Side C






僕が以前想いを寄せていたアルファの女性、スジン
アルファの女性ははっきりとしていて自我が強い
とは言え男勝りな訳では無いし、美人ばかり
勿論、アルファだからあらゆる人間としての能力も高い

好きだったのはもう何年も前だし、今となっては彼女のどこを一番好きだったか、と言われてもあまり分からない
どちらにせよ想いを口にする事すら無いまま終わった恋だから



スジンは、当時友人のように付き合っていたベータの僕では無く、アルファのユノヒョンと付き合った
ユノヒョンは昔からずっと一貫していて、自身がアルファである事を驕らないひと
芸能人にはアルファが多くて、アルファ同士で集まるのも普通
むしろ、ベータ『だった』僕の方がこの業界では異質で、当たり前に感じていた若干の疎外感もユノヒョンが傍に居たお陰であまり感じずに済んだ



そんなユノヒョンがスジンを選び、スジンもユノヒョンを選んだから…
失恋した事は悲しいし負けたようで悔しかったけれど、ふたりはお互いにアルファだという二次性には関係無く惹かれ合ったのだろうと思っていた



一度は自然消滅のような形で別れたようだったけれど、最近になってまた付き合い出したと本人達から直接聞かされた
それが丁度、僕がオメガになって直ぐでもあったから…
毎日のように、色々な事を考えた

つまりは、僕がアルファなら…
もう想いは消えたとは言え、スジンのような女性と付き合えたのか、とか
ユノヒョンはオメガになった僕を心配だと言ったり、ヒートになった僕を抱いて…
それだけじゃ無くヒートになっていない普段の時でも抱く、その意味は何なのだろう、とか
勿論、それに関してはオメガになった僕が他の男を無意識に求めないようにする為、なんて言うヒョンの優しさから来るものだったのだろうと思っていたけれど



そして、結局ふたりともお互いにアルファだから…
つまりは二次性で選んでいるのだろうな、とも思った

ベータで特別秀でた事の無かった僕
周りは
『ベータなのにアルファ達のなかで活躍するなんて素晴らしい』
そう言ってくれていたけれど、ただのプライドと必死の努力
それによって何とかしがみついているだけ
結局ある程度以上、のところに僕ひとりで行く事なんて出来ない



何だかここ数ヶ月、思い返せば必死だったし苦しかった
オメガになってしまったから、この苦しみも悩みも一生続くのかもしれないけれど

ユノヒョンはそんな僕の苦しみの元凶、つまりオメガに突然変異した事を唯一知る人物
ヒョンの優しさを利用して、僕は彼を巻き込んだ
スジンと付き合っていると言いつつ、僕が他の男に不用意に抱かれない為、と僕を抱いて…
そしてスジンと別れたのだと言い、僕を好きだと告白して来た



身体だけで無く、頭のなかだってここ数ヶ月の出来事についていかない
悩んで苦しんで、少しずつ慣れてはいくけれど心はいつも空虚



スジンに呼ばれてユノヒョンと向かった彼女のマンション
真実なのだと聞かされたのは、ふたりは恋人の振りをしていたという事
アルファのスジンの恋人がオメガの女性で…
彼女を他のアルファ達から守る為に付き合ってはいたけれど同意無く、敢えて項を噛んで番になったという事
更に、女優スジンの相手が女性オメガなんて知れ渡ると大切な彼女を守れなくなる
そう思ったスジンが、ユノヒョンに事情を話して恋人同士の振りをしていた、という事



「……」



申し訳無さそうに…
けれどもどこかすっきりした顔でそんな真実を語るスジンと、相変わらず彼女に優しく接するユノヒョン

ヒョンは僕の事が好きだと言ったのに、結局その優しさは僕以外に存分に向けられる
僕だって、こんなにもずっと苦しんでいるのに



何だか、途中からもう、聞こえているようで実際はスジンの声は良く分からなくなった
耳の奥でキーンと鳴り響いていた
スジンの本当の恋人は、女性オメガだからより危なかったのかもしれない
だけども結局、アルファに守られていないと安全に生きていけないオメガが確かに居る事を突きつけられた

そして、多分、過去に好意を抱いていた女性がベータを選ばなかった
それも、何だか重たくのしかかって来た



オメガというだけで、それが分かると差別されたりこどもを産む為の人間だとかアルファを誘惑するだとか…
そんな風に蔑まれていたひと昔前と違い、オメガが服用する発情期を抑える抑制剤も妊娠を防ぐピルも、安全且つ効きも良くなったらしい
今はもう、オメガ達はベータに擬態するように普通に暮らしているらしい
オメガだって、ベータと普通に恋愛が出来るし、男性オメガであればベータの女性を妊娠させる事も出来るらしい
そう、医師は良い事ばかりを僕に聞かせた

けれども、スジンの語る事実も確かに有るのだ



恐ろしかった
ユノヒョンがどんなつもりで、この『真実』を僕に聞かせようとしたのかなんて知らない
もしかしたら、ただ偽の恋人だった事をヒョンから話す訳にはいかないから…とか、そんな風にスジンの気持ちを尊重しただけの結果なのかもしれない
けれども、急にオメガの女性だとか、その彼女の同意を得ずに…
目の前に居るスジンが、いや、アルファが項を噛んだなんて思うと震えてこの場から居られなくなった
だって、僕の隣にももうひとり、誰とも番になっていないアルファが居るのだから



「…僕、先に帰ります…」



がたん、と立ち上がった
それだけでもバランスを崩し掛けた
自分が情けない
けれども、自分の身を守らなければならない
『ここ』は危ないのだと、オメガの本能が告げたような気がした



「え…おい、チャンミナ!」



ユノヒョンが慌てて僕を追うように立ち上がった
スジンと目が合ったけれど、彼女は僕を止めなかった
勝手に項を噛むだなんて、生きている限りオメガを…
僕達を縛る契約を結ぶだなんて



「…っ、…関係無い…!」



逃げられる訳も無く、後ろから簡単に腕を掴まれた



「チャンミナ、待って、帰るなら一緒に…!」

「離せよ…っ…」



振り解こうと振り向いて、掴まれた右腕に力を込めた
けれどもユノヒョンの力の前にはまるでこどもの抵抗
こんな事だって、ベータだった頃ならここまで気にならなかった
オメガになった今、オメガ『だから』敵わないのだと思い知らされたような気分になる

もうここに居たくない
勝手にオメガを番にするアルファと、それを認めるアルファ
僕の気持ちなんて誰にも分からない
僕を好きだなんて言って結局、ユノヒョンにとっては同じアルファの方が大切なのだ

前に向き直ってリビングから、この部屋から出ようとした
スジンは止める気も無さそうだし、彼女の事情を話したからすっきりしたのだろう
僕は何もすっきりなんてしていないけれど



「…っ…」



涙が込み上げて来そうで悔しかった
早くひとりになりたかった
…誰かにぐちゃぐちゃに抱かれてしまいたい
そう思った自分が恐ろしかった



左手を伸ばしてリビングの扉を開けようとしたら、僕がドアノブに触れる前に扉は勝手に開いた
いや、違う
誰かが開けて、そしてひとりの女性が現れた
僕は直ぐに、その小柄で可愛らしい彼女が僕と同じオメガだと思った



「…あなたもオメガなのね」



澄んだ声で僕を見つめる彼女
項を噛まれた彼女なのだろう
それなのに、穏やかな表情で僕を見る
それが諦めなのか、それとも…
僕には分からない

ただ、とてもか弱く見えるのに何だかとても強いオーラのようなものを感じて怯んでしまった



「ソユン、出て来なくても良いのに…」



スジンが呼んだ番の彼女の名前
その声色
それは、ついさっきまでのどこかすっきりした、自信に満ち溢れたものでは無くて、どこか不安げなものだった

番に、無理矢理するようなアルファのスジン
それなのに、番にさせられたソユンと呼ばれた彼女の方が、真っ直ぐにスジンを見据えて微笑んでいる



「シムチャンミンさん、ですよね
まさか芸能界にオメガの方が居るとは思いませんでした
仲間が外で活躍しているのは…何だかとても嬉しいです」

「…仲間…そんなの…」



いつの間にか、ユノヒョンの手は僕の右手から離れていた
けれどま掴まれたところは熱を持ったように熱くて、左手で押さえるようにした



「チャンミンがオメガって…そんな訳…
ソユン、チャンミンはベータなのよ」



背後から戸惑ったようなスジンの声
『そうだ』
と言えば良いのに
目の前のオメガに言われた時に
『違う』
と言えば良かったのに
それなのに、口を開いても喉の奥が詰まってしまったように言葉が出ない
いや、この女性の前では隠しても意味なんて無いと分かっているのだ



「アルファがふたりも居たらきっと、怖いですよね
向こうで少しだけ話しませんか?
私も他のオメガに出会う事なんて滅多に無いので」

「……」

「こちらへ」



ソユンと呼ばれたオメガは僕に微笑んで、そしてリビングの外の廊下へと僕を促す
一度だけ後ろを振り向いたら、ユノヒョンが
「待っているから」
とどこか切なげな顔で言う

アルファの癖に
オメガをどうにでも出来る癖に 
まるで置いてけぼりのこどものような顔をするから、何も言わずに顔を背けてソユンに着いて行った




「驚きました
アルファのチョンさんと、それからベータのシムさんが来ると聞いていたので
部屋から出なくて良いと言われたのですが、私の事を話すのに閉じこもっているのが嫌で…出て来て良かったです」



廊下の先の部屋へと導かれて入った



「座ってください
番だなんて聞かされて…きっと驚いたのでは?」

「…」



アルファのユノヒョンに甘い匂いを感じるように、匂いでオメガだと分かる訳では無い
いや、アルファだって心地好い匂いを感じるのはユノヒョンだけなのだけど

このオメガの女性、ソユンを見ると、何故か分からないけれどオメガだと分かる
ベータだった頃に誰かをオメガでは無いかと思った事なんて無い
きっと、僕がオメガになったから感じるものなのだろう



通された部屋は小さな、女性らしい部屋
ベッドは無い



「番なら…このスジンの部屋で一緒に暮らしているんですか?」

「…ええ、番になれば引き寄せられて離れる事は出来ないので」



それならば、ここはソユンの部屋なのだろう
ラグの上に座って、彼女と対面した



「…テレビのなかで見ていたから分からなかったのかしら
あなたがオメガだなんて驚きました
芸能界で活動するのは大変では無いですか?」



優しい笑みを浮かべて僕を見る
何だか、この微笑みの前では嘘が吐けない
いや、オメガとしての本音を、同じオメガの気持ちを知りたくなった



「…僕は…今から話す事は…
スジンにはもう仕方無いですが、他の誰にも言わないで頂けますか?」

「はい」



オメガだというだけで、それだけで安心感が有る
番になった彼女の気持ちは見えないけれど、ユノヒョンに話してもきっと理解されないであろう気持ちを吐き出してしまいたかった



「僕は、数ヶ月前に突然変異でオメガになりました
とても珍しいそうです」

「…そんな事が…ベータから変わったのですか?」



頷いて、ヒートになった時の恐ろしい気持ちや、オメガとして日々アルファに怯える気持ちを話した
彼女は時折頷いて、同様に薬を飲んでいてもヒートになった事が有るのだと教えてくれた
 


「ひとつ尋ねても良いですか?」

「はい、勿論
最近オメガになった、だなんてとても不安だと思うので
私で答えられる事なら」



か弱く見える彼女は、やはり強い
それはオメガである事を受け入れているからなのだろうか



「スジンは…あなたを他のアルファ達から守る為に同意無く項を噛んで番になったと聞きました
そんなの…例え付き合っていたって許せるんですか?」



胡座をかいて座って、腿の上に手を置いた
ぐっと握り締めて彼女を見つめた
彼女も…ソユンも、同じオメガの僕相手ならば本音を話してくれる気がした

きっと彼女はとても傷付いて…
どうやって彼女自身の意思では無く番になるだなんて事を受け入れたのか、それとも受け入れられてなんていないのか
それを知りたかった



長い睫毛に縁取られた大きな瞳をじっと見据えたら、彼女はふっと微笑んだ



「…番になった事…それに関する私の秘密を聞いてくれますか?
ただし、これは…
そうですね、誰にも言わないで欲しいと言うのは良くないかもしれないので
同じオメガになら、こんなオメガも居るのだと話して頂いて構いません」

「…秘密…」

「はい、お願いをしてしまってすみません
ですが、オメガのチャンミンさんの前で嘘を吐きたく無いので」



何が語られるのかは分からない
だけど、僕が全てを語りたいと思ったように彼女もそうなのかもしれない
頷いてもう一度彼女を見たら、少しだけ安心したような顔でソユンは語り出した



「私は…スジンの事を愛していて、勿論彼女も愛してくれていました
でも、番だなんてスジンは考えていなかった筈です
私達は女同士でこどもを授かる事も出来ないので」



スジンは、と言う言葉
少し、それにぞくりとした
つまり、ソユンは…



「私はずっと、彼女を自分だけのものにしたかった
だから、抑制剤の服薬を何度か『わざと』止めました
スジンの居ない時にヒートになって、アルファの男性と関係を持ちました」

「…そんな…」



言葉が舌の上で絡まって、背筋がぞくりとした
ソユンは少し視線を逸らして、けれども言葉を止める事は無い



「わざとだとしてもやはり気持ちも…身体も辛かったです
なんて、自業自得ですが
スジンはそんな私を心配して、次第に過保護になっていきました
そして…ある夜、彼女は私を噛み私達は番になりました
これで、欲しくて堪らなかったアルファが手に入ると思うと震えるくらい嬉しくて泣いて…
そんな私に、スジンは罪悪感でいっぱいになったようです」



言い切ってから、顔を上げて僕を見る
僕の感じていたソユンの強さは、つまりはこういう事なのだと漸く気付いた



「スジンは私が抑制剤を止めた事は知りません
でも、彼女は私に言いました
『ソユンとずっと一緒に居たかったから、ごめんなさい』
私は泣いて彼女を許して…
だから、私は同意無く項を噛まれたのでは無いのです」

「…それは…スジンには話すつもりは無いんですか?」



ごくり、と唾を飲み込んで尋ねた
彼女はとても美しく微笑んで
「話す必要が無いでしょう?」
と囁いた



「オメガは弱いと言われますが、オメガのフェロモンにアルファは逆らえません
もしもシムさんが誰かを欲しいと思えばそんな方法も有ります
オメガである事を利用して生きないと苦しいだけです」



そう、まるで当たり前のように語る、か弱そうな彼女
見た目よりも強く見えるけれど、何だかとても、影を感じた



「身体も心も傷付いてでも、スジンが欲しかったんですか?」



ひとの気持ちなんて永遠では無い
スジンの気持ちは勿論だけど、番になるように仕向けたソユンだって…
今はどれだけスジンを愛していても、そんなのきっと今だけだ
気持ちが冷めてもスジンと一生…
お互いとしか何も関係を持つ事が出来ない

例え今が彼女達にとっての幸福だとしても、それが何年先…
いや、何ヶ月先に終わるのかすら分からない
それでも良いのかと尋ねようとした
でも、そんな事はきっと当たり前に考えているから愚問なのだろう



「すみません、さっきの質問は忘れてください
ひとの事に首を突っ込んでも仕方無いので
話を聞かせてくださって、ありがとうございます」



そう言って立ち上がり顔を背けた
扉に向かって歩き出したら、
「あの」
と背中から声が掛かった



「はい、何か…」



振り返ったら、ソユンはどこか切なげな顔



「そんなにも誰かを好きになった事が無いんですね」

「え…」

「いつかきっと、シムさんにも分かります」

「…そうですか」



もう、今度こそ顔を背けて部屋を出た
そうしたら、外にはユノヒョンが居て…



「帰ろうか」

「…一緒に帰る、なんて言ってません」



我ながら態度が良くないとは思うけれど、早くこの場から逃れたかった
スジンがユノヒョンの数歩後ろに居たけれど、顔を見る事も出来なかった
彼女の事を勝手なアルファだと思ったけれど、ソユンの話を聞いた今は複雑でどんな顔をしたら良いか分からない



「俺が一緒に帰りたいから
違うかな…俺も今帰るところだから、一緒に帰ろう」

「…」



そんなの、どちらでも良かった
そして…
こんな時に、ユノヒョンに強い態度を取ったり、逃げるように、帰る事の出来ない自分が嫌だった



スジンの部屋を出て廊下を歩いてエレベーターに乗った
僕が扉の脇に立っていたら、ヒョンは庫内奥へと進んだ
前を向いたまま駐車場の階を押して立っていたら…


 
「チャンミナ」

「…っあ…っ、やめ……っん…」

「…好きだ、好きなんだ…」



抱き竦められて口付けられた
熱い腕が僕の頬を包んで、熱い舌が僕の口内を満たしていく
突き放さないといけないのにそれが出来ない自分が泣けるくらい悔しい
だって、ユノヒョンは甘い匂いがして、他のアルファからはそんな匂いしないから

身体が例え疼いたって、他のアルファなら…
あの俳優ならそんな気持ちになんてなれなかったから



「…着いたな」



エレベーターの扉が開いて、目的階に到着した事に初めて気が付いた
ユノヒョンの腕がゆっくり離れて、最後に僕の頬をそっと撫ぜる



「…外でなんて、巫山戯てるんですか」

「巫山戯て無いよ
でも…外でなんて俺らしく無いな
やっと本当の事を話せたから、だからやっと…
チャンミナに向き合えると思うと嬉しくて」



見つめられたら視線が離せなくなってしまうから、エレベーターから出て早足で歩いた



「スジンとふたりで嘘を吐いて…
アルファは何でも有りなんですね」

「…そんな事…彼女の事情を聞いたから、ごめん」

「僕には関係無い事なので」



苛立ちばかりが募る
結局、やはり僕よりも優先されたのはスジンだ
例えそれが恋愛では無かったとしても、ユノヒョンは同じアルファを大切にしている

頭のなかは混乱して、ソユンの言葉が何度も何度もまわっていた
ユノヒョンの前を歩いて…
だけど、結局向かうのはヒョンの車が停まっている駐車場



「…オメガである事を利用する…」



そうだ
ヒョンは僕の事が…夢中になるくらい好きなのだと言う
それならば僕も、ソユンのように利用すればよいのだろうか
僕の気持ちや苦しみなんて知らずに僕以外のアルファを優先するヒョンの事を
彼への苛立ちも胸の苦しみも、同じオメガの彼女が言うように『利用』すれば無くなっていくのだろうか



















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