写経の用紙には、何を願って写経をしたのか、そのお経を誰に送るのか……を、書くところがあります。
最後の〝為〟と書かれている部分です。(〝為〟が書かれていない写経用紙もあります)
お寺に行って、心を落ち着かせるために写経をしてみたけれど、身近に亡くなった人がいない、という方もいらっしゃると思います。
「そのような場合、〝仏様のために〟と書けば、仏様のためになるのでしょうか?」という質問をもらったことがあります。
仏様に「供養」は必要ないので、そのように書かれていても、仏様がご自分のために写経の供養を使うことはありません。
けれど、仏様どうぞ、と記されているため、仏様はその写経をあちらの世界で、供養を必要としている人に使っています。
「写経供養を必要とする人のために」と書いた場合と、同じ使われ方をするのです。
どちらの書き方で書いても、それはどこかの誰かを「救う」ための写経です。
尊いです。
徳を積むことになります。
〝為〟と書かれていない写経用紙の場合は、最後のところに、自分で〝為〟と書いて、その下に誰に送るのか、どのように使ってもらいたいのかを書きます。
お寺で、仏様にじかに奉納する場合は、手を合わせた時に直接言えばオーケーなので、わざわざ書かなくてもわかってもらえます。
徳を積む、と書くと、真面目な方は、「それって、徳を積もうとして書いたことになりませんか?」「下心を持って書いた写経でもいいのでしょうか?」と考えるかもしれません。
大丈夫です。
問題ありません。
写経で書く「般若心経」は特別なお経です。
お経そのものがパワーを持っています。
ですから、そのパワーを必要な人に届けてあげた、という事実だけが残ります。
それは苦しんでいる人、困っている人を救う、「人助け」です。
下心を持って書いたとしても、結果的に人助けをしていますから、徳を積みます。
「お寺に行って心を無にしよう!」という目的で、自分のストレス解消のためにした写経でも人助けになっているのです。
この世には、「人間にしかできない」
「人間だからこそできる」
ということがあります。
神様や、神様修行をしている存在の応援もそうですし、写経もそうです。
仏様に写経供養はできません。
ご先祖様、身近な故人、あちらの世界で困っている誰かのために、あたたかい供養を送れるのは……
人間だけです。
そしてそれは、私たちが思っているより、はるかに尊いことなのです。