宗教について

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ブログを始めて、多くの方から宗教に関する質問や悩みのメールをいただいています。

新興宗教だけでなく、既存の宗教に関してもそうです。

以前に一度、私の宗教観をざっと書きましたが、今回は私の体験を含めて詳しく書こうと思います。

伝えたい内容が一つではないので、ちょっと詰め込み感があるかもしれませんが、なるべく読みやすいよう頑張って書きます。

20年くらい前、本格的に見えない世界に興味を持ち始めた私は、何でも自分で体験して、自分で感じてみることにしていました。

当時の私は、まだ神仏の声も聞こえず、スピリチュアルないろんなことも全然わかっていなかったので、本当にすべてが手探り状態でした。

今、振り返ると、知らなかったために無謀な行動や危ない挑戦などもしました。

もう10年以上前になりますが、一時期、某国の宗教者に興味を持ったことがありました。

本もたくさん読みましたし、その宗教者と関わった人の体験記なども、たくさん読みました。

その宗教者はとても良いことを言っていて、それは真実に思えたし、不思議な現象なども起こるというので、自分で体験して見極めたいと思いました。

その宗教者の日本での集会が近畿地方でも行われていたので、行ってみました。

集会は毎週日曜日でした。

2回続けて行った時点で、 ”自分の魂の波長とは違う気がする” ”自分はここにいるべきではない” と感じていましたが、当時は自分の直感が大事であることがわかっていなかったので、慣れないせいだろうと軽く考えていました。

3回目の集会に参加をしようと、最寄り駅へ電車で向かっていた時です。

駅に近づくにつれて何故か、猛烈に気分が悪くなり、吐き気がしてきました。

冷汗は出るし、心臓がバクバクいい始め、吐き気も限界で、 「ヤバイ、これは吐く」 と思いました。

ちょうど目的の駅に着いたので、もつれる足で何とか電車を降り、とりあえず目の前にあった数個のベンチに横になりました。

今1ミリでも動いたら吐いて気を失う、という極限状態で、体はガチガチに強張って氷のように冷えており、冷や汗はダラダラ出るし、強烈な吐き気に唸り声が出るくらいでした。

”神様、仏様、守護霊様、わかりました。あの集会にはもう行きません。助けて下さい” と心の中で必死にお願いしていると、すーっとすべての苦しみが引いていき、立てるようになりました。

そのまま急いで上り線のホームへ行って、自宅に帰りました。

この駅での出来事は 「行ってはならん!」 と私を守っていた神仏が止めて下さったのだと、後年わかりました。

守ってくれている神仏が、二度と行かないように、こうまでして止めなければいけないほど、 ”合わない宗教” に足を突っ込むのは良くないです。

理由はわかりませんが、2回までなら体験をしても悪い影響は出ませんが、3回行くとダメみたいです。

付き合いや断れない頼みなどで、何かの宗教の集会に行く場合、2回は気軽に行っても OK ですが、そこでしっかり考えた方がいいです。

入信する気がないのであれば、3回目は行くべきではありません。

もしも、それが合わない宗教だったら、いろんな良くない影響が出てきますので、注意が必要です。

キリスト教系の、とある教会にも行ってみました。

同じく10年くらい前です。

その教会では、日本語だけでなく、英語での集会も行っていました。

日本語訳していなければ、原語からの翻訳がひとつ減るわけで、より真理に近いような気がして、体験したいと思いました。

電話で問い合わせてみると、ちょうど海外から偉い神父さんだか牧師さんだかがもうすぐ来日する予定だと言われました。

連休に3日連続で特別な説教をするので、是非参加して下さい、と勧められ出かけて行きました。

元夫は仕事だったので、一人で行きました。

1日目は何事もなく終わりました。

2日目、外人の牧師さん (神父さんだったか牧師さんだったか忘れましたが、牧師さんだったような気がするので、こう書かせてもらいます) の話は普通でしたが、次に説教をした日本人の牧師さんが痛烈に仏教批判をしました。

ここがおかしい、あそこが間違っている、と言うだけでなく、ちょっと小馬鹿にしたような感じのことも言い、信者たちはそれをゲラゲラ笑っていました。

大変嫌な気持ちになりました。

自分たちがしている宗教は素晴らしい、と思っているのなら、その宗教の良い部分をみんなで称えればいいわけで・・・どうして他の宗教を批判する必要があるのだろう、と思いました。

集会が終わって、帰る時のことです。

日本人の牧師さんが私のところに来て握手をし、 「明日が3日目ですね、3日連続で来れば、あなたは救われますよ! 2日だと救われませんからね。救われたいでしょ? 明日も来て下さいね」 と言いました。

その瞬間に、 ”ああ、もうここに来るのはやめよう” と思いました。

当時は夫だった元夫に (クリスチャンです) この話をすると、教会は牧師さんの性格・人格で、カラーが全然違う、とのことでした。

良い教会は、とても穏やかな雰囲気なのだそうです。

「そこは俺でも行きたくないわー、そんな教会、珍しいで」 と言っていたので、特別に過激な部類だったのかもしれません。

うっかり3回行ってしまわないように、私を守ってくれている神仏が仕向けた可能性もありますが、これもよい勉強になりました。

キリストの教えは真理なのに、組織になると、その組織の人の考えが入ってしまうのです。

3回来れば救われるが2回では救われない、とキリストが言うとは思えません。

キリストが、他の宗教をあざ笑ったりすることも、ちょっと考えられないです。

先に信者になった人の方が偉い、組織の経典の勉強をした者の方が神に近い、そういう上下関係も組織になると出てくると思います。

変な理屈だけど、そうしないと組織は成り立たないのだと思います。

イギリスのカンタベリー大聖堂に行った時のことです。

聖堂内を見学していたら、ミサの時間になったとかで、観光客は出てくれと職員に言われました。

その言い方、追い出し方が大変失礼で、まさに、信者はお前らより上なのだ、という態度でした。 (その聖堂が自分たちの教会なので当然の心理といえばそうなのですが・・・)

犬や猫を追い払うようにしなくてもちゃんと出るのにな、と思いつつ、息子と聖堂の裏手を歩いていたら、大司教? らしき人が奥の建物から出てきました。

立派な法衣に身を包んだその人は、さきほどの職員とは違い、まろやかな優しいオーラを発していました。

おぉ~、さすが大司教になる人は違うなぁ・・・と見ていると、 (息子もすごく優しいおじちゃんと感じたそうです) 大司教は私たちの方を見て、一瞬、ハッと立ち止まり、それからニッコリ微笑んで、軽く会釈をすると、聖堂に入って行きました。

驚きました。

そこでは一番偉い人であろうに、見ず知らずの観光客の私たちに、挨拶をしてくれたのです。

ああ、この大司教は本当の意味で、神を知っている方なのだ、と思いました。

私たちが聖堂から締め出されたであろう観光客なのは見てわかります。

でも、神仏に対する信仰心はあつい人たちのようだ、と感じたのかもしれません。 (見える人には頭上にいる神仏が見えているはずなので)

神の真理を知る人にとって、その宗教の信者か信者でないかということは重要なことではなく、そんなことで差別などしないのです。

その人が ”神を信じている” その心を持っていれば、そこに敬意を払います。

マザー・テレサもそうでした。

行き倒れの人の命を助けたからといって、キリスト教に改宗なんかさせません。

その人が亡くなれば、その人が信仰していた宗教でお葬式をしてあげていたといいます。

信仰とは、神とその人との関係である、神とその人だけの世界である、ということを熟知していたからだと思います。

記事にも書きましたが、私はギリシャの教会にいる高級霊の神様に急病を治してもらいました。

ギリシャ正教の信者ではないし、ギリシャの国民でもない私ですが、その神様は差別することなく救ってくれたのです。

神仏を心から信じる、という強い信仰心さえあれば、どこの誰であろうと、その信仰心に神様は答えてくれます。

空海さんも、 「最澄の所にも行ったのか」 などと心の狭いことは絶対に言いません。

それどころか、 「最澄はいい僧をつけてくれたな」 と最澄さんのしたことに感心していましたし、最澄さんも、 「比叡山に来る前に高野山に何回か行っておるではないか」 などと天地が引っくり返っても言いません。

高野山に泊まったりして、空海さんの廟にも何回も行っていた私ですが、 「ブログを頑張りなさい」 と長宴さんをつけてくれました。

自分以外の神仏を信仰していても、まったく気にしない、全然気を悪くしないのが、本当の神仏です。

自分だけを信仰しろ、とは決して言いません。

私は、見方によっては、お不動さんを信仰していながら、毘沙門天 (多聞天さん) も信仰する、さらに神社の神様も篤く信仰し、天台宗も真言宗も、先祖からの浄土真宗もすべて肯定する不届き者、となります。

キリストも好きです。

ですが、山岳系の神様も、どこの神社の神様も、どの仏様も、みんなあたたかく迎えてくれますし、縁もくれます。

神仏にはそれがおかしいことではないのです。

つまり、信仰とは、その人と神様、その人と仏様、の二者間で成立するものであり、他の神仏はまったく関係ありませんし、ましてや他の組織の人間など関係があろうはずがありません。

お不動さんと自分だけの世界、観音様と自分だけの世界、熊野の神様と自分だけの世界・・・という信仰は、いくつ持ってもいいのです。

他人や、他の神仏に、とやかく言われることではありません。

なのに、その信仰をたった一つだけにしろ、というのが宗教団体・組織です。

まだまだ修行が必要なお稲荷さんでも、コンスタントに参拝に来いとは言いますが、信仰はここだけにしろなどとは言いません。

どの神仏を信仰するか、いくつ信仰 (神仏とのつながり) を持つか、などは人間の自由意思であり、それを縛ってはいけないことを、高級霊ならどなたも知っているからです。

まれに、外国人が行かない (外国に慣れていない) 山岳系の神様の眷属に、外国の宗教を嫌うものもいます。

ですが、親分の神様がこだわらないので、それを見て、その眷属もすぐに受け入れてくれます。

いくつ持っても構わない信仰ですが、自分の意思で大好きな神仏一つだけにするのもいいし、宗教組織に入ってその組織のために頑張るのもいいと思います。

そこに正解も不正解もありません。

自分の魂の思うままにするのが、一番なのです。

よく心配していらっしゃる方がいますが、信仰に浮気などというものは存在しません。

それは神仏が一番よく知っています。

宗教組織に教えられた変な宗教観に左右されず、自分の魂が感じるままに、神仏を愛し、信仰する・・・それが正しい宗教ではないかと、私は思います。



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