今日は、だいぶネガティヴになってしまった
もしかして、私鬱なのかな…(笑)
鬱診断をしたら、ほぼ鬱だわ…(笑)
鬱って言葉が、鬱だと思う。
もう、使うのやめよー!
バランスの取れた常識的な人間なら神など求める必要はない。少なくともこの日本においては。
“イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」”マルコによる福音書2章17
…
そうか、私は病人で罪人だったからだ!
今、もう頑張らなくていいって言われてたようなきがした。
神様がずっと働いててくれるし
信じていればいいだけ。
委ねなさいとイエス様は言う。
様々なこと考えると生きづらい
未来に希望が全く持てなくなる
頑張るのも疲れて
自分だけが不幸みたい。
他の人は楽して人生上手く行ってて
すごく幸せそう。(隣の芝生は青い…かも)
何で自分だけこんなに働き頑張らないと
行けないんだろうってずっと思ってたけど
これがまだまだ抜けないです。
おそらく根本に、自分は価値がない
って思いがまだまだ強いんだろうな…
イエス様に辿り着き
救われたのはとても嬉しいけど
魂の回復が人生の最終目標なんだろう
生きてるうちに回復したいな…
昨日はあんな強気な発言してたけど…(笑)
頑張りすぎて病むのだけはもう懲り懲り。
生きづらい世の中で、生きてるだけで偉いとほんと思います。
生きるのって、私にとってはレース
持久走をずっと走ってる感覚。
途中休憩して、水分補給して、また走り出す。しかもゴール地点は分からない。永遠に持久走。
私の生きるイメージって苦痛なイメージがあって、本当良くないんですけど、昔からあるんですね
大人になっても無理矢理でも変えようと思って占いスピリチュアル引き寄せで自己実現やったけど、むしろ悪霊のカモになって、更に人生破滅してしまった。
クリスチャンになったとは言え、たまにこうやって、ネガティブな沼に入って生きるの嫌になるんですけど…
そんな時、生きてるだけで偉い!
って言い聞かせよう
生きてるだけで、そのまま神様の恵みなんだろう。
その恵みを喜んで生きないと神様に反してるんだろうな…
「たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。」
伝道の書 6:3 JA1955
流産の子の方が、断然幸せかぁ…
常に喜びなさいがイエス様の命令…
まだ御言葉がグサグサ刺さる…時がある
神様を恐れると、私は生きてる意味ある?とさえ思う。。
辛いことが多いけど、まだ地上にいるのは、何か意味があるんだろうな…
でも、思うだけで何も出来ない自分に罪責感が強く働いて、それでまた病みそうで辛くなった…。
これも負のループ…
教会も、健常者が通う分にはいいけど、霊の戦いが激しいし、通いたくても通えない人が多いと思う。。だから批判しないで欲しいなぁ私は辛さを知ってるから、その人たちに祈りで支えようと思いました。
私も行きたくてもなんか行けない事があったし、人の目というものが世の中と同じくらい教会内では働くから、敏感な方はとても辛いだろうし
神様に全て重荷を下ろして
ただ従うだけにしたいです。
これから私は自分の人生を歩き出し
神様が私の心に与えて下さった事を実行したいです。神様、強くしてください。
[詩篇 1:2,3]
主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。
究極は、魂の救いが目標です。
弱い時こそ、強い。
神様が共にいてくれるなら。
早く、イエス様きて欲しいです。