休日に自宅で長い時間いると
冷蔵庫の扉を開ける頻度が多くなります。

 


今も、梨を頬張りながら
ブログを書いています。

 


最近は、体重が減り
味覚や食べ物の嗜好が変わりました。

 


例えば、今までは、スナック菓子や
菓子パンなど、大量に摂取していましたが

 


今は、菓子の代わりに「果物」を食べています。

 


金額的には、若干果物の方が
スナック菓子や菓子パンより高価かもしれません。

 


その変わり、糖質だけ気を付ければ
塩分などの取り過ぎは無いので

 


健康のことを考えると、断然「果物」でしょう。


先ほど、菓子の代わりに果物を。。。
と、言いましたが

 


まさしく、果物の歴史を調べると
同じような価値観であったことが解りました。
≪#0703≫

 


~~編集後記~~

 

 

今日もありがとうございます。

 


昔の生活の営みとその歴史が
とても気になる高坂一彦です。

 


特に、食と住の歴史は
人間関係(ヒトとヒトとの繋がり)と直結しているので

 


ヒト同士の絆や愛情関係などを想像して
楽しんでいます。

 


歴史が気になると、言っても
1次史料(その当時に書かれた史料のこと)を
読める訳ではないので

 


どれほど正確な情報を得られているかはわかりません。

 


でも、どの時代でも
お父さん、お母さんがいて
子どもがいて

 


子どもは、やはり可愛いでしょうし

 


食事も美味しいものを食べたいし
冬は、暖かくしたいと思うのが普通でしょう。

 


わが家は、食生活に於いて
果物は無くてはならないモノの一つとなっています。

 


東南アジア系や南国の果物は
あまり食べる機会がありませんが
(バナナ、パイナップルは食べてます)

 


日本で作られているメジャーな果物は
殆ど食べています。

 


我が家の家族が、
年間で一度も風邪をひかないのは
毎日、果物を食べているからかもしれません。

 


そこで、果物の歴史について調べてみると
どの研究者も共通しているのは

 


縄文時代では、ぶどう類やヤマモモなどは
野生で実っていたらしいですが、

 


私たちが想像できる果物は
生息していなかったようです。

 


果物と言えるかどうかわかりませんが
「クリ」「どんぐり」「クルミ」の類が
多く出土されているとのコト。

 


要するに、縄文時代に果物を食べていたかどうかは
出土されていないので、わからないのですが

 


結論的には、現代のような果物は
食べられていなかったというしかありません。

 


やっと、弥生時代あたりから
「スモモ」「モモ」「なし」「かき」などが
出土されているのです。

 


やはり、大陸から稲作と一緒に
果物も伝わったと考えるのが
自然な流れなのでしょうか。

 


そして、文献の類で果物が記されているのは
やはり、奈良・平安朝の頃で

 


平安朝初期の宮中の儀式などが漢文で記されている
「延喜式」に果物の名前が記されていて

 


クリ(栗子)、クルミ(胡桃子)、ナシ(梨子)
ゆず(柚子)、モモ(桃子)、うめ(梅子)etc...

 


やっと、今の果物に近づいてきた感じです。

 


しかし、何故、果物の名前の後に「子」が付いている?

 


子房や種子の「子」が、何か関係しているのか。。。

 


私が調べた結果、有力な説(いや、勝手な解釈)は
奈良・平安時代は、菓子と言えば果物の事を
指していたとのコト。

 


その菓子の「子」を、そのまま果物の名前に付けたのでは
と、半分決めつけています。

 


今日の調査の結論は
縄文・弥生時代の果物は

 


主食を補うための貴重なエネルギー源としての存在で
(クリ、ドングリ、クルミ)

 


奈良・平安時代で、現代と同じような
デザート的な、意味を持った食べ物になったようです。

 


日本では、1200年間今と同じ価値観で
果物を育て、手に取り、香りを楽しみ
味わっていたのですね。

 


でも、今の果物は品種改良を重ねて
かなり甘くなってますが

 


昔は、それほど甘くなかったような気がします。

 


いづれにしても、貴重な食べ物だったということは
想像できます。だから、菓子だったんですね。

 


現代の生産者と流通業、研究機関の皆様に感謝です。

 


高坂一彦 拝