台風が近づいているせいか
厚い雲が低く垂れこめています。


その雲が速いスピードで流れているのを見ていると
少し怖いですね。


昨日までの真夏を思わせる天候との
あまりの違いに


朝起きたときに「ここはどこ? 私はだれ?」状態で
記憶がついていけません。


目が覚めたら、ガスが立ち込める
別の惑星にいるようです。

 


しかし、私だけかもしれませんが
厚い雲が覆う天候の日は


なぜか気持ちが落ち着いてきて
良い気分になります。(笑)

 


子どもの頃は
台風が近づいてくるとワクワクしたものです。


日常と違う事態(災い)に立ち向かって
それを乗り越えるストーリーを


想像していたのかもしれません。

 


それと同時にある状態にもワクワクしていて


私の住んでいた地域では、台風は
なぜか夜中に通過することが多く


更に、記憶が正しければ
大きい台風が通過するときは


停電が、あたり前だったような気がします。


こうなると益々ワクワク感が増していきます。

 

そんな日は、家の雨戸を全部閉めて
真っ暗な部屋の一室に家族が集まって


台風が過ぎ去るのを待つことになります。

 


今から振り返ると
狭い部屋に家族全員が寄り添っていることに


喜びを感じていた気がします。

 


そういえば、子どもは
段ボール箱を家に見立てて


その中に籠ったり


押し入れを寝台列車に見立てて
籠ったりするのが好きですね。


これも私だけかもしれませんが。。。

 


たぶん、災いが降りかかってきたときには


動物のように、人目のつかない場所で
丸まってじっとしている。という
本能が作動するのかもしれません。

 


そういえば
動物は病気になったときも


丸まってじっとしていますね。

 


動物の場合は
身体の病気が多いのですが


人間は、病気まではいかなくても
精神的に弱ることがあります。


そんなときは
完全に雨戸を閉めて部屋に閉じこもるのもよし


すだれを垂らして強い日差しだけを遮って


そよ風を感じるのもよし


いずれにしても外の刺激から逃れて


物思いにふけるのも
こころを癒す手段としては有効ではないでしょうか。

 


そんな気分のとき、時々思い出すのが
「徒然草の花は盛りに」です。


一部転記します。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

 

 


自分流に勝手な解釈ができる「詩」として
楽しんでいます。


例えば、月を見るのは晴れの日だけでなく
雨の降る日に見えない月のことを慕うなんて


こころがキュンとしますね。


そして、桜が満開で世の中が浮かれているときでも


それぞれの事情によってこころが塞いでしまったり


病で養生しなくてはならなかったりで


すだれを垂らした部屋に籠って過ごす春が
あったとしても


それは、それで、その人にとっては
まぎれもなく春なんです。


満開の桜を見たり感じるだけが春ではなく


むしろ、垂れ籠んで過ごす春の経験の方が尊いかもしれません。

 


そう考えると
子どもたちは、災いを乗り越える力強さ備わっているので


困難な状況にワクワクするのかもしれませんね。


子どものころの根拠なき困難を乗り越えるための
エネルギーはもう戻ってこないかもしれませんが

 


歳を重ねると
困難を受け入れるコツと言いますか


知恵は得られるような気がします。

 


その知恵の一つが「垂れ籠む」ことだと


「徒然草の花は盛りに」が、教えてくれています。
≪#1004≫

 


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~~編集後記~~


今日も、ありがとうございます。

 


天候によって日々変わる感情を
受け止めるのが得意な高坂一彦です。

 


朝、同じ時間なのに、昨日と今日では
状況が全く違う中で


生き物は上手く順応できるのだから
器用にできていますね。

 


ここからは勝手な仮説ですが


この器用さは
環境にだけ有効なのではなく、


悲しみや苦しみなどの
感情面の変化にも順応できるように


遺伝子は設計されていて


でも、それは頻繁に起きることではないので


日ごろは忘れるようにできています。
必要ないに越したことがないですからね。


なので、何か起きた時にそれらを思い出す手段として
偉人の名言や哲学者の言葉があるのではないでしょうか。

 


徒然草は私にとって
そんな大切な一冊なんですね。


今日のブログを書いていて改めて気づかされました。

 


高坂一彦 拝