに突然変異して倒れた時の事をふと思い出した
あの時も、ただの体調不良だと思っていて…
その後、チャンミンにとって、そして俺にとって、運命が変わるような出来事が待っているとは思っていなかったのだ



「チャンミナ…具合はどう?」

「…すみません、倒れて…
少し頑張り過ぎたみたいです
でも、今はもうだいぶ…」



きっと『大丈夫』と言いかけたのだろう
けれども、主治医はチャンミンを見て小さく首を振った
それに、心臓が止まってしまうのでは無いかというくらい恐ろしくなった



「あの、チャンミナは…」

「大丈夫です、今の所は…
ですが、やはり抑制剤はこれ以上副作用の出るものは処方する事が出来ません
シムさんの身体には作用も副作用も大きくて、これ以上は内臓系への影響があまりにも大きいです」

「…内臓、と言うのは?」



まさか、心臓だったり…
本当に命に関わる何かなのかもしれない
今の所は大丈夫だと言うけれど、取り返しのつかない事にでもなれば後悔してもし切れない

ぐっと唇を噛み締めて医師を見つめたら、彼は
「内診も血液検査もしましたが、今のところは問題有りません」
と前置きした



「良かった…」

「ですが、これ以上強い抑制剤の服用を続ければ、シムさんの子宮は機能しなくなります
つまり…妊娠を望めなくなる可能性が出て来ます」

「…え…」

「なので、これ以上は処方出来ないですし…
今も、かなり身体がダメージを受けているので…
少しの間、薬の服用は控えて頂きたいです」



ベッドの上のチャンミンを見ると、目に見えて落ち込んだ様子で…
自分を責めていたり、薬を服用出来なくなる事でまたヒートになったらどうしようという怖さに襲われているように見えた



「あの、彼が薬を止めてもその間俺が抑制剤を服用していれば、もしもヒートになっても…
何も服用しないよりは良いですよね?」

「勿論です
そして、これまでもシムさんのヒートは、回数こそ多いですが一度のヒートが長く続く事も無いので…
少し耐える事が出来れば、もしも外に居ても…
身体を傷付けるよりは余程良いかと思います」

「…分かりました、それなら大丈夫です
ですよね?マネージャー」

「…ああ、チャンミンの身体を壊してまで薬を飲むべきじゃあ無いし、俺達も何か有ればサポートするから…」



俺達の言葉に、チャンミンは涙を流して何度も何度も
「ごめんなさい」
と告げた
でも、入院は免れたチャンミンはマンションへと帰るマネージャーの車のなかでぼそりと
「本当は、副作用が辛くて限界でした
だから、少しだけほっとしています」
と、きっとずっと我慢していたであろう本音を俺にだけ教えてくれた


















抑制剤と、それにピルの服用も主治医の指導によって止められたチャンミンは、始めの頃こそ不安そうな様子もあった
けれども、俺がその分抑制剤を服用していた事、事務所がこれまで以上に理解を示してくれるようになった事
ファンの多くがチャンミンを二次性では無くて彼自身を…
それまでと変わらずに見てくれていた事
何よりも、ヒートになる事が無かった事で落ち着いていた

だけど、時間は当たり前に過ぎて行って、俺は全ての仕事を終えて入隊した



チャンミンとは番になっているから、もしも俺が居ない間にヒートになっても彼のフェロモンに誘惑される誰か、は居ないから問題無い
スジンやソユンと言う理解者も居るから、二次性に関する悩みが出ても、少しは安心だ



連絡は、なかなか密に取る事は出来なかったのだけど、入隊一ヶ月を過ぎて少しずつ電話で声が聞ける機会も増えた
訓練はなかなかに大変だ
トレーニングや身体を鍛える事は得意だし体力にも持久力にも自信はあった
それでも根を上げたくなるような日も…正直に言えば有るくらい
だけど、後二ヶ月弱でチャンミンの元へ帰れると思えば頑張れる



先週本人から聞いた話では、チャンミンの体調ももう完全に落ち着いたようで、抑制剤とピルの服用を再開出来る事になりそうだ、とも言っていた
『ピルは、後二ヶ月ユノヒョンに会えないから必要無いですが』
なんて悪戯っぽく言っていたその様子を思い出すだけで頬が緩んでしまう



「電話…使っても大丈夫ですか?」

「ああ、今なら大丈夫だ」

「ありがとうございます」



アルファの上官に挨拶をして、まるで初恋のようにどきどきしながら、チャンミンの番号に電話を掛けた
呼び出し音をひとつ、ふたつ、と数えて、そんな自分も初々しくて笑ってしまう
離れる事は寂しいし、不安もある
けれども、倒れて以来薬を一旦止めたチャンミンは心身共に落ち着いていたから、俺も大丈夫だって思えた



「早く声が聞きたいよ……っあ、チャンミナ?」

『…ユノヒョン、今、もう…
僕から電話したかったくらいで…
きっと繋がらないって分かっていますが…』

「え…どうした?何かあったのか?」



午前中の訓練が終わった昼休み
昼食を慌ててかき込んでから、電話機の前に我先にとやって来た
他の誰かに先を越されたら、チャンミンの声が聞けないかもしれないから



「チャンミナ?なあ、どうした?」

『……』



チャンミンの第一声は、沈んだ様子だったり、辛そうな様子では無かった
けれども、何かがあったらしくて…



「心臓に悪いよ、お願いだから教えて?」



空いている右手で胸を押さえながら、周りには聞こえないように小声で尋ねた
そうしたら…



『…ユノヒョンにとっては、もしかしたら望まない事かもしれません
ピルを飲んでいない分ちゃんと、前とは違って気を付けていたし…』

「え…」

『体調が良過ぎるくらいで、自分では全く分かっていなかったんです
でも、今日薬を再開する為に病院に行ったら、その…』

「え…チャンミナ、その、もしかして…」



まさか、と思った
でも、確かに…
ピルの服用を止めている間、避妊をした事もあるけれど、どうしても番同士止まらなくて、外に出して…
なんて事もあった
それでも、以前チャンミンが妊娠を望んでも妊娠しなかったし、男性オメガは妊娠をし辛いとも聞いていた
何時かは、と思ってはいても、それが現実として訪れるなんて事は心の何処かで遠い夢のようだと思っていた



『チャンミナ、ちゃんと聞きたい』

「……あの、ええと…
今日分かって、直ぐにでも言おうと思って、でも怖くて…
だけど、妊娠、したみたいです」

『……っ…うん……』

「…やっぱり、ちゃんと計画をした訳じゃ無いし…良くないですよね…」



そんな事無い
そう言いたいの胸が詰まって言葉にならない



チャンミンが倒れて
『妊娠出来なくなるかもしれない』
と言われた後、マネージャーや事務所のスタッフ達とも話していたのだけど、来る時が来れば俺達の関係を公表しても、きっと大丈夫だろうと言われていた
それは勿論、チャンミンがオメガとして堂々と過ごして発信して来たからだ
チャンミンだけで無く、俺も周りのスタッフ達も…
多くのひとが、チャンミンと俺が動いた事で理解を示してくれて、その輪が広がったからだ



『ユノヒョン…』



不安げに俺を呼ぶ声に、はっと呼び戻された



「本当は今直ぐ逢いたいよ
でも、流石にそれは出来ないから…
明後日の土曜日に帰れるように外泊の申請をするよ」

『そんなに急に…大丈夫ですか?』

「大丈夫、俺の大切な番の前で何時でも堂々と居られるように…
誰よりも頑張っているし記録も残しているんだ
だから、胸を張って言えるよ」

『…そっか…じゃあ、待っています
電話、もう切らなきゃ駄目ですよね?』




限られた時間はあっという間だ
涙が零れてしまうけれど、そんな事は軍人として情けないから袖で涙を拭いてふう、と深呼吸をした
そして…



「俺、大切な事を伝えて無いよな」

『え…』

「嬉しいよ、凄く
本当に夢みたいだし…
以前、チャンミナが妊娠しようとして…
その後に、本当に何時かはって話をしただろ?
ずっとずっと夢見ていたから…俺達の夢を叶えてくれてありがとう」

『俺達…本当に?』

「勿論!チャンミナは違った?」

『違わない…』



それだけ鼻声で言うと、チャンミンは電話の向こう側で思いっ切り鼻を啜って
『アレルギーみたいです』
なんて、何でも無い事のように言った
でも、もう物凄い鼻声で一瞬何を言っているのか分からなかったくらい



「愛しているよ
それから…アレルギーだなんて心配だから、ベッドで休んで」

『…アレルギーじゃ無いから大丈夫です』

「あはは、知っているよ…泣いているんだろ?
どちらにしろ大切な身体だから…
マネージャーにも伝えて…
いや、俺から今から連絡するよ
じゃ無くて、もしかしてもう伝えた?」

『…ユノヒョンに最初に伝えたくて…』

「分かった!じゃあ俺が今直ぐ連絡するから…」



チャンミンは俺の勢いにくすくすと、涙混じりの声で笑った


















生まれながらの宿命や決められた運命に翻弄される事が嫌で仕方無かった
自分自身で運命に打ち勝とうと思っても、結局そう思えば思う程運命や二次性に縛られているようで、何処まで行っても逃げられないのだとも思った
だけど、少しずつ、チャンミンとふたりでお互いを見つめて違いだって認め合えば、一歩ずつ前に進む事が出来た



運命だなんて言葉が嫌いだった
でも、自分で自分の運命を見つけて掴み取って、そうして…
俺の『運命』であるチャンミンとふたりで新しい運命を切り拓く事が出来たから、今はその言葉も嫌いじゃ無い



「…チャンミナ!」

「ユノヒョン…お帰りなさい」

「…駄目!俺が走るからチャンミナはそのままで…!」



無事に外出許可を貰って、チャンミンの待つマンションへと帰ったら、彼は地下の駐車場までこっそりと迎えに来ていた
俺を見付けて走って来ようとするチャンミンを制止したら、彼は目を丸くしてから下腹部を押さえて、見た事の無いような幸せそうな顔をした

涙が溢れてしまったけれど、それは幸せだから
涙を拭う為の一秒だって勿体無くて、チャンミンに向かって走ってそのまま抱き締めた



「チャンミナ…」

「…まだ、お腹に命が有るだなんて…何だか信じられなくて」

「…うん…でも、俺のこどもが居るんだろ?」

「はい、エコーの写真も有るんです
まだ小さ過ぎて良く分からないって言われるかもしれませんが…
見たいですか?」

「…見たら、また泣きそうだよ」

「ユノヒョンは本当に泣き虫ですね
でも…僕も映像で見た時に泣いたんです」



「チャンミナの前ではそうかもしれないけれど、今居る場所では年下にだって驚かれるくらい強いし、誰よりも男らしいって言われるんだ」
そう返して笑ったつもりだったけど、実際は殆ど言葉にならなかった
それでも、チャンミンは優しく微笑んで頷いてくれた



部屋に帰って、ふたりになって、チャンミンの話を聞いて俺達のこどもの写真を見たら…
俺を強くも弱くもしてくれる最強の『運命のひと』から、泣き虫、なんて言われる事を挽回出来るように、俺の話もしてみようと思う














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長いお話の最終話はいつも、蓋を開けないと分からないという風にしたくて…
なのですが、いつも以上に長い長い最後になりました

リアルのふたりという設定でオメガバースを描くにあたって、如何に説得力や(フィクションである事は前提で)リアリティを持たせるか、を考えていて…
それを、私の拙い文章力でお話にしようとすると、どうしてもこの最後に至るまでが長くなってしまいました

ただ楽しいだけのお話では無かったと思いますが、このお話を好きだと声を掛けて頂けたり、長くなっても良いから読みたいです、というように多くの方に仰って頂けたので、頭のなかのお話を自分なりに、ですが丁寧に描く事が出来ました
 


このふたりのお話は本当はまだもう少し頭のなかに有りますが…
「Fated」はこれで終わりです

ここまでお付き合いくださった全ての方に心から感謝致します
そして、中盤以降コメント欄を閉じる事が殆どでしたが最後なのでコメント欄を解放致します
もし良ければコメントを頂ければ、とてもとても嬉しいです
(でも、優しい意見でお願いします…)