今日は私のブログの読み方と言いますか、活用の仕方をちょっと書いてみたいと思います。

前回の記事を例にしますと・・・。

延暦寺の釈迦堂で最澄さんと会話をしていた私は、最澄さんに 「元三大師が待っておる」 と教えてもらいました。

行かないつもりだった予定を変更して、元三大師のご廟に行くと、そこでヘビと遭遇しました。

元三大師は本当に私を待っていてくれて、訪れたことを歓迎してくれたのでした。

・・・という内容です。

この話を、どうとらえるかは皆さんのご自由ですので、私がどうこう言うのは僭越であり、出過ぎた行為なのですが、何かの参考になるかもしれない、と思って書きます。

この話を読んで「比叡山で最澄さんと会話をしたのね、それで元三大師のご廟に行ったってわけか、ふむふむ、そしてそこにヘビがいたのね、へぇ~」で終わると、これは私が体験した、ただの1エピソード、で終わってしまいます。

本ならパタンと閉じれば、パソコンだったら画面の右上のバッテンをポチ、とクリックして、画面から消してしまえば、あとには何も残りません。

キレイさっぱり忘れた状態で、ある日、延暦寺に行ったとします。

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厳かな空間の釈迦堂で、心静かに手を合わせ、最澄さんに向かって話しかけてみた。

何も聞こえない・・・。

最澄さんのお姿も見えない。

やっぱり私には聞こえないし、見えないんだわ、ああ、がっかり・・・。

元三大師ご廟には、今日は行くつもりはなかったけど、なんだか急に行きたくなってきた。

だから予定を変更して行ってみた。

そしたら廟の手前にヘビがいた。

ヘビは嫌いだし、気持ち悪い。

なんだか不吉な感じがする・・・だってヘビだもの。

ここは人けもないし・・・。

来ない方がよかったのだろうか、歓迎されなかったのだろうか・・・。

そう考えていると、なんだかすごく落ち込んできた・・・。

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・・・と、このような心境になるのではないかと思います。

さて、ここで私の体験をどう生かすか・・・というと。

まず大前提としてあるのは、神仏はえこひいきをしません。

私を可愛がって下さる最澄さんは、皆様のことも可愛がって下さいます。

特に最澄さんは (空海さんもですが) 仏教徒だけでなく、神道を学ぶ人、クリスチャン、新興宗教に入っている人、スピリチュアルな世界を知りたいと努力する人など、つまり 〝見えない世界を追求する人〟 のことを差別することなく、には惜しみないサポートを与えてくれます。

全面的に応援してくれるのです。

ですので、私の拙いブログや本などにも目を通して下さっている皆様は、スピリチュアルな世界にとても興味があるわけですから、最澄さんにとっては私と皆様はまったく同じなのです。

そこに変わりはありません。

私だけが特別ではないのです。

元三大師もそうです。

お参りに行って、その力を心から信じ、ああ、ありがたいと感謝する、その時点で次に行った時は喜んで下さいます。

この真実を知ったうえで、私の書いたものと照らし合わせて、見えない世界の見えない仕組みを当てはめてみて下さい。

私が釈迦堂で最澄さんに話しかけたら、最澄さんは来てくれました。

ということは、皆様も同じですから、釈迦堂で最澄さんに話しかけると、見えなくても聞こえなくても 〝必ず〟 そばに来てくれています。

相手は仏様ですから、絶対に無視などしません。

こちらが見えなくても聞こえなくても、そばにいて、ウンウン、とうなずきながらニコニコしているのです。

そこで、行く予定がないご廟になんとなく行く気になった、というそれは最澄さんの働きかけになります。

〝仏様のいるところで〟(ここ重要です。そうではない場所では神意・仏意は作用していないことがあります) そのような気持ちになったということは、最澄さんが 「元三大師が待っておるから行きなさい」 と導いて下さっているわけです。

聞こえる人には言葉で教えますが、まだ聞こえない人にはそういう方法で導くこともあるのです。

他にも、係の人がご廟のパンフレットを突然くれたり、そばにいた人が「ご廟は行くべきよね~」と聞こえるように話したり、という間接的な導きの方法もあります。

ご廟に行ってみると、目の前でヘビが待っていた・・・。

知らなければ、 「うわぁー、気持ち悪ぅ! 最悪やわー! 不吉!」 となるでしょうが、そういえば識子さんのブログに、お出迎えしてくれているって書いてたな、とブログの内容を活用すれば、仏様の温かい思いやりが見えてきます。

人けがないのも、仏様と自分だけの空間となりますので、それはありがたいものであり、仏様をひとり占めさせていただけます。

静かな自然の中で、心を癒す鳥のさえずりが聞こえてきて、風がさらさら吹いて、ああ気持ちいいなぁ、そういえばこういう感覚が大事だと識子さんが書いてたな、と思い出してもらえれば、仏様の愛情をしっかり受け取れます。

廟を去る時は、仏様の愛情を意識したおかげでたくさんの波動をもらって癒され、爽快な気分になっています。

さらに、自分は仏様に目をかけてもらえているという嬉しい気持ち、ありがたいという感謝の気持ち、安心感など、たくさんのものを持って廟を去ることができます。

ブログを活用せずに帰る場合は、ヘビ不吉やわ、来ない方がよかったわ、あー、なんだか落ち込むー、となってたと思うので、まったく逆の受け取り方をしたまま仏様の元を去っていたことになります。

もったいないですね。

関西にお住まいでなければ、私が行った同じ神社やお寺には行けないかもしれませんが、活用することは出来ます。

ご神木のエッセンスをもらうには、木には触らずに、ご神木に話しかけて木の下でシャワーのようにいただけばいいのだな、とか、

虫は嫌いなんだけど、神域でちょうちょがヒラヒラと寄ってきたら、神様仏様が自分に好意を持って下さっている証拠らしいから嬉しいな、とか、素直にありがたく愛情を受け取ればいいと思います。

私はブログでも本でも、自分の体験を本当にそのまま書いています。

識子さんはこういうふうにして神様にパワーをもらってたな、と思い出せば、同じようにしてパワーをいただくといいと思います。

識子さんはこんなふうに空海さんとお話していたな~、と思えば、皆さんも同じように空海さんや、その他の仏様に話しかけてみることをおすすめします。

でも私は、聞こえないし見えないから、答えがわからないんです、と悲観しなくても、よーく周囲を見渡せば、神仏はなにかしらサインをくれています。

わかりやすいように不思議な出来事を起こしてくれたりもします。

自分で 「わからないですバリア」 を張って拒否するのではなく、アンテナを張って小さなことでも感じ取ることが大切だと思います。

しつこく言いますが、私だけが特別ではありません。

皆さんも同じです。

というか、皆さんのほうが可愛がられていたりします。

神仏のありがたみに気づかないのは本当にもったいないです。

私のブログや本はまだまだ未熟ですが、活用できるところは是非活用してもらって、神仏の愛情にもっともっと気づいていただけたら、と思います。






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神社仏閣 パワースポットで神さまとコンタクトしてきました (ひっそりとスピリチュアルしていますPart2)



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